第35話:誤魔化さない

 ぷしゃーーーーーーーーー。

 ぷしゃーーーーーーーーー。

 

 篠原とママさんが消臭スプレーを部屋のあちこちに噴射しまくる。


 ぶいーん。

 その一方で扇風機は、さっきから窓の外に向けて風を送っていて。


 ばっさばっさ。

 さらに扇風機の後ろでは俺が、さっき身体を拭いたばかりのバスタオルで、部屋の空気を外へ追い出すように仰いでいた。

 

 香田さんが来るまでに昨夜の形跡を完全に消してしまうのが目的だ。

 自分で蒔いた種(上手いことは言っていない)とは言え、俺のはなかなかに重労働。せっかくシャワーを浴びてすっきりしたのに、部屋の暑さと相まってあっという間にまた汗だくになった。

 

「交代する、アッキー?」

「いや、いい」


 さっきから髪の毛から汗を滴り落とすほどだけど、これを篠原にやらせるわけにはいかないので丁重に断った。

 なんせ篠原にはこれから香田さんと面談するという大事な仕事がある。無駄に疲弊させるわけにはいかない。

 それに若い男女が部屋の中で汗だくになっていたら、香田さんにやっぱり余計な詮索をされてしまうんじゃないだろうか。

 

「というか、いい加減、もう何も臭ってないような」

「ダメよ。こういうのは当事者には分からなくても他の人は気付いちゃうものなんだから。徹底的にやらないと」


 そう言いうママさんはさっきから布団に向かって、消臭剤一本を丸々使い切るかのようにひたすら吹き続けていた。

 なんだかとても申し訳ない気分になった。


「でもだったらいつまでやるつもりです?」

「決まってるでしょ。その香田さんって人がドアをノックするまでよ」

「……ホントにギリギリまでやるんですね」

「ついでに挨拶もできるから一石二鳥よね」


 挨拶……挨拶、かぁ。

 ママさんの言葉に、すっかりそのことを失念していたことに気が付いた。

 うーん、なんて言えばいいんだろう。

 俺もママさんと一緒に「篠原のことよろしくお願いします」でいいんだろうか。それとも篠原と付き合っていることも話した方がいいのかな。もちろんえっちしたことは内緒にするとして、篠原の彼氏としてそれなりに立派なところは見せた方が……。

 

 と、そこまで考えてふと思い出した。

 そう言えば香田さんが篠原の部屋を初めて訪れてきた時に居合わせたけど、一切俺のことについて篠原に訊ねなかったな。

 普通なら「こちらの人は?」って訊いてきそうなものだけど。

 それに目線を俺に合わせることすらなかったような気がする。

 なんなら篠原との会話も、俺が加わるのを拒否するかのようなところもあったような……。

 

 いやいやいや、さすがにそれは考え過ぎだろう。

 暑さで脳がやられたのかもしれないと、軽く頭を振る。

 飛び散った汗が床に消臭剤を吹きかけていた篠原にかかって少し睨まれたのと、控えめなノックの音が聞こえてきたのはほぼ同時だった。

 

「来たわね! ほら、あんたたち、とっとと消臭剤とバスタオルを隠して」


 ママさんに言われて俺たちはそれぞれのブツを押し入れへ。

 その際に篠原から「臭い、消えたと思う?」と訊かれたけど、そんなの俺に言われても分からなかった。

 ただいくら鼻を利かしても消臭剤の匂いしかしなかったので「大丈夫なんじゃね?」と答える。


「あ、でもバレて問題になりそうになったら、俺が別れる前にやらしてくれと土下座してきたから仕方なくってことにしていいぞ」

「うん、そうするよ!」

「え!?」

「それとも突然襲い掛かってきて無理矢理って方がいい?」

「やめろ! そんなことされたら俺の人生が終わる!」

「冗談だよ。でもねアッキー、冗談でも『お願いしてやらせてもらった』なんて言っちゃダメだよ」

「いや、冗談のつもりはなかったんだけど」

「アッキーはさ、もうちょっと女心ってのを勉強した方がいいね」

「どういうことだよ?」

「私たちは昨日の夜、お金とかお情けでえっちしたわけじゃないよね? お互いに本心から相手のことを好きになって一緒になったんだよね? 生まれも育ちも違う私たちが、色々あって理解を深め合って、昨夜とうとう結ばれたんだよ。それを幾ら人生がかかっているからって、ウソをついて誤魔化したくないな、私」


 俺を見つめてくる篠原の目が「アッキーはどうなの?」と問いかけてくる。

 頭の冷静な部分では篠原の言っていることは分かるけど、それで未来を捨てるのは馬鹿げていると告げている。

 

「そうだな。バレてもウソつくのはやめておくか」


 でも篠原は正しいことを言っていると本能で分かった。

 

「うん。でも、香田さんだって私たちのことある程度は察してるでしょ」

「そうかなぁ。あの人、なんか俺のことを無視しているような感じがするんだけど」

「そう? 考え過ぎじゃない?」


 と、こんな時なのに思っていた以上に話し込んでいたら、ママさんから「なにしてんの!? あまり長くお待たせしちゃ失礼でしょ!」と雷が飛んできた。

 

「……あのさ」


 まずいまずいと扉へ向かおうとする篠原。その背中に問いかける。 

 

「もしバレて今回の話がお流れになったら、篠原とまた契約を結びたいんだけどいいか? 今度はその、雇用関係とかそういうものじゃなくて」」

「ん、いいよ」


 篠原がこちらへ一瞬振り返り、ニカっと笑う。

 

「でも、その時はアッキーの気持ちをちゃんと言ってよ?」

「あれ、言ってなかったっけ?」

「言われてないよー。ホント、アッキーってそういうところヘタレっていうか、女心が分かってないよね」


 そうか、言ってなかったか。だったらちゃんと言わないとな、バレるとかバレないとか関係なく。

 って、もちろんバレることなく終わるのが一番なんだけど。

 そのために消臭剤を巻きまくったり、俺は汗だらけになってタオルを仰ぎまくっていたわけだしな。

 

 だけど、そんな俺の願いは予想もしない形で裏切られることとなる。


 俺と一緒に篠原が扉を開けるのを眺めていたママさんが、顔を覗かせた香田さんに言い放った一言によって。



 ☆ 次回予告 ☆


 全ては幸せに収束していくはずだった。

 だけどいたずらな運命がそれを許さない。


 次回、第36話『暗雲』

 神様がいるとしたら、そいつは強欲な笑顔を浮かべている。

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