第34話:俺たちの失敗

 篠原曰く、この時期は昼間の暑さで部屋に熱がこもるのを防ぐため、外出時は窓をわざと開けているらしい。

 なんとも不用心な話だけれど「泥棒に入られたところで盗られて困るもんなんて何もないからね」と言われたら、ぐうの音も出なかった。

 それでも帰宅時には少なくとも玄関脇の窓は閉めるそうなんだけど、すっかり昨夜は忘れていて……。

 

「そうねぇ、みんなに聞かれたどころか、覗き見されたかもしれないわねぇ」


 そう言ってママさんはニマニマと笑った。

 座るママさんの隣には、美味しそうな匂いを漂わせるカレーの入った鍋。

 そう、篠原のお母さんが働いていたスナックのママさんが、昨夜作ったカレーをおすそ分けに持ってきたところ、部屋の中ですっぽんぽんの篠原が、同じく全裸の俺に跨って身体をのけ反らしているところに遭遇したのだった。

 

 願わくばカレーだけ置いて帰ってほしかったけれど、そういうわけにもいかず、ママさんはニマニマしながら部屋へ上がり込んでくる。

 俺たちは慌てて服を着て、布団の周りに散らばるコンドームを回収した。

 が、動揺するあまり篠原は俺のTシャツを着てまたぱんぱんだし、俺はパンツを表裏逆に穿いてるし、篠原のブラに至ってはさっきから布団の下からチラチラ見えていたりする……。

 

「まぁいいじゃないの、減るもんじゃなし」

「減りますよ! 私の清楚なイメージが大暴落です!」


 ああぁぁぁぁと篠原が声にならない悲鳴を上げて、床に突っ伏した。

 清楚って言葉にひっかかるものを感じたけれど、俺にもツッコミを入れる余裕はない。

 俺だって多少声が漏れるのは仕方ないとは思っていたけれど、まさか窓が開いていて、しかも見られていたかもしれないなんて……。

 

「いやぁ、火葬場で会った時からそうなのかなと思ってはいたけど、そうならそうと言ってくれたらよかったのに」

「ううっ、何の話ですか?」

「ふたりの仲よぉ。そういうこともやってるのならカレーなんかじゃなくて、ウナギとかもっと精のつくものを持ってきてあげたのに」


 そう言って笑うママさんに、いやいやいや、とふたりして頭を懸命に横へ振った。

  

「んじゃおばさんは帰るから、どうぞごゆっくり。でもちゃんと避妊はしなさいね」 

「それはもちろん……って、あ、ちょっと待ってもらえますか」


 立ち上がろうとするママさんを篠原が引き止めて「実は」と香田さんの件を切り出した。

 篠原の話を神妙な面持ちで聞くママさん。やがてその目からボロボロと涙を流し始めて「よかった、よかったねぇ」と篠原に抱きついて泣き始めた。

 

「そんな人が現れるなんて……神様は……ちゃんと見てくれて……いるんだねぇ」


 涙でぐじゃぐじゃになりながら絞り出すような絶え絶えな声に、思わず俺も涙腺が緩みそうになった。

 運命と同じように神様の存在も本気で信じちゃいないけど、それでも必死に生きようとしていた篠原を神様がちゃんと見てくれていて、だから香田さんを送ってくれたんじゃないかなんてそんな奇跡を今は信じたい気持ちだ。

 

「あんたも数年離れるからって、初ちゃんのことを裏切っちゃダメだよ」


 ひとしきり号泣して落ち着いてきたのか、ママさんは篠原を解放するとこちらをキッと睨んできた。


「はい。篠原と同じ大学に行けるよう頑張ります」


 真面目に答えたつもりだった。

 なのにママさんも篠原もきょとんとした表情を浮かべたかと思うと、やがてふたりして何故かぷっと噴き出す。

 なんだ? 何か変なことを言ったか、俺?


「この様子なら大丈夫そうね、初ちゃん」

「ですね。ホント、勉強の方だけは心配だけど」


 大丈夫そうってママさんの言葉を肯定しておきながら、どうして勉強に不安を覚える? マジでわけがわかんない。

 

「それでその香田さんって親戚の家にはいつ引っ越す予定なの?」

「分からないんですけど、もうすぐ香田さんがここに来るのでその話を」


 するんですって篠原の返事を聞く前に、ママさんがぎょっと目を見開いて「もうすぐここに来るのっ!?」と驚いた。

 

「ええ、はい」

「はい、じゃないでしょ! ダメよ、そんなの」

「え? なんでですか?」


 思わず問い返す俺にママさんが「あんたたち、ホントに気付かないの?」とばかりに呆れた顔をした。

 

「この部屋、すっごく臭うわよ!」

「臭い?」

「あんたたちが一晩中やった臭いよ!」


 あ、と篠原とふたりして顔を見合わせる。

 言われるまで気付かなかったけれど、確かにちょっと臭いかも……。

 

「急いで消臭剤を買ってくるから、あんたたちは今のうちにシャワーを浴びときなさい!」

「わ、わかりました!」


 慌ててママさんが部屋から駆け出していく。

 その様子を呆然と見送る俺たち。

 

「えっと篠原、先にシャワーどうぞ」

「でも私、結構長いよ? 先にアッキーの方がよくない?」


 と、いきなり扉が開いて、ママさんが戻ってきた。

 

「ふたり一緒に入んなさいッ!」

「あ、はい!」

「洗いっこしてむらむらしてもおっぱじめちゃダメよ! 分かってるわね!」


 再びママさんが扉を閉め、今度はボロ階段を大急ぎで駆け下りていく音が聞こえた。



 ☆ 次回予告 ☆


 昨夜の痕跡を必死に消そうとするふたり。

 でも、もしバレたらその時は……


 次回、第35話『胡麻化さない』

 どうぞよろしくお願いいたします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る