第31話:あの日、あの時、この公園で

 香田さんが篠原の前に現れて二週間、篠原はこれまでと同じように毎日を送っていた。

 いつものように店長と言い争って、お店の常連さんたちと軽快におしゃべりをしながら配膳し、賄いを作っては俺に食べさせて感想を聞きたがった。

 

 ただ最近は、仕事が終わってから、ちょっと街で遊んでいくことが多くなった。

 ゲーセンでUFOキャッチャーをやったり、話題のラーメン屋さんに行ってみたり、本屋さんでお互いのオススメ漫画を勧めあったり。

 これまで何かと節約生活をしていたのに、こうしてお金を使うようになったのは、もうその心配をしなくてよくなったからかもしれない。

 

 それでも篠原は、まだ香田さんへの返事を渋っているようだった。

 理由は……分からない。店長をはじめ順平も美沙さんも喜んでくれているのに、一体なにを考えているのだろう。

 もちろん俺だって……少なくとももう、篠原に見せる笑顔が引き攣ってはいないはずだ。

 

「えっへっへ。買っちゃったよ、ハーゲンダッツ・バニラ味」

「マジで?」


 そんなある日。

 今日も帰る前にちょっと公園でアイスでも食べようということで、スーパーに寄った。

 俺はスーパーカップ・チョコクッキー味をすぐにチョイスしたけど、篠原はなにやら随分と悩んでいるみたいだった。

 適当に店内を見て歩いていたら、やがて篠原がハーゲンダッツの小さなカップを恭しく掲げて、俺のもとへ小躍りしてやってきた。


「奮発したな、篠原」 

「ふふん。まぁ、本当は前に食べた焦がしチーズタルト味がよかったんだけどね。期間限定品だったみたいで、もう売ってなかったよ」


 んじゃ公園で食べようと店を出る。

 出た途端にむわっとした熱気が、身体を包み込んだ。まだ蝉は鳴き始めていないけれど、気温はすっかり夏。今年は暑い日が続く異常気象になりそうだと、毎年聞くフレーズをテレビのニュースで言っていた。

 

 篠原の後ろを付いていって、数分も経たずに公園へ到着した。

 都市計画か何かは知らないけど、俺たちの街はやたらと小さな公園が多い。それこそ滑り台ひとつと、ベンチが二つ、三つぐらいしかないような。

 その中にあって篠原に連れてこられたのは、かなり大きな公園だった。滑り台やベンチ以外にもブランコ、鉄棒、砂場など一般的な遊具が全て揃ってあって、それでいてまだボール遊びも出来るような広いスペースがある。


 なのに『ボール遊び禁止』やら『大きな声を出さないで』とプレートが貼られているのは、あまりに矛盾してやいないだろうか。

 公園みたいな癒しの場所で、生き辛い世の中を感じさせないでほしいもんだ。

 

 そんな世間の歪みを含んだ公園には、まだ夜も浅いのに誰も人がいなかった。

 それとも浅いからこそだろうか。よく分からん。

 

「あ、そうだ! ブランコ乗ろうよ、ブランコ!」

 

 篠原が大事そうにハーゲンダッツを両手で抱えながら、ブランコへと小走りで駆け寄る。

 いつにも増してはしゃいでいるその背中に、黙ってついて行った。

 

 ブランコに乗るのなんて何年ぶりだろう。

 まだ小学校に入る前の頃、俺はブランコが大好きだった。でも近所の公園はいつも体の大きい小学生の男の子たちが占領していて、僕も乗りたいなんて怖くて言い出せなかった。

 

 だからある日、母さんにお願いして遠くの公園に連れていってもらった。

 そこもブランコは大人気で、人だかりに最初はがっかりしたけれど、そこには秩序があった。

 特定の人物による独占を許さず、小さな子も、俺みたいな部外者も、ちゃんと並べば交代でみんな平等に使えるようになっていた。


 仕切っていたのは、俺と同じぐらいの女の子だった。


 その時のブランコに乗れた高揚感と、体の大きな子にも物怖じせず立ち向かって、秩序を守り抜いた女の子に抱いた幼い憧れ。

 すっかり忘れていたけれど、久しぶりのブランコに当時の記憶が蘇ってきた。

 

 篠原がブランコに腰掛けながら、ハーゲンダッツの蓋を開けて中身を掬い上げる。

 俺も隣に座ってスーパーカップを開けた。掌に感じる冷気の塊を口の中へ。たちまち口の中に天国が広がる。横を見ると篠原も頬を綻ばせて、しばしの天国体験に浸っていた。

 

 ふとその横顔に、あの時の女の子の面影を見たような気がした。

 偶然にもブランコの順番が一緒になって、ふたりしてどちらがより高くまで漕げるかを競い合ったあの子。風を切って空を飛び、普段は見ることの出来ない景色に満足感を覚えて浮かべるあの笑顔。


 それが今、十年ほどの時を経て、隣の篠原と重なって見える。

 

 いやいやいや、それはさすがに……そう考えなおして視線を篠原から外して前を向くと、なんだかこの光景にも見覚えがあるような気がした。

 

「……なぁ、篠原。この公園ってよく来るの?」

「んー、最近はとんとご無沙汰だけど、子供の頃はよく遊びに来てたよ」

「え? でも篠原の前の家って、この辺りじゃなかったよな?」

「えっとね、あの家は小学3年の時に引っ越したんだよ。もともとは今のアパートに住んでたの」


 もっとも部屋は違うけどねと篠原は続けるけれど、そんなのはどうでもいいぐらい胸がドクンっと高鳴った。

 

「ってことはここでブランコ遊びもしたのか?」

「そりゃもちろん! ブランコは私のお気に入りだったからね! でもあの頃のブランコ君ってすっごい人気者でさ、みんな乗りたがるんだよね。なのにずっと乗り続ける奴もいたりしてさ。だから私が仕切ってあげて――」


 それから篠原が小学生との対立やら、壮絶な殴り合いやら、拳を交えた者同士に芽生える奇妙な友情やらを鼻息荒く話すけれど、俺はもう聞いてはいなかった。

 ただただ、そんなことがあり得るのかって驚いていた。

 だってそうだろう? 子供の頃に一度だけ会って、今も記憶の片隅にいた女の子が、まさか篠原本人だったなんて。そんな奇跡、普通は信じられない。


 それにもし篠原がずっとこの辺りに住んでいたら、学区が違うから中学で一緒になることはなかった。

 なのに引っ越したおかげで、お互い知らず知らずのうちに中学で再会することが出来ていたんだ。

 

 そしてあの日、あの時、あの立ちんぼが居並ぶあの場所へ行かなかったから、俺たちは今こうしてブランコに乗って、一緒にアイスを食べていることもなかっただろう。

 

 ひとつ選択肢を間違えれば、あるいはふたりを取り巻く状況が少しでも違っていたら、俺たちは再会どころか出会うことすらなかったのかもしれない。

 なのに俺たちは何万分の一、何億分の一の確率を選び取ってきた。

 運命なんて言葉は信じちゃいないけど、もしそんなものがあるとしたら俺と篠原はきっとこれからも、何度も何度も巡り合う運命にあるのかもしれない。数えきれないほど枝分かれする人生を、俺たちは何一つ間違えることなく選び取れるのかもしれない。

 だったら。

 

「篠原、あのさ」


 俺はスーパーカップを、篠原はハーゲンダッツを食べながら。

 そんないつもと変わらないこの瞬間に、言ってしまおう。

 

「行けよ、香田さんのところへ」



 ☆ 次回予告 ☆


 少年と少女の別れは近い。

 それはつまり、ふたりの契約が終わるということ。


 次回、第32話『言いたいこと』

 お見逃しなく。


 


 

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