第28話:みんなが彼女を愛してる

 お母さんの死を篠原が知った三日後。

 今にも雨が降り出しそうな曇天の中、篠原のお母さんの身体は煙となって天へ帰っていった。


 葬式は出さなかった。お金がなかったからだ。

 それに親戚に連絡を取ったものの、ことごとく参加を拒否されたこともある。それどころかほとんどの人は、篠原の話に聞く耳を持たなかったらしい。

 

 だから火葬場で見送ったのは篠原と俺と、それから篠原のお母さんが働いていたスナックのママさんの三人だけだった。

 店長も参加を希望したものの、店を優先しろと篠原が断った。


 ただでさえ居酒屋てっちゃんは、ここ数日篠原が店を休んでいるせいで、売り上げが芳しくない。

 それを理由に「やっぱり私がいないとダメですねー」「悔しかったら結果出してみろやー」と篠原が煽ったところ、「ふざけんな! てめぇなんかいなくてもやれるってことを見せてやろうじゃねぇか!」と店長が応じての不参加だった。

 

「初ちゃん、何か困ったことがあったらいつでも言ってね」

「ありがとうございます、ママさん」


 火葬場を出たところで空きタクシーが通りかかるのを待ちながら、今日だけで何度聞いたか分からないセリフを繰り返すママさんに、篠原が骨壺を抱えながら深々と頭を下げる。

 ママさんはいかにもって感じのおばさんで、とてもいい人だった。篠原のお母さんが働いていた時から色々良くしてくれていたそうで、失踪後も時々篠原の様子を見に来ては「作り過ぎた」とお惣菜を差し入れしてくれたりしているらしい。

 

「それにしてもまだ茜ちゃんが自殺だなんて信じられない」

「……きっと疲れちゃったんですよ、生きることに」


 そう呟く篠原の表情は柔らかだった。それは篠原がもうお母さんときちんとお別れできている証拠だった。

 勿論、簡単に現状を受け入れられたわけじゃない。突然失踪し、それでもいつか戻ってきてくれると信じていた篠原にとって、突き付けられた現実には大きな葛藤が、苦しみがあった。


 乗り越えることが出来たのは、篠原自身の強さに他ならない。

 俺はちょっと手伝いをしただけだ。

 

「でもねぇ、初ちゃんは聞かされてなかったかもしれないけど、茜ちゃん、結構本気で再婚するつもりだったのよ」

「え?」

「お店に茜ちゃんにお熱なお客さんがいてねぇ。最初は茜ちゃんも適当にあしらっていたんだけど、お相手は本気で、それに初ちゃんのことも親身に考えてくれるから、そのうち茜ちゃんもその気になってきた感じで」

「……へぇ」

「なのにどうして自殺なんて……。やっぱりお亡くなりになった旦那さんのことが忘れられなくて、後を追いたくなったのかしら」


 ママさんがふぅと息を吐く。

 一方でお母さんの再婚話を聞かされた篠原の反応は、正直微妙だった。

 なんとなくその気持ちは分かる。うちの家は両親とも健在だけど、もし離婚したり、何か不幸があったとして片親になった時、再婚の話を聞かされたらきっと俺も同じような反応をする。


 ましてや家族の為に自ら命を絶った父親の行動を責めながらも、それは心から慕っていたことの裏返しである篠原からしたら、新しい父親をすんなり迎え入れる気持ちにはなれないだろう。

 

「もちろん再婚は茜ちゃんの幸せもあるけど、一番は初ちゃんの未来を考えてのことよ。そこは分かってあげてね」

「はい、大丈夫です。それで……そのお相手の方は?」

「それがねぇ、茜ちゃんが失踪してからもしばらくは店に顔を見せてたんだけど、そのうち来なくなっちゃって。まぁ一週間かそこらならともかく、何ヵ月も、しかもただ店を辞めたんじゃなくてどこへ行ったのか分からないとなれば、さすがに諦めてしまったのかもねぇ」


 終わりの方は溜息交じりに零すところへ、丁度タクシーが滑り込んできた。

 最後にもう一度篠原が頭を下げる中、ママさんがタクシーに乗り込もうとして、思いついたように振り返る。

 

「そうだ、もしその人がお店に顔を出したら、初ちゃんちの住所を教えてもいいかしら?」

「え?」

「あれだけ茜ちゃんに熱を入れてたんだから、亡くなったと分かったら線香の一本でも上げたいと思うかもしれないでしょ」


 ああ、と篠原は頷いて了承し、その返事に満足したのか今度こそママさんはタクシーに乗り込んだ。

 走り行く車の後ろをふたり並んで見送っていると、篠原がはにかみながら「ちょっと焦っちゃったね」と舌を出す。

 

「ああ。その人にお世話になったらとか言われても困るよな」

「心配してくれてるのは分かるんだけどね」


 とはいえ篠原のお母さんが亡くなった今、残された娘がよろしくお願いしますと言ってきても、その再婚予定の人だって困ってしまうだろう。

 篠原だって、どこの誰とも分からない人を頼るのは気が引けるはずだ。


「じゃあ私たちも帰ろっか」

 

 篠原が骨壺を自転車の前かごに乗せて、念のためにゴムバンドで固定する。

 俺も倣って自転車に跨って、篠原の後に続いた。

 

 お母さんが戻ってきた時の為に、あのアパートで独り暮らしを続けていた篠原は、もはや無理してその生活を維持する必要がなくなった。

 こうなったら児童相談所に事情を話して、養護施設で保護してもらえばいい。親戚とも絶縁状態にあるし、きっと申請は通るだろう。


 だけど篠原は引き続き、あのアパートでの生活を希望した。

 まぁ店長が相談所の人たちに脅迫めいたことをした過去もあり、今更どの面下げて保護を頼むんだってこともある。

 でもひとり暮らしを継続させる最大の理由は、篠原にはもう真っ当な方法で生きていける力が備わっているからだ。

 居酒屋てっちゃんで今まで通り一所懸命に働けば、彼女はひとりでも生きていける。


 加えて篠原には応援してくれる人だっている。

 例えば店長は、篠原がこれまで通りアパートに住み続けることが出来るよう、保証人を買って出てくれた。

 お母さんが死んだことによって賃貸契約を渋るかもしれない大家さんも、これなら説得できるだろう。

 

 順平と美沙さんも篠原のお母さんが死んだと聞いて、何か力になれることがあればなんでもするよと言ってくれた。


 そして俺も篠原との契約を、これまでのように継続する。

 この金は、いつか篠原が大学に進学する際に使われるはずだ。

 

 お母さんは死んでしまったけれど、篠原の人生計画は変わらない。

 きっと篠原なら波乱万丈ながらも、楽しい物語をこれからも描いて行けるだろう。

 

「アッキー、ちょっとそこのコンビニ寄って」

「え? いいけど今の時間ならコンビニじゃなくてもスーパーでよくね?」


 コンビニ、高いし。

 

「買い物じゃないよ。そこのコンビニ、同じアパートの人が働いててさー。内緒で、ちょっと、ね」


 そう言ってコンビニに入っていく篠原。

 出てきた時にはお弁当をふたつ持って帰ってきた。

 

「おまたせー。ほら、アッキーの分もあるからアパートで食べようよ」 

 

 ……本当に逞しいよな、こいつ。

 でも裏にはあの夜のような姿もあることを、俺はもう知っている。

 無理をしていないかどうか、これからはちゃんと見極めていかないとな。

 そんなことを思いながら再び走り始めた篠原の後ろに付いて行くと、ほどなくして彼女のアパートに着いた。

 

 篠原がお母さんの骨壺を抱え、俺が二人分のお弁当を持って階段をあがろうとしたところで丁度雨が降ってきた。

 今はまだぽつりぽつりとだけど、すぐに本降りになりそうな予感。ボロ階段をふたりして一気に駆け上がる。


 すると篠原の部屋の前に、ひとりの男の人が立っていた。

 

 一瞬、以前来た相談所の人かと思ったけど、すぐにそうじゃないと分かった。

 あの時のおじさんよりも少し若く、年齢は俺の両親と同じかちょっと上ぐらい。なにより少し太り気味で、頭は見事につるっぱげなのが明白に違う。

 

 一体誰だろう? 篠原の知り合いだろうか。

 そう思って振り返ると、篠原も胡乱げな視線を向けている。

 まぁ、帰ってみたら部屋の前に見知らぬ男が待ち構えているなんて、ちょっとゾッとしないシチュエーションだ。

 おまけに皺ひとつない高そうなスーツを着ているにも拘わらず、降り出した雨に身じろぎひとつしないで、ただぼうっと立っているのはどこか不気味さすら感じさせる。

 

「あの、すみません。その部屋の人に何か用ですか?」


 雨足が強まってきているのを感じて、思い切って声をかけてみた。

 男が振り返る。

 感情が抜け落ちたような顔をしていた。

 それが驚きの表情に変わるのに、そう時間はかからなかった。

 

「あ……あ……」


 言葉にならない声をあげて、こちらへ近づいてくる。

 俺は咄嗟に篠原の前に立った。

 男がいきなり襲い掛かってくるとは正直思わないけれど、篠原を守らなきゃいけないと思った。

 

「あ……」


 男が1メートルほど手前で足を止めた。

 マジマジと男が見つめる先には、俺の背に隠した篠原がいる。見せてたまるかと俺は両手を広げたが、男は気にすることなくただただじーっと前を見続けてきた。

 俺も負けじと睨み返す。雨が少しずつ強まってきた世界に、じりじりとした空気が漂う。

 

「……あ! も、申し訳ない!」


 と、いきなり男が謝ってきた。

 

「え?」

「その子があまりにも若い頃の茜ちゃんにそっくりだったから、つい驚いてしまって」

「若い頃のママを知ってるんですか!?」


 男の発言に思わず聞き返したのは篠原だ。

 俺の背中から飛び出して、男と対面する。

 

「あ、ああ。申し遅れたが私は香田久幸こうだ・ひさゆきと言って」

「えっ!? 香田ってもしかしてママの!?」

「うん。あ、でも香田と言っても分家の方で、つまりはまぁ」


 男の目が慈しむような優しげなものに変わる。

 

「君の親戚の者だよ」



 ☆ 次回予告 ☆


 男は語る。

 少女の母親の物語を。

 そして少女のこれからを――


 次回、第29話『涙』

 一文字サブタイトルってかっこいいよね

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る