みんな彼女を愛している

第26話:彼女の部屋

「めちゃくちゃ痩せてたけど、確かにママだったよ」


 警察から帰るタクシーの中、篠原は意外にも平然とした様子で俺に話してくれた。

 ビルから飛び降り自殺したらしいこと。死ぬ直前は餓死直前ぐらいまで痩せていたこと。

 そして「初、ごめんね」とプリントアウトされた遺書が残されていたこと。


 警察から聞かされたことを淡々と話す篠原は、なんだかとても落ち着いているように見えた。

 警察からお母さんの死を告げられた時は呆然自失な様子だったけれど、実際に遺体と対面して現実を見たからだろうか。


 今の篠原は真面目モードではあるけれどいつもの篠原、のように見えた。

 

「なぁ篠原、その……大丈夫か?」

「なにが?」

「何がってそりゃあお前、決まって――」

「それよりアッキーこそ大丈夫? こんなに夜遅くまで付き合わせちゃって」

「ああ、家に電話しておいたから問題ない」

 

 時刻はすでに夜の12時を回っていた。

 ショックで固まってしまった篠原に付いていてあげたくて、警察の人たちを説得して俺もパトカーに乗り込み、警察署では遺体の確認の他にも色々と事情聴取などを受ける篠原を待ち続けた。


 その間に家へ電話をして、事情を親に説明した。

 今日は帰らないかもしれないと告げた。

 今夜は篠原の傍にいてやりたい。そう思ったからだった。

 

「そっか。まぁ今日が土曜日で良かったよ。明日学校があったらアッキー寝坊してたでしょ?」

「馬鹿にすんなよ。いつもだってこの時間ならまだ起きてるわ」

「へぇ、真面目に勉強してんの?」

「いや、ゲームしたり漫画読んでる」

「ダメじゃん」


 篠原が呆れたように笑う。それは本当にいつもと変わらなくて、ほっとすると同時に何だか拍子抜けしてしまった。

 いつかお母さんは戻ってくると信じていた篠原にとって、その帰還はまさに希望だったはずだ。

 なのにこんな結果に終わった今、篠原の受けたショックはかなり大きいと思っていた。

 でも案外すんなり立ち直ったところを見ると、篠原だって本当はもうお母さんが戻ってこないと思っていたのかもしれない。

 

 さすがに自殺は予想外だっただろうけれども。

 

 篠原のアパートについて、タクシーから降りた。

 同じ夜でもさっき自転車で帰った時と比べ、音も光も随分と大人しくなっているのに気付く。町が本格的な夜を迎えようとしていた。

 

 さてどうしようか。

 警察署の待合室にいた時は、アパートに寄って落ち込んだ篠原を慰めたり、あるいは自棄になって変なことをしないよう。朝まで一緒にいようかと考えていた。

 だけど篠原がこの様子なら、それは余計なお世話かもしれない。

 

「えーと、篠原――」

「アッキー、今日は色々と迷惑をかけちゃってごめんね。お詫びにお茶でも飲んでいってよ」


 帰るべきか残るべきか、それとなくお伺いを立てようと思っていたら、意外にも篠原がそんなことを言ってきたので素直にうなずいた。

 

 寝ている人を起こさない為だろう、錆びてきしむ階段をそろそろと歩く篠原を真似て続く。

 音を立てないようにそっと。まるで泥棒にでもなったかのような動きに、何かこれからいけないことをするような気分になる。

 まったく一体何を考えているんだか。ただ篠原の部屋に寄って、お茶をご馳走してもらって帰るだけのこと。それ以上でもそれ以下でもないんだと自分に言い聞かせた。

 

 階段を上がってみっつめの部屋の鍵をあけると、篠原から小さな声で「上がって」と誘われた。

 こういう時って部屋を片付ける為に少し待たされるものだと思っていたので、ちょっと驚いた。

 普段の篠原の性格からして、ひどく散らかっていそうなのに。それこそ服なんかも脱いでそのまんま、とか。


 存外とそういうところはしっかりしているんだなと見直しつつ、部屋に足を踏み入れる。

 部屋の外で待たされなかった理由が、入った瞬間に分かった。


 薄暗い蛍光灯に映し出される、年季の入ったボロアパートらしい古臭い和室のワンルーム。中央には小さなちゃぶ台。片隅に丁寧に折りたたまれた薄い布団。畳に直置きされた教科書の山。シンクの上に据えられた棚には最低限の食器類。アパートにも負けないぐらい古い扇風機。


 篠原の部屋にあるのはそれだけだった。


 衣類とかは多分押し入れに入っているのだろうけど、それにしてもあまりにも物がなさすぎる。大小の蛍光灯二本が取り付けられるのに、小さな方しか設置されていない蛍光灯の頼りない光のせいもあってか、ひどく寂しい部屋に見えた。

 

「びっくりした?」

「あ、いや、その……」

「いいっていいって。ほら、お金になるものは全部売っちゃったからさ」


 そう言えば女子校の制服をネットで売ったとか言ってたっけか。

 その時は篠原が学校を辞めたことに憤ったけど、こんな光景を見せられたら、そこまでしないと生きていけないほどだったのかと嫌でも納得させられる。

 

 同時に色々と理解できた。

 身体を売ることにした判断も。

 児童相談所の人が部屋に侵入するのを頑なに拒んだ理由も。

 

「ま、今はこんなだけど、そのうちいろいろ揃えていくよ、テレビとか。あ、でもその前にスマホが欲しいな。てか、スマホがあればテレビなんていらないか」

 

 俺が呆然と、ただそれでも篠原への理解を急速に深めていく中、篠原はやたらと饒舌だった。

 

「それにボロアパートだけど、生きていくのに必要なものはちゃんと揃ってるんだからね。ほら、トイレもあるし、浴室だってあるんだよ」


 いつも以上によく回る舌。それはきっと俺の反応に起因するのだろう。

 言葉を失うほどに驚く俺の反応に感じるのは気まずさか、それとも恥じらいかもしれない。


 だったら何か俺も話すべきなんだと思う。

 だけどどうにも言葉が出てこないもどかしさに焦っていると、篠原がニカッと笑った。

 

「ということで、私はちょっとシャワーを浴びてきます」

「……へ?」

「あ、今、えっちなこと想像した? 違うからね。昼間にあれだけ汗かいたからちょっと今、匂うんだよね、私。さすがにそれは恥ずかしいからさ。ってことでアッキーにお願いがあります」

「の、覗くな、と?」

「それは人として当たり前じゃん! そうじゃなくて私がシャワーを浴びている間、ちょっと近くのコンビニまで買い物に行ってきてくんない?」

 

 と言うのもお茶に誘いながら、実は部屋に飲み物が何もないんだよねと篠原が舌を出した。

 確かに冷蔵庫もなにもない。こいつ、普段はどうやって生活してるんだ?

 

「あ、水道水でいいなら飲み放題だよ」

「……わかった。なんか買ってくるよ」


 別に俺ひとりなら水道水でもよかったけれど、篠原と一緒に水道水の入ったコップを傾けるのはどうにも嫌だった。

 アパートを出て、自転車置き場へと向かう。この辺りは住宅街なので、少し大きな道に出ないとコンビニはない。確か来る途中に見かけたなと記憶を辿りながら、自転車のペダルを漕いだ。

 

 コンビニでは俺の飲み物と、篠原用に紅茶のペットボトルを買った。

 それにチーズ風味のポテチも。

 篠原の飲み物の好みは知らないから紅茶は適当だけど、チーズ好きなのは知っているからそちらは様々な選択肢から考えに考えて選び抜いた。

 最後はチーズおかきと悩んだけど、ポテチは新製品と謳われていた。ここは新製品に賭けたい。


 ポテチまで買ったのは余計だっただろうか、そう思い直したのは帰りの自転車を漕いでる時のことだ。

 もう夜も遅いし、ちょっとお茶して帰るだけなんだから必要なかったかもしれない。


 それに篠原は買い出しの金を払うつもりでいるだろう。

 あんな生活をしている篠原に余計なお金を出させるつもりはないけれど、変に頑固なところがあるあいつを言い負かせるには、飲み物だけで良かったのかも。

 まぁ、俺が食べたかったからと言えばいいか。そう考えながらペダルを漕いだ。

 

 アパートの階段を慎重に、ゆっくり音を立てないようにのぼる。

 部屋の前について、これまた静かにノックした。


 と、そこで気が付いた。

 篠原の部屋の明かりが消えている。

 

 最初は明かりがあまりに暗すぎて、すりガラス越しでは消えているように見えるのだろうかと思った。

 けれど昼間ならともかく今は夜だ。それで部屋の明かりが見えないってことはないだろう。

 だとしたらどうして? 篠原もどこかへ出かけたのだろうか?

 

「アッキー?」


 悩んでいたら中から小さな声が聞こえた。

 なんだ、やっぱり中にいるのかとドアのノブを捻ると鍵は開いていた。

 中に入って「なんで電気落としてんだよ?」と明かりのスイッチへと手を伸ばす。

 

「あ、ダメ!」


 予想外に大きな篠原の声にビクっと体が反応して、伸ばそうとした手を止めた。

 代わりに耳が、今度はしっかりと声量を押さえた、それでいて恥じらった篠原の声を捉える。

 

「私、その……今、裸だから」



 ☆ 次回予告 ☆


 少女の振る舞い。

 少年の勘違い。

 夜はまだ終わらない。


 次回、第27話『我慢しなくていいんだ』

 ご期待ください。

 

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