第24話:もっと弱くなっていい

 朝から照りつける太陽は午後になってさらに威力を増し、まだ梅雨明けしてないのに真夏並みの暑さになった。

 そのせいか俺たちが利用できる時間を過ぎても次の予約者たちは現れず、だったらと篠原がシュート練習を始める。


 綺麗な弧を描いて、次々とゴールに吸い込まれていくボール。

 その感覚を掴む為に、一体どれだけの努力を積み重ねたのだろう。

 俺たちの通っていた中学はどの部活もそんなに強くはなかったけれど、負けず嫌いな篠原のことだ、それでも練習へ打ち込んだに違いない。

 結果はともかく、そんな頑張りが今の篠原を作り上げている。

 

「うはぁ、またやってるのかよ。女たちタフだなぁ」


 人数分の飲み物を両手に抱えて戻ってきた順平が「暑いのによくやるわ」と、半ば呆れたように感嘆した。

 篠原のシュート練習は、いつしか美沙さんとの1オン1に変わっていた。

 さっきの試合が終わった直後、体力尽きたとばかりにそのままコートへ大の字に寝っ転んだ美沙さん。

 それがわずか10分ほどで戦線復帰とは、なんて恐るべき回復力だろう。俺なんかいまだコートを囲んだフェンスにもたれて座ったまま、立ち上がる気力すらないと言うのに。


「ほれ、アッキー」


 そんな俺に、順平がペットボトルを投げて寄こしてくる。

 乾いた喉に流し込みたいのをぐっと我慢して、まずはほど良く冷えたその容器を額に当てた。

 上がり過ぎた体温を冷ましてくれて、とても気持ちいい。しばらくはこの感覚を楽しむことにした。

 

「おーい、お前らの分も買ってきたぞー」


 勝負中の女性陣に呼びかけながら、順平が俺の隣に座った。

 妙に近い距離が気になった。コートには俺たちしかいないんだから、もうちょっと離れたらいいのに。暑苦しいじゃないか。

 そう視線で訴えるも、呼びかけに全く反応しない篠原たちと同じように、順平はあっさり無視した。


「あーあ、美沙の奴、さっきの試合で負けたのがよっぽど悔しかったんだな。付き合わされる篠原さんも大変だ」

「でもこっちが負けてたら、篠原だってリベンジを申し出てたと思うぞ」

「遊びなんだから、そんなマジになる必要もないと思うんだけどなぁ。せっかく買ってきたのに、試合が終わる頃にはぬるくなっちまう」

「勿体ないから篠原の分をくれよ」

「いいけど、飲んだら後ですっげぇ怒られるんじゃねぇの?」

「大丈夫」


 順平から手渡された篠原の分を、今度は首筋の裏に当てた。

 おおっ、前から後ろから冷やされて気持ちよさ二倍。同じ温くなるならこうして活用してやった方が、ペットボトルだって本望だろう、多分。


「篠原には内緒な?」

「内緒も何も、試合しながら見てるんじゃないか?」

「いや、あいつ、何かに夢中になると周りが見えないから問題ないって」


 それは篠原の良いところであり、悪いところでもある。

 例えば高校受験の時、篠原は驚異的な集中力で成績をどんどん上げていった。

 かと思えば幾ら生きていく為とは言え、自分の身体を売るなんてこともやってしまう。

 

 言うなれば危ういんだ。

 良い方向へ向かうならば全然かまわないんだけど、悪い方向へもこちらから見たら容易く一歩を踏み込んでしまうところがある。

 もっと周りに頼ってもいいのにと思うけれど、篠原は頑張れば自分で何でもできる奴だから、つい頑張りすぎてしまうんだろう。

 

 多分、篠原が今の苦しい生活を中学時代のクラスメイト達に相談したら、彼女を助けたいって奴はいっぱいいるに違いない。

 それぐらい友だちが多かったし、誰からも好かれていた。

 なのにそうしないのは、篠原のプライドということもあるだろう。でも一番は篠原自身が強すぎるからだ。

 

 篠原はもっと弱くなっていいと思う。

 周りに頼っていいと思う。

 俺だって篠原からしたら頼りなく見えるかもしれないけれど、頼ってもらえたらきっと――。

 

「そう言えば、さっきのは良かったな」

「え?」

 

 ぼんやりと物思いに耽っていたから、順平が何を指して良かったと言っているのか、咄嗟に分からなかった。

 もしかすると美沙さんと対戦中の篠原が今、なにかスーパープレイでもやらかした……にしては大人しすぎるか。あいつならきっと「どうよ、アッキー! 今の見た?」って思い切りアピールしてくるはずだ。

 

「ほら、さっきの試合で篠原さんがフェイダウェイシュートを打ってからの一連のプレイだよ」

「ああ、あれな」


 答えながら、順平の口調に熱中症を気遣ってか少し俺を心配するような素振りが見えることに気付く。

 大丈夫と答える代わりに、額に当てていたペットボトルのキャップを外して喉を潤した。

 少しぬるくなってはいたものの、乾いた大地に水が染み込むイメージが、次いであの時のボールの描いた綺麗な弧が頭の中に広がった。

 

「元女バスだけあって、あそこで走り込んでくるあたりさすがだよな」

「いや、違うって」


 途中で順平に否定された。

 あれ? 違う? でも篠原がフェイダウェイを打ったのって、あのシーン以外にあったっけ?

 頑張って記憶を手繰ったものの、それらしいものを見つけ出せない。うーん、もしかして本当に熱さで頭をやられたか?

 

「俺が良かったなって言ったのは、篠原さんのプレイだけじゃなくて、お前たちの連携の方だよ」

「え? でも俺はただ必死に手を伸ばしただけなんだが?」

「何言ってんだよ。その前にもリバウンドを取ろうと走り出しただろ?」

「そりゃあまぁ」


 だってあそこで走ってなかったら、後で篠原にどれだけ怒られるか分かったもんじゃないしな。

 

「俺はてっきりお前にパスが来るもんだと思っていたからさ、だからシュートを打たれて『あ、やられた』って思ったんだ。ほら、昼飯の時に球技大会の話を聞かされたろ。それでてっきりシュートが入るもんだって思って、一瞬足が止まった」

「なんせ三中の空冗談だからな」

「なぁ、なんであれが外れるって分かったんだ?」

「なんでと言われても……」


 なんとも説明しにくい話だった。

 あの時、篠原に名前を呼ばれた。

 それだけで篠原が俺に何をして欲しいのか瞬時に分かったから、ゴール下に走った。

 本当にそれだけだった。

 なのに順平は「それがスゲェ良かったなって思うんだよな」と続けて、不意に俺の耳元へずいっと口を近づけてこう言った。

 

「なぁ、もうエゴとか胡麻化さないで告白しちまえよ」

「…………」

  

 首筋の裏にあてたペットボトルが随分と温くなっている。

 そもそも俺の汗にまみれたものを手渡すのも悪いし、篠原にはまた新しいのを買って来なくちゃななんて思った。



 ☆ 次回予告 ☆


 楽しかった一日が終わる。

 いつの日か、いい想い出に変わるはずだった一日が……。


 次回、第25話「楽しかった一日の夜に……」

 運命が再び動き始める。

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