第23話:アッキー!
バス、バス、バス。
篠原がゆっくりとしたテンポでボールを突く音が響く。
キュッ、キュッ、キュッ。
その篠原の動きを見ながら、俺は順平を出し抜こうと、順平は俺を抑えようとゴール前で互いに牽制し合う。
じー。
そして美沙さんは、どんなにちょっとした動きでも見逃さないとばかりに篠原を凝視していた。
午後に2オン2バスケを持ってきたのは、昼食時に盛り上がった話題からの成り行きじゃない。最初から午後にやろうとコートの予約を入れておいた。
バスケをやっていた篠原なら絶対やりたいはずだし、かと言って午前中に持ってきたら、これだけで篠原は体力を全て消費するかもしれないからだ。
球技大会の閉会式で疲れ切って立ったまま爆睡したこと、これもばっちり覚えているからな、篠原。
「篠原、気を付けろ。美沙さん、なんかこれまでと違うぞ」
声をかけても篠原がピクリとも反応しないのは、彼女も気付いているからだろうか。
ここはじっくり攻めようと、目の前の美沙さんに集中していた。
試合はここまで拮抗している。
篠原はさすがの経験者ぶりを発揮して美沙さんを翻弄し、俺と順平の身長差のハンデを埋める活躍を見せている。
ただ、ここにきて美沙さんのプレイが変わった。
それまで無闇に手を出してはあっさり抜き去られることが多かったのに、急にじっと身構えて、篠原の一挙一動を観察するようになった。
まるでここからは本気だぞと言わんばかりだ。
チラッ。
篠原がゆっくりドリブルしながら、一瞬視線を俺に飛ばしてきた。
美沙さんがつられて俺の動きに注意を向ける。
その隙を狙って、篠原は一気にスピードを上げて美沙さんを抜きにかかった。
俺へのパスと見せかけたドリブル突破。
俺自身、パスが来るものだと思って身構えたほどだから、これにはきっと美沙さんだって……。
「甘いよ、初ちゃん!」
ええっ!? なんで今のに引っかからず付いていけるんだ?
「アッキー君にパスなんてないってバレバレだって」
……そうですよね。何度かパスを貰いましたけど、結構な確率で順平に奪われてますもんね。
今の俺の利用価値なんて、フェイントに使うぐらいしかないよね。
しかも失敗してるし。まぁ、これは俺のせいじゃないけど。
ドリブル突破を図るも、あっさり見破られてコースを切られた篠原は、少し悔しそうに唇を噛んだ。
一気に抜き去ってゴールを決めるはずが、逆に今は態勢が悪い。
「篠原、こっち!」
かくなる上は下手糞でもなんでも俺がボールを一度受け取って立て直そう。
ゴール前から離れて篠原へと近づいていく。
順平も俺の動きについてくる。
おのれ、俺へのパスをカットするつもりか。そう何度もやらせはせんよ!
「アッキー!」
篠原が俺の名前を呼んだ。
いつもと変わらなかった。
いつものように、大勢のお客さんで賑わう居酒屋てっちゃんで「アッキー、レジお願い」と指示を飛ばす時のように。
いつものように、バイトが終わって駅へ向かう途中、何かを見つけた篠原が「アッキー、あれ見てよ」と教えてくる時のように。
そしてかつてまだふたりが中学生だった頃、登校してきたばかりの俺を見つけて「アッキー、今日の一限、自習だってさー」って自慢げに話す時のように。
本当になんてことはない、ただの日常のやりとり。
アッキー。アッキー。アッキー、アッキー、アッキー……。
何度篠原にそう呼ばれたことだろう。何度これからも呼ばれることになるんだろう。
それは分からないけれど、ただこの時、この瞬間、篠原がどうして俺の名前を呼んだのか、何を伝えたいのかはっきりと分かった。
篠原から視線を切る。
足を、身体を、頭を、全てを無理矢理急転回させる。
振り向いたら驚いた順平の顔が見えた。
こいつがこんな表情をするのは珍しいなと思いつつ、一瞬ですれ違って元居た場所――ゴール下に向かってダッシュする。
視線を少し上げると、ゴールに向かって飛んでいくボールが見えた。
「くそっ、パスと見せかけてフェイダウェイかよ! さすがは三中のマイケル・ジョーダン!」
「順平、急いで!」
背後から順平と美沙さんの声が聞こえた。
次いでキュッとコートを激しく擦れる靴底の音と、慌てて追いかけてくる順平の気配。
篠原のシュートが外れると美沙さんが見当をつけて順平に指示を出したのは、放たれたボールに少しでも触れたからか、それともシュートが外れると見た俺がゴール下へと急いだからか。
仮に後者だとして、もしボールがゴールに吸い込まれたら、後で篠原に「外すわけないじゃん! アッキー、私のこと全然分かってないッ!」ってしこたま文句を言われそうだ。
大丈夫だよな?
あの「アッキー」は「リバウンド回収よろしくね、アッキー」の意味だよな?
ちょっと不安になった。思わず頼むから外れろ、外れてしまえと念じる。
それこそ篠原に知られたらぶっ飛ばされそうなことを考えながら、さらに足へ力を込める。
ゴンッ!
念が通じたのか、ボールがリングに弾かれた。
いいぞと一瞬思ったけれど、ボールが想像よりも大きく弾かれ、俺の頭上を通り越してしまったので、そんな余裕はなくなってしまった。
これではシュートを打つどころか、順平よりも先にリバウンドのボールを回収出来るかどうかすら怪しい。
頼むからもっと素直なリバウンドになるようなシュートを打ってくれよなどと無茶なことを思いながら、ジャンプしてのけぞり、後ろに手を必死に伸ばした。
同じようにボールへ手を伸ばす順平の顔が見える。
そしてその後ろ、例によってシュート後に思い切り尻をコートに打ちつけながらもぐっと我慢し、素早く立ち上がって走り寄ってくる彼女の姿も。
「篠原ァ!」
大きな声をあげた分だけ腕が伸びた、なんてことはあるのかどうかは分からないけれど、おそらくは火事場のクソ力的な何かで順平よりも先に届いた指先で懸命にボールを押す。
空中で力を加えられたボールは軌跡を変え、順平の手を、頭を通り越してコートに落ちてバウンドし
「ナイス、アッキー!」
走り込んできた篠原の手に渡って、今度こそゴールへと吸い込まれる綺麗な放物線を描いたのだった。
☆ 次回予告 ☆
少年は思う、少女のことを。
少年は願う、少女のこれからを。
だからまだ、思いは伝えない。
次回、第24話「もっと弱くなっていい」
首筋に当てるスポーツドリンクは冷たい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます