第19話:また店長が無茶を言い出した

 篠原の作る賄い料理は、どれもお世辞抜きに美味しかった。

 まあ傍らで店長が「俺の店で人死にが出たら困る」とばかりに、監修しているおかげもあるのだろう。

 力士・篠原山も無事廃業と言ったところか。


 また、あれから児童相談所も何も言ってこなくなったらしい。

 果たして店長のはったりが効いたのか、それともこの現状を把握しているからなのか。

 詳しくは分からないけど、お母さんが戻ってきた時の為に、今はひとり暮らしを続けたい篠原としては、どちらにしろいい方向に進んでいると言えた。

 

 もっとも肝心のお母さんの行方は、依然として分からない。でも、篠原は希望を捨てていない。

 お母さんがいつか戻ってくると信じて、今はただ毎日をしっかり働くことに専念しているように見えた。


「おい、童貞。ちょっといいか?」


 そんなある日のこと、夜営業の開店前清掃をしていたら、店長に呼び止められた。

 

「なんですか? 俺も買い出しに行ってきます?」


 ついさっき篠原が買い出しに出て行ったばかりだ。携帯を持っていたらすぐに追加もお願い出来るのだけれど、篠原は持っていない。さすがにまだそこまでの余裕はない。

 

「いや、違う。あのな、来週の土曜日、お前と初を休みにしたから」

「え? 俺はともかく篠原まで休ませていいんですか?」


 こう言ったらなんだけど、今や居酒屋てっちゃんは店長の料理よりも、篠原とのコミュニケーション目当てで通うお客さんの方が多くなってきている。

 篠原も今はめいっぱい働いて稼ぎたいので、店の定休日である火曜日以外に、彼女が休んだことはなかった。

 いきなり休ませて大丈夫だろうか?

 客が暴動を起こさなきゃいいけど。

 

「おお、常連には予め伝えておくから問題ねぇよ」


 それはそれで客が誰も来ないという可能性があるような気もする。

 まぁ、店長のプライドの為に指摘などはしない。

 

「なるほど。で、俺たちが休みだから何だって言うんですか?」

「ああ、それだがな。お前たち、その日、デートしろ」

「……は?」

「んでもって初に好きですって告れ」

「……はい?」

「で、その日のうちに童貞を卒業させてもらってだな」

「ちょ、ちょっと待って。待ってください!」


 な、な、何言ってんだ、この人!?

 なんで俺が篠原に告白をするんだよ? しかも童貞を卒業って……。


「いいか、童貞。お前が童貞であるという事実が今、非常に大きな問題になっている」

「え?」

「これを見てみろ」


 店長がスマホを取り出す。画面には飲食店のクチコミを、お客さんが投稿するグルメサイト。

 以前から店長の料理を絶賛するモノが多く、最近は店員を褒めたたえる投稿(ほとんどが篠原のことだと思われる)が増える中、ひときわ目立つ『料理も店員もいいけど、店内では『童貞』なんて言葉が飛び交うので、女性客にはキツいかも』って内容……。

 

「見ろ、お前のせいで女のお客さんが行きづらくなってるじゃねぇか!」

「100%店長のせいですよねっ!」


 これで俺の童貞が問題って、ふざけるのもいい加減にして欲しい。


「てかあんた、篠原に言われた『女性のお客さんが来ない』って言葉が、地味に効いているでしょ!?」

「うっせぇ、黙れ!」

「そもそも俺が童貞かどうか以前に、店長が俺のことを名前で呼べばいいだけじゃないですか!」

「それが出来ねぇから言ってんだろがっ!」

「出来ないってなんで!?」 

「いいか、俺はとても素直な性格なんだ。だからお前が童貞ならば、童貞と呼ばざるを得ない。お前が童貞である以上、俺はお前を童貞以外の言葉で呼ぶことなんて出来ねぇんだよ」

「真面目に言ってますか、それ!?」


 店長の目を見てみる。

 困ったことに真剣マジだった。

 

「そもそもお前って童貞を捨てる金を稼ぐ為にうちの店に来たんだろうが! なのに二ヵ月以上も経っていまだ童貞ってどういうことだ?」

「そ、それは……」

「一回目は緊張して勃たなかったのは分かる。が、二回目ともなれば、普通はちゃんと勃つだろうが!」

「だからそういうのじゃなくて!」

「ふん。どうせビビッて『やっぱり初めては好きな人とやりたいしー』とか言って、先月の給料はゲームとかに使ったんだろうが!」

「違いますよ! 給料は篠原に――」


 勢いでその名を出して「しまった」と思ったが、もう遅かった。

 店長が「篠原?」と小さく呟いたかと思うと「篠原、だァ? おい、なんでここで初の名前が出て来るんだァ!?」ってチンピラさながら抉るように睨みつけてくる。

 こうなったらもう逃げるのは無理だ。

 ああ、くそっ。絶対面倒くさい反応をされるから話したくなかったのに。

 

 俺はしぶしぶ、篠原の生活のために、彼女を毎月五万円で雇っていることを話した。

 それでもやっぱり篠原が立ちんぼをしていたことは隠す。それは篠原にとって知られたくない過去に違いないだろうから。


「はぁ」

 

 一通り話を聞き終えた店長は、小さく溜息をついた。

 そして「つくづく面倒くさい童貞だな、お前は」と毒づいてきた。

 

「面倒くさいって何がですか?」

「ンなもん、決まってんだろ。ガキのお前が毎月五万円も初に払ってるのに、まだ童貞ってあり得ねぇだろ、普通」

「いや、だってそんなお金で篠原を買うようなことは……」

「だったらなんで金を払ってんだよ? 初のことが好きだから金を払ってんだろうが!」

「べ、別に篠原が好きとかそんなんじゃないですよっ! これは俺のエゴです! 篠原に少しでもまともな生活を送ってほしいって言う俺のエゴで」

「つまりは好きってことじゃねぇか!」


 この人はなんでこうはっきり言っちゃうのか。

 いい人ではあるんだけど、デリカシーがホントないよな。だから女の人にモテない……って童貞の俺が言うのもアレだけど。


 幾ら弁解の言葉を並べても、店長は俺の話に聞く耳持たなかった。

 それどころか「お前、恋なんてエゴとエゴのおしくらまんじゅうなんだぞ」って訳のわからないことを言ってくる。

 

「とにかく、そんな中途半端な状態、俺は認めねぇぞ。いいか、童貞、今度の休みに初へ告白して一発決めろ。さもないとてめぇはクビだ!」

「そんな無茶な!」

「大丈夫だ。俺の見立てだと、初もお前のことが好きに違いない!」

「…………」 

「だから絶対イケる……と思う、多分」

「多分はやめろ」


 そもそも婚活に失敗し続けている店長の見立てなんて信頼ならない。

 こんな人の口車に乗って、それなりに上手く行っている現状を壊してなるものかと心に誓った。



 ☆ 次回予告 ☆


 喧嘩するほど仲がいい、とはこの事か。

 普段から口喧嘩ばかりしている男と少女、しかし男が無茶を言い出したと思えば、今度は少女がこれまた無茶を言い出した。

 少年はただ頭を悩ませるばかり。


 次回、第20話『福利厚生の内容を考えよう』

 お楽しみに。

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