第18話:意外な、とても意外な

 思えば篠原と一年ぶりに再会したのは、葉桜の緑が眩しい季節だった。

 それから慌ただしく毎日を送っているうちに、気がつけば梅雨に突入していた。

 春に桜を見上げていた人たちも、今はもう誰も見向きもしない。代わりに雨で濡れて鮮やかさを増す紫陽花に、多くの人がスマホを向けている。

 

 つい先日、俺は篠原に五万円の入った封筒を手渡した。

 約束の給料だ。篠原はちょっと苦笑いを浮かべながらも「ありがとねー」と言って受け取った。


 篠原の居酒屋てっちゃんでのバイトは順調すぎるほど順調で、ランチの時間から仕事に入っていることもあって、収入は当初の予定を遥かに超えた。 

 だから俺の五万円は、絶対に必要というわけでもないのかもしれない。

 ただ契約は契約だ。それに今は必要なくても、将来大学に行くのなら、その資金に充てたらいいだろう。

 

 本当ならもっと雇用者と従業員の関係らしく、ふたりの間に分かりやすい利害関係があればいいんだけど。

 さしあたって篠原に何かしてもらう要件が、どうにも見当たらなかった。




「うん、美味いっ!」


 それは俺もランチからバイトに入った、週末のある日。

 当初は手探りだったランチ営業も今ではすっかり軌道に乗り、昼の三時に一度店を閉める頃には心地よい疲労感が身体中に広がっていた。

 こういう時にすぐ賄い飯が出てくれると嬉しい。

 今日のは、たらこバター炒飯。賄いでも凝ったものを作りがちな店長にしてはシンプルだけど、たらこがいい感じに混ぜ込まれ、バターの風味が食欲をそそる逸品を、俺は一気にかきこんだ。

 

「どうだ、美味いか、童貞?」

「ういっす! さすがは店長! 顔は怖いし、口も悪いけど、料理の腕は天下一品!」

「はっはっは! ぶち殺すぞ、この野郎!」


 口では怒りながらも、顔は満面の笑みだ。

 この人、料理のことを褒められると、大抵のことは大目に見てくれるんだよな。


「しかし、そうか、美味いか」

「あれ、もしかして自信がなかったんですか?」

「まぁ、な」

「へぇ、珍しい。店長が作るものはなんだって美味しいのに」

「いや、それ、俺が作った奴じゃねぇんだわ」


 ……は?

 

「店長が作ってないって……まさか……」


 今日のランチ営業は俺と店長、そして篠原しかいない。

 俺は料理なんか出来ない。

 となれば答えはひとつ。


「まさか出前を?」

「んなわけないでしょ!」


 これまでニマニマと俺を見ていた篠原が、突然吠えた。

 

「私が作った! それしかないでしょうが!」

「またまたご冗談を。あ、分かったぞ、冷凍モノだ、これ。へぇ、最近の冷凍食品って美味しいんだな。でも篠原、レンジをチンするだけで、自分が作ったというのはあまりにも」

「むっきー!」


 おおっ、怒って「むっきー」なんていう奴、初めて見た。

 あまりにもレアだったから一瞬「アッキー」って名前を呼ばれたのかと思ったぐらいだ。

 

「なんで私が作ったって、素直に信じないのさっ!」

「だって篠原は料理が致命的に下手だから、俺と一緒にバーベキューの火おこし係に回されたんじゃないか」

「ぐっ、そんな昔のことを……」


 篠原が「ちっ!」と舌打ちして、目で店長にサインを送った。

 自分が言っても説得力がないから、店長に説明させるつもりらしい。

 バイトのくせして一体何様のつもりなんだろう。

 

「いや、信じられないのも無理ねぇが、本当に初が作ったんだ、これ」

「ちょっと店長! 信じられないのも無理がないってどういう意味!?」 

「ぶっちゃけると俺ですら今も信じられねぇ。だってよ、料理を教え始めた頃は俺が『ちょっと塩を足せ』って言ったら、こいつ、袋か,ら塩を鷲掴みにして鍋にぶち込んだんだぞ」

「わっはっは! 力士かよ、篠原!」

「力士ちゃうわっ!」

「おかげで何度心が折れそうになったことか。きっと初に料理を教えるより、ナマコに芸を仕込む方が簡単だぞ」

「ひどいっ!」

 

 怒った篠原が「そんなに言うなら食べなくていいよっ!」と、俺の前から炒飯の乗った皿を奪い取る。

 

「おい、返せよ! こっちは腹ペコなんだぞ!」

「返してほしかったら『初ちゃんシェフ、さっきはすみませんでした!』って謝れ!」

「シェフって。初、たかだか賄いの炒飯を作ったぐらいで、調子乗ってんじゃねぇぞ」

「店長も謝って。そんでもって明日から昼のランチ営業は『居酒屋てっちゃん』じゃなくて『キッチン初』に改名して!」

「はぁ、お前、調子乗るのもいい加減に」

「そもそもランチなのに『居酒屋てっちゃん』はないわー。おかげで女のお客さん全然来ないし。その点『キッチン初』なら女性でも気軽に来れるじゃん」

「はっ! 別に女なんか来なくても、男の客だけで繁盛してんだからいいんだよっ!」

「……だからいい歳して独身なんだっつーの」

「おい! お前、今なんて言った!?」


 俺は、というか、俺たちバイトはみんな知っている。

 店長が密かに婚活パーティなるものへ行っていることを。

 でもカノジョが出来たって話は聞かない。

 この店で二年近くバイトしている大学生の先輩も、今まで聞いたことがないと言う。


 つまり店長が独り身なのは、居酒屋てっちゃんのタブー中のタブー。そこに篠原が踏み込んだ!

 

「俺が独身なのと、店が男の客ばっかりなのは関係ないだろ!」

「関係あると思いまーす! 店長はもっと女性を惹きつける努力をするべきでーす!」

「努力しとるわっ!」

「ぜんっぜん足んないね。てか店長、アッキーのことを童貞童貞って揶揄ってるけど、自分こそ童貞なんじゃないの?」

「んなわけねぇだろ! 俺がどれだけ童貞にアドバイスしてやってるか、お前、知らんだろ? おい童貞、ちょっと言ってやれ……ってお前、なに呑気に炒飯食ってやがる!?」


 あ、バレた。

 いい感じにやりあい始めたから、この隙に一気に平らげてやろうと思ったんだけどな。


 篠原と店長は、相変わらずいつもこんな感じだ。

 口の悪い者同士だからか、すぐ口喧嘩になる。

 それでいていざ営業となると、息ぴったりな連携を見せるのだから不思議なもんだ。まぁ、そうでもなけりゃ篠原が料理を教えてくれと店長に乞うこともなければ、店長だって快諾しないだろう。

 

 うん、なんだかんだでいいところで働けて良かったな、篠原。

 

 ちなみに店長が俺にしたアドバイスと言えば「考えるんじゃない、感じるんだ。野生に戻れ」とか訳の分からないもの。実は俺も店長の童貞説を、少しだけ疑っていたりする。

 

「とにかくこれからは私が賄いを作るから。ちゃんと食べてよね!」

「俺は自分で作るわ」

「誰も店長には言ってないっつーの! 私はアッキーに言ってるの! 分かった、アッキー? 今日からアッキーの賄いは私が作るからね!」

「え? あ、うん」


 たらこバター炒飯は美味かったけど、他の料理もちゃんと篠原が作れる保証はない。

 それでも俺は頷くしかなった。

 きっと篠原だって五万円の給料に見合う働きを何か探していたはずだ。その結論に賄い料理を選んだことを、どうして俺が拒否できるだろう。

 

「ふっふっふ。私が料理出来るようになっているなんて、ママも帰って来たら驚くだろうなぁ」


 加えていつか戻ってくると信じているお母さんへのサプライズでもあるらしく、ますます拒むことができなくなった。

 せめて願わくば腹を壊さない程度のものを。

 俺は心の中で願いを込めた。



 ☆ 次回予告 ☆


 その一言は、意外と男にクリティカルダメージを与えていた。

 そこに見てしまった、自店への辛辣なコメント。

 男はある決意を固める。


 次回、第19話『また店長が無茶を言い出した』

 店長の命令は絶対である!

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