雇用関係は恋愛に含まれますか?

第13話:最低で最高の店長

「どうよ、アッキー」


 次の日。

 俺の指示に従って美容院で髪を切ってきた篠原は、おろしたてのジーンズとTシャツの上から羽織る桜色のカーディガンというコーデを決めて、ニマニマした表情と一緒に見せつけてきた。


「お、おう。ようやく見れるようになったな」

「なにそれ、アッキーのくせして生意気な。もっと素直に『綺麗だよ、初。最高だ』って言ってくれていいのに」

「キレイダヨ、ウイ。サイコウダー」

「うわ、むかつく!」


 そう言いながらも篠原はニヤけ顔を崩さなかった。

 何かまだ俺を言い負かすネタがあるのだろうかと思っていると、整えられた毛先を指で弄りながら、こちらの耳元で「でもアッキーって、私が中学の時にしてたこの髪型、好きだよね?」なんて訊いてくる。

 

「……別に」

「へー。でもさぁ、アッキーが声をかけようとしていた立ちんぼのお姉さんもこの髪型だったよねぇ」

「そうだったっけ?」


 変なところで記憶力がいいなと内心で毒づきながら、しらばっくれた。

 そもそも俺は、そんなボサボサの髪では採ってくれるところも採ってくれないだろうと思って散髪を命令しただけだ。

 なにも中学の頃と同じようなショートボブにしろとは一言も言ってない。

 

「ま、そういうことにしといてあげるよ」


 なのにどうしてこいつはこうも偉そうなのか。

 ショートボブは好きだが、別に他意はない。あるわけがない。

 

「とにかくお金ありがとね」

「女の子の散髪って高いよな。服はしまむらで助かったけど」

「まぁね。男の子みたいにとりあえず短く切っとけばオッケーってわけじゃないしね」


 おかげで今月のお小遣いどころか、貯金まで切り崩す羽目になったぞ。

 ホント女の子は大変だ。

 

「よーし、バイト探し頑張るぞー!」


 篠原が両手を天へ突き上げて宣言する。

 綺麗に切り揃えられた髪先が、五月の風に吹かれて肩の上でさわさわと揺れた。

 

 

 

 髪を切って、ちょっと小綺麗な格好をしていれば、篠原だったらバイトなんてすぐ見つかる。

 そう思っていたことが俺にもありました。

 

「はぁ」


 開店前の居酒屋で床に水モップをかけながら、俺は小さくため息をついた。

 本当に小さな、ちょっと疲れたなぁって感じの溜息だ。

 

「おい、俺の店で何してくれやがるんだ、てめぇ!」


 なのに厨房で作業をしていた店長の怒鳴り声が、すかさず飛んできた。


「俺の店は『客も店員もいつだって笑顔溢れるスマイル居酒屋』がモットーなんだぞ。なのに溜息なんざつきやがって。嫌ならいつだって辞めてくれてかまわねぇんだからな、このクソ童貞がっ!」

「すんませんっ! ちょっと考えごとしてましたっ!」

「集中しろっ、集中! そんなんだからテメェ、童貞卒業に失敗するんだっ!」

 

 童貞、童貞ってうるさいなぁ。

 この口の悪い、さらに言えば人相も決してよくないおっさんが、俺のバイトする居酒屋『てっちゃん』の店長・小坂鉄尾こさか・てつおさんだ。

 もともとはどこぞの組員で、逮捕を機に足を洗って……ということではなく、ちゃんとした店で修行をした料理人だったそうだ。それが何で居酒屋をしているのかというと、料亭のような肩ぐるしいような店ではなく、誰もが自然な笑顔になれる店を作りたかったらしい。

 

 ただ、その割には店員への言葉がキツい。。

 おかげで新人バイトのほとんどが、初日の一時間ほどでバッくれる。

 色々と損をしているよなぁ。だって。

 

「おい、掃除を中断してちょっとこっち来い、童貞!」

「なんですか?」

「これ、食ってみろ」

「おっ、いただきます! ……うん、美味い!」

「だろっ!? 今度店で出そうと思ってよ」


 料理一筋なだけあって、美味いもんをこうして食べさせてくれるんだから。。

 ホント、店長のまかない飯を食う前に辞めてしまうのは勿体ないし、食わせる前に逃げられてしまう店長も残念な性格をしているなと思う。

 それに。

 

「んで、さっきのは何だ?」


 店長の試作品の味見という僥倖に恵まれ、よし頑張って残りの掃除をするぞと気合を入れていたら店長がさらに声をかけてきた。


「は? さっきって?」

「溜息ついてたじゃねぇか。何に悩んでんだ、言ってみろ」


 こう見えて根は本当にいい人なんだ、この店長。

 

「いや、言わなくても分かるぞ。緊張して勃たなくなったチンポについてだな。うんうん、リベンジしようにもいざって時にまた勃たなかったらって思うとそりゃあ悩むわな」

「全然違うっ!」


 ただ、やっぱり残念な人だった。

 順平からまた俺がここでバイトをしたいと連絡を受け、それだけで俺の脱童貞が失敗に終わったんだなと決めつけた店長。

 結果としてはその通りなんだけど、内容はものの見事に間違っている。

 まぁ、本当のことを言ったら言ったで面倒くさいから言わないけど。

 

「あのですね、知り合いに一人暮らししている女の子がいるんですけど、なかなかバイト先が見つからなくて困ってるんですよ」

「すげぇブスなんだな、きっと」

「失礼なこと言うな! 違うんですよ、実はちょっと訳ありで」


 立ちんぼ云々は内緒にして、それ以外の篠原の置かれた状況をかいつまんで話す。

 店長はその間、仕込みの手を止めてしっかりと聞いてくれた。

 

「あー、なるほどな。そりゃあちょっと難しいわ」

「でも親がいないだけでどこも雇ってくれないなんて」

「世の中はそんなに甘くねぇよ。もしその子が店の金を持ってバッくれたらどうする? 誰が責任を取る?」

「篠原はそんな奴じゃないですよ!」

「分かんねぇぞ。金ってのは人間を変えるからな。あの人がまさかって、こっちが思ってもいなかったことをしでかす場合がままある」

「…………」


 確かに篠原が立ちんぼしているなんて、ほんの数日前までは思ってもいなかったことだ。

 

「それに童貞はその子のことをよく知っているから信じられるんだろうが、初対面の面接官は何一つとして知らねぇんだ。んなの、怖くてどこも雇えねぇよ」


 ……分かってはいたけど改めて大人から言われると、ずしんと現実がお腹の奥に落ちてくる。

 やっぱり無謀だったのだろうか、この計画は。

 でも一番無謀というか「金持ちでもなんでもないごく普通の高校生の俺が、バイトして稼いだ五万円を篠原に毎月支払う」という馬鹿馬鹿しさもここに極まった条件は満たしているのに、篠原のバイトが見つからないから挫折するってのはなんともやりきれない。

 

 なにも篠原のお母さんを今すぐ見つけようとか、篠原の高校中退をなかったことにしようとか、それどころか篠原のお父さんを生き返らせようなんて、そんな無茶なことをしようとしているわけじゃない。

 ただ篠原が自分の身体を売ることなく、ちゃんと働いて、それなりの生活していく。俺たちがやろうとしていることは、そんな人が生きていくうえで当たり前のことなんだ。


 なのに世間は未成年の篠原に親がいないという理由だけで、働く機会さえ与えてはくれないのか……。

 

「おい、童貞! 掃除の続きはどうした!?」

「え?」

「なにが『え?』だ? 掃除の続きはどうなったかって訊いてんだよっ!」

「あ、すんません。今からやります!」


 いきなり店長に怒鳴られて、俺は残りの掃除に取り掛かろうと慌てて厨房を出た。

 まったく現実は、若者に打ちひしがれる暇すら与えてくれない。

 もっともそんな暇があれば、その分だけ働いて篠原に五万円と言わず、六万、七万と賃金を渡せてやればいいだけのことなのかもしれなかった。

 

「あ、それから童貞」


 店長が厨房から顔だけ出してくる。

 なんだろう、掃除が終わったら買い出しに行ってこい、とかだろうか。

 店長は顔に似合わず食材にうるさいから、変なものを買ってきたら怒られる。あまり行きたくはないけれど、金を稼ぐにはそうも言って――。

 

「その子な、今度うちに連れてこい」

「……え?」

「気に入ったらうちで雇ってやる」

「マジですか!?」


 怖い顔してるし、口は悪いけど、ホントに最高な店長なのだった。


 

 ☆ 次回予告 ☆


 少女の面接が始まった。

 少年は床を磨きながら、そわそわと落ち着かない。

 果たして少女は居酒屋バイトに採用されるのだろうか。


 次回、第14話『童貞先輩』

 お楽しみに。

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