第14話:童貞先輩

 店長に言われた翌日、早速篠原を店に連れてきた。

 今、篠原はスタッフルームで店長と面接中だ。

 俺は開店前に店内の床へモップを走らせながら、頼むから受かってくれと願う。

 

 だってほら、ここで採用されないと、どこも篠原を雇ってくれないだろうし。

 一緒にバイトしたいとかそんなことこれっぽっちも思ってないし……って一体俺は誰に言い訳してるのだろう。

 

「採用された! 早速今日から働いてくれって!」


 ひとりぼっちの店内で悶々としていると、突然勢いよく扉を開けて出てきた篠原が開口一番にそう宣言してきた。

 

「お? おお……やったな、篠原!」

「うん! てか、なんでアッキー、顔真っ赤なの?」

「……篠原がなんとか受かりますようにと五体投地で仏様に祈ってたんだ」

「五体投地? なにそれ?」


 説明しようとして、やめた。ただ胡麻化すためについた嘘を説明するほど馬鹿馬鹿しいものはない。

 それに篠原だって本気で知りたいわけではなかったようで、すぐに再び興奮した様子で話題を変えた。

 

「それより聞いてよ。なんかランチもやることになって、私に手伝って欲しいって言ってた」


 おおっ、それは素晴らしい。

 俺は学校があるから平日は夕方からしか働けないけど、篠原は一日中フリーの身だ。お金を少しでも稼ぎたい彼女にとって、ランチの時間帯もここで働けるのは本当に助かる。

 

「ランチの話なんてこれまで一度も聞いたことがなかったけど、篠原のためにやる気になったのかもしんないな、店長の奴」

「店長さん、最初見た時はヤ〇ザかなってビビったけど、いい人だよねぇ」

「そうだな。で、店長は?」

「中で号泣してる」


 は?

 言われて恐る恐るスタッフルームを覗いてみると、あ、本当に顔面を天に向けて涙を滝のように流している。

 

「私の境遇を話したら見る見るうちに目を涙でいっぱいにしてさ。しまいには『ええ子や。なんてええ子なんや。こんなええ子を落としたら罰が当たるで。合格や!』って」

「なんで関西弁?」

「知らないよ、そんなこと。とにかくママが戻ってくるまで働いてくれていいって!」


 ……まさかとは思うけど、感動したのは振りだけで、その実は長期バイトをまんまとゲットできたのを泣いて喜んでいるわけじゃないよな、あの人。

 

「ってことで早速仕事を教えてよ。私、居酒屋なんて入ったのも今日が初めてだからさ。何にも知らないんだよね」

「おう、任せろ。じゃあとりあえずこれを着てくれ」


 篠原に手渡したのは腰巻のエプロン。前のバイトが使っていたお古だけど、ちゃんとクリーニングされた清潔な奴だ。

 居酒屋てっちゃんこの店には、制服なんてものは存在しない。代わりに私服の上からこれを身に着けることになっている。


「じゃあ、店長に代わって先輩である俺が、店のことを教えていくぞ」


 エプロンを腰に巻き付けた篠原に、真面目な表情を浮かべてそう宣言した。

 バイトと言っても仕事だからな。馴れ合って、いい加減なのはよくない。

 もし篠原が揶揄ってきたらひと言注意しようと思っていたら、篠原もまた真剣な眼差しをこちらに向けてきた。

 俺の考えが分かって従っているのか、あるいは篠原も俺と同じように思っているのか。分からないけれど、こちらもさらに気が引き締まった。

 

「まずこの店ではお客さんだけが楽しむんじゃなく、店員も楽しく笑顔で仕事するってのがモットーだ。なので基本的にいつも笑顔でいるように」

「いいモットーだね」

「ああ。でも店長がとにかく口が悪いんだ。知っての通り、実際はいい人で悪気はないんだろうけれど、厳しい言葉が飛んでくる。それを真に受けて笑顔が引き攣ると、また怒鳴ってくるからな。気を付けろよ」

「そういえばアッキーのことも童貞って呼んでたね?」

「な、口が悪いだろ?」

「でも事実じゃん」

「……………」

「私もここでは童貞先輩って呼ぶね?」

「やめろ!」

「そう? じゃあ普段は童貞社長って呼ぶよ。ほら、私達ってば雇用関係にあるんだし」

「……これまで通りアッキーのままでいい。これ、社長命令な」


 忘れてた。こいつも店長と同じくらい口が悪いんだった。

 

「とにかく、あんまり店長の言うことは気にしないことだ。そうしたら結構ここは楽しい職場だぞ。賄いも美味いし」

「お金を稼がせてもらえる上に、おいしいご飯まで食べさせてくれるなんてここは天国かな?」

「おまけに量も十分にある。店長あの人、この店では誰それ構わず自分の作った美味い飯でお腹いっぱいにさせないと死んじゃう呪いにかかってるから」

「呪い万歳!」


 一緒に万歳三唱をする、育ち盛りな俺たちである。

 真面目な雰囲気、どこへ行った?

 

「そんな店長のメチャうま爆盛賄いをゲットするためにも、まずはこれを覚えてくれ」


 俺が手渡した四つ折りにした紙を開くと、篠原は「おー」と歓声をあげた。

 

「これって略語表じゃん。ナマチューとか、カシオレとか、イーガーコーテルとか」

「そうだけど……最後のなに?」

「こういうのを見ると飲食店で働くんだって改めて思うよね」

 

 俺の質問には答えず、篠原はふんふんと略語表に視線を落としながらカウンターの席に座った。

 そのまましばらく黙読。休み時間では何かと騒がしい篠原が、唯一静かになるテスト期間中の頃を思い出す。耳の辺りをポリポリ掻く仕草も、あの頃と同じだった。

 

「ていっ!」


 その篠原の無防備な額めがけて人差し指を弾く。

 

「痛っ! ちょ、今頑張って覚えてんだから邪魔しないでよっ!?」


 当然ながら篠原が、座りながら抗議の目を向けてきた。

 これもまたかつて見た懐かしい光景。テスト前に必死になって暗記する篠原を、みんなしてよく揶揄って妨害したもんだ。

 

「篠原、ここは教室じゃなくて居酒屋、そして俺たちは学生じゃなくてバイトだぞ?」


 もっとも今は面白がって悪戯を仕掛けたわけじゃない。

 言われてもなおジトっとした目を向けてくる篠原に布巾を手渡して「これでテーブルを拭いてこい」と指示を出す。

 

「先にテーブルを拭けって? だったらそう言えば」

「そうじゃない。テーブルを拭きながら略語を覚えるんだ」

「……え?」

「テーブル拭きだけじゃないぞ。営業中も皿を洗ったり、グラスを片付けたりしながら覚えるんだ」

「ええっ!?」

「なんせやらなきゃいけないことはいっぱいあるからな。略語だけ覚える時間なんてない」


 バイトを始めてみて、学校生活って実はイージーモードだったんだなと思い知った。

 だって授業中は勉強にだけ集中すればいいし、部活中はその部活にだけ頑張ればいい。

 なのにちょっと社会に出た途端にこれだ。まさかサッカーの試合をしながら歴史を暗記するようなことを要求されるなんて、これまでの人生で考えてもいなかった。

 

「篠原、大変だと思うけどこれが社会の厳しさって奴で……って、あれ?」


 おそらくはまだぶーたれてる篠原に、俺は高説を垂れようとした。

 が、その篠原がいない。

 どこへ行ったかと店内を見渡す。狭い店だからすぐに見つかった。


 いつの間にか腕まくりをした篠原は、テーブルを拭きながら前に置いた略語表に目を走らせていた。

 

 忘れてた。こいつ、俺なんかと比べものにならないぐらい、世間の厳しさについては詳しいんだったっけ。

 厳しい現実にも逞しく立ち向かうそんな篠原の姿に、この店の先輩としての俺の立場がぐらつくのを感じる。

 負けてたまるか。

 気合を入れて俺はモップの柄を握り込んだ。



 ☆ 次回予告 ☆


 少女と一緒の職場で働くことになった少年。

 全ては上手く行き始めたように思えたが、そこに思わぬ落とし穴が……


 次回、第15話『ぐっどこみゅにけーしょん、ばっどこみゅにけーしょん』

 次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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