第10話:現実はどこまでも彼女に厳しく
夜の繁華街を、大勢の人に迷惑をかけながら駆け回った俺たちは、駅の向こう側に抜けて少し行ったところで力尽きた。
それにしてもさすがは大都会、こちら側も立派な繁華街で同じように人だかりの山。
おかげで行き交う人たちが、ぜーぜーと荒い息を吐きながら電柱に抱きつく俺の背中と、ガードレールにうつ伏せになってのしかかる篠原の尻をジロジロと見ていきやがる。
「み、見世物じゃ……ねぇぞ」
「そ、そんな……死に……そうな声で……言っても……意味ないよ」
喉から心臓が飛び出しそうになりながらも強がったのに、篠原にダメ出しされた。
そういう篠原だってゾンビみたいな声になっているくせに。
が、悔しいけど篠原の言う通りでもあるので、とりあえず今は心臓が落ち着くまで大人しくすることにした。
幸いにも件のおっさんは、その小太りな身体はおろか帽子すらも見えない。
「それで一体何だったわけ?」
十分ぐらい経った頃だろうか。さっきまで行き交う人たちに尻を存分に見せつけていた篠原が、今はガードレールの上に座りながら問いかけてくる。
「もし私とマラソンがしたかったって言うなら、五万円じゃ足りないよ?」
「だったら幾らだよ?」
「五百兆円!」
どんだけ走りたくないんだ、こいつ。
「……悪いけど今日は金がない」
電柱にもたれかかりながらそう答えたら、篠原がぎょっとした目でこちらを見てきた。
いや、見てきたどころじゃない。立ち上がって顔をぎりぎりまで近づいてくると「おい、今なんつった?」って凝視してくる。
こいつ、不良漫画かよ……。
「だから金がないって」
「ウソつけ。ちょっとジャンプしてみてよゴラァ!」
言われた通りジャンプしてみる。
ポケットの中から10円玉が飛び出して、コロコロと地面に転がった。
「……戻る!」
「は?」
「戻ってさっきのおっさんとヤってくる!」
ばっと篠原が踵を返した。
慌てて手を伸ばす。なんとか篠原の手首を捕まえることができた。
「離しなさいよ、アッキー!」
「離すか、馬鹿!」
「馬鹿はアッキーの方でしょうが! お金もないくせに何様のつもりよっ!」
「昨日五万円やっただろうが!」
「だったら今日も五万円払え!」
「無茶言うな! 普通の高校生がそんな大金をいつも持ち歩いてるわけないだろっ!」
しかも何もしないままくれてやったんだ。ちょっとはわがままを聞いてくれてもいいじゃないか!
「はーなーせぇぇぇぇぇ!!」
だけど聞く耳持たない篠原は、俺を引きずってでもさっきの場所へ戻ろうとする。
やっぱり篠原は馬鹿だ。ホンマもんの馬鹿だ。だってその証拠に
「うおおおっ! お前、さっきまでクタクタだったくせにどうしてこんな馬鹿力が出るんだよっ!?」
踏ん張ってるのに引きずられるぅぅぅぅ。
「ちょっと待て篠原! 俺の話を聞け!」
「ろくに金を持ってない奴の話なんて聞く必要ない!」
「昨日と扱いが違いすぎる! って、そうじゃなくてだな!」
「あの帽子のおっさん、もしかしたら警察かもしれないんだぞ!」と不揃いな毛先が揺れる背中へ告げる。
するとぴたっと、篠原が動きを止めた。
怖いもの知らずの篠原といえども、やっぱり警察の厄介になるのは嫌らしい。
これで落ち着いて話が出来そうだと手を離す――。
「って、どこへ行くつもりだ、篠原!?」
ここぞとばかりに篠原がダッシュをかまそうとした。
慌てた俺は今度は手首なんて甘いことは言わず、後ろからガバっと篠原を羽交い絞めにする形になった。
手がえらく柔らかくてむにゅっとしたものを掴む。
「おいこら、どさくさに紛れておっぱい掴むなーっ!」
「あ、すまん!」
慌てて手を下ろして篠原のお腹の辺りで再度ロックする。
不可抗力とはいえ、心臓がさっきのマラソンとはまた違う激しさで脈打っているのが自分でも分か……。
「おい、篠原! わざとか? わざとなのか、お前!?」
背後から抱きつく俺から逃れる手なんて幾らでもある。
例えば足を背後に蹴り上げて踵で股間を狙うもいいし、両手が空いてるんだから肘を俺の横腹に叩き込んでもいい。
なのに篠原が取った行動は全体重を前に乗せ、俺のホールドを引きちぎる作戦だった。
想像して欲しい。
背後から両手を腹に回して、踏ん張る俺。
腰を後ろへ突き出すようにして前傾姿勢を取る篠原。
こんなの、どうしても俺の股間が篠原の尻に密着するんだがっ!
「んなわけないでしょ! ほら、さっさと手を離してっ!」
「離すかよっ! 篠原こそ諦めろ!」
「諦めてレイプされろって!?」
「そんなこと誰が言った!」
「うわー、誰か! 誰か助けてくださいー! レイプされるー!」
「馬鹿っ! 冗談でもそんなこと大声で言うなっ! 本気にする人がいるかもしれないだろ!」
ああ、もう埒があかねぇ。
「篠原、なんでだ!? なんで捕まるかもしれないのに戻ろうとするんだ!?」
問いかけながらありったけの力を振り絞って、俺よりも背が高い篠原を持ち上げた。
相撲で言うところの、送り吊り出しの形だ。どすこい。
「そんなの、決まってるじゃん!」
空中に持ち上げられて篠原が手足をジタバタさせながら答える。
「お金だよ! お金がいるの!」
「でも警察かもしれないんだぞ!」
「警察じゃないかもしれないでしょ!」
それはそうかもしれないけれど、でも、だからと言って捕まる可能性もあるのにそこまでしてお金が必要なものなのか?
俺は持ち上げた篠原を再びガードレールに座らせた。
篠原と対面する。
さぞかしふくれっつらをしていると思っていたら、篠原は妙に冷めた目で俺を見ていた。
「な、なんだよ……」
思いもよらぬ反応に少なからず動揺した。
なんでそんな目で俺を見てくるのか、全く分からない。
そんな俺に篠原は「アッキーって子供だよね」とぽつりと言った。
「は? んなの、篠原だって」
「生きていくにはお金がいるの。それをアッキーは子供だから分かってない」
「馬鹿にすんな! それぐらい俺にだって」
「ううん、アッキーは分かってない。分かってないから」
昨日私に五万円くれたんだ――
澄んだ瞳でそう言った篠原の声は、何故だか妙に大きく聞こえた。
「五万円あればどれだけ人は生きていけるのか、アッキーは知らない。知らないから五万円で女の子を買おうとするし、私にぽんとくれたりする。そんなことするのはよほどの金持ちか、あるいは生きることの大変さを知らない子供のどっちかだけだよ」
「…………」
「アッキー、生きるのは大変だよ。本当に、本当に、大変。だからお願い」
「なんでだよ!?」
気が付けば叫んでいた。
後も先も考えていない。
ただ「お願い」のその後の言葉を聞きたくない一心で、俺は――
「いくら生活が苦しいからって、なんで身体を売ったりするんだよ!? そんなことするなよ! 俺たちまだ高校生だぞ! いくらなんでもおかしいだろ、そんなの!」
ひたすら子供じみたわがままを口にしていた。
「確かに俺はガキだよ。篠原みたいに生きていく苦労は知らねぇよ。でも、篠原のやっていることはやっぱりおかしい。んなことしなくても金を稼ぐ方法は幾らでもあるじゃねぇか。コンビニでも、居酒屋でも、ファミレスでも、パチンコ屋でも」
「……コンビニバイトはやってたよ」
「だったら」
「でもクビになった」
ゆるく頭を振る篠原。
そして彼女が置かれた、さらなる現実の厳しさを俺は知ることになる。
「だってママが出ていっちゃったからね」
☆ 次回予告 ☆
立ち去ろうとする少女を前に、少年は思う。
もしかしたらもう二度と、自分の知る少女に出会うことはないのかもしれない、と。
次に会った時は、もう自分の知らない少女になっているんだろう、と。
次回、第11話『決めたぞ』
どうぞご期待ください。
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