第9話:走れ

 夕方。

 俺は今日もまた昨日のあの通りへと向かっていた。

 篠原のアパートに行くことも考えたけど、入れ違いになるのが怖い。それに篠原が来ないなら来ないで、それなら何も問題なかった。

 

 注視しなければならないのはふたつ。

 ひとつは篠原自身がやって来るかどうか。

 そしてもうひとつは警察らしき人物の存在。

 ただし、前者は分かりやすくていいが、後者はいわゆるおとり捜査だろうし、素人の俺に判別がつくとは思えない。

 

 なのでとりあえずは篠原にだけ注意することにする。

 

 太陽がまだ落ち切っていない黄昏時の街、大勢の人が行き交う中をすり抜けるように急ぎ足で歩く。

 途中何度も制服を着た女の子たちとすれ違った。本当なら篠原だってその中のひとりだったはずだ。

 今さらあの中に篠原が戻るのは無理かもしれない。だけど何もかもがあの子たちと全く違う道を歩かなくてもいいだろうと思う。

 

 少しでもいい道を歩いてくれれば。その手助けを俺が出来るのならば。

 そう思ったら自然と足がどんどん速くなった。


 立ちんぼは早ければ夕方からいると言う。

 篠原が何かバイトをやっているかは知らないが、もしやっていないのなら早い時間帯から並んでいるんじゃないかなと睨んだ。

 その読みは当たった。喜んでいいのかは微妙なところだけど。

 

 今日も篠原は通りに立っていた。

 昨日と同じジャージ姿で。

 本人曰く、売れそうな服はあらかた売っちゃったし、自転車を一時間近く漕いで来るからジャージだったら汗だくになっても問題ないってことらしいけど、周りが綺麗な格好をしている人たちばかりだから妙に浮いている。

 それでもジャージ姿ってのがまたリアルJKっぽくていいじゃん、おっさんはそういうのが好きなんでしょと篠原は気にしていなかった。

 

 そんな篠原の作戦が功を奏したのか、まさに今、客であろう男から話しかけられていた。

 客は太った中年らしき男だった。

 昨日の奴もそうだったけれど、あいつ、あの手のに人気あるなと思いつつ、慌てて篠原の方へ駆け寄る最中にそうじゃないことに気付いた。


 あの手の、じゃない。あの客、昨日篠原を見ていた小太りの男だ! 


 着ている服は違うけれど、深々と被った帽子には見覚えがあった。 

 昨日はダメだったから、今日こそはと思ってやってきたのだろうか。

 勿論、それもあり得ると思う。

 でも別の可能性も頭に浮かんだ。

 

「篠原ッ!」


 気が付けば俺は篠原の名前を叫んでいた。

 中年男と話をしていた篠原が、驚いた様子でこちらを向く。

「あれ、アッキー、今日も来たの?」とかなんとか言ったような気がしたけれど、そんなのは無視して篠原に近づくやいなや、その手を取って元来た方向へと走り出した。


「ちょ、アッキー! 一体何を!?」

「うるさい! 早く逃げるぞ!」


 壁にもたれかかり、スマホを弄っていたお姉さんたちが顔を上げる中、俺たちは人混みの中へ身を投げ出す。

 手を繋いで走り抜けるにはあまりに人が多すぎるけど、逆にその人の多さが俺たちの逃亡を助けてくれるはずだと、意を決して人混みの中に突っ込んだ。

 

「アッキー、マズいって! 怒られちゃうよっ!」

「仕方ねぇんだよっ!」

「何が仕方な……ああっ! ごめんなさーい!」


 躱し切れずにぶつかってしまったサラリーマンに、篠原が通りすがら大声で謝罪する。

 

「馬鹿! そんな大声出したら見つかるだろうがっ!」

「見つるかるって誰に!?」

「さっき篠原に話しかけていた帽子のおっさんにだよっ!」


 背後をちらりと見やる。

 おっさんが追いかけてくる様子は見えなかったけれど、走る足を緩める気にはなれなかった。


 ☆ 次回予告 ☆


「アッキーは分かってないんだよ。だから五万円を私にくれたんだ」

 そして少女はさらなる現実の厳しさを語り始めた。

 次回、第10話『現実はどこまでも彼女に厳しく』

 ご期待ください。

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