第8話:後悔と現実と
翌日の朝。
篠原がこちらに背を向けてブラを外すところで夢から覚めた。
ぐはっ、我ながらなんて未練がましい夢を……。
朝から恥ずかしさのあまり、ひとりベッドの上で悶絶する。
まったく、こんな夢をみるぐらいなら、あそこで変に格好つけなくてヤればよかったんだ。
篠原だって別に軽蔑とかしなかっただろう。五万円貰って了承していたわけだし。
だけど俺は彼女の部屋に上がらなかった。
今はその選択を悔やむより、貫いた意志を尊重する他ない。
それに差し当たって苦慮すべきことがあった。
俺はまだ童貞……。
そして童貞を卒業するための資金は、もはや手元に残されていない……。
ああ、こうなったらまたあの軍隊居酒屋でバイトするしかないかなぁ。。
ただ、あんなことをしちまった以上、順平からまた女の人を紹介してもらうのは可能なんだろうか。
ふとスマホの電源を入れる。
案の上、順平からメッセージが入っていた。
その内容は大きくわけてふたつ。
ひとつは予想通り、昨夜の件についての苦情だった。順平が用意してくれたあの女の人が、あの後すごい剣幕で順平に電話をかけてきたらしい。
なので詫び代として三万円を払ったので、必ずこれを支払えとのこと。
そしてもうひとつは、彼女をキャンセルまでして俺が買い求めた同年代の女の子について。
こちらは詳細なレポートの提出を要求された。
誰が出すか、馬鹿。
というか実際、レポートを書けるようなことは何もして……いや、待て。
あの後、俺が篠原を彼女のアパートまで送っていっただけで何もしていないなんてことを、順平が知るはずもない。
普通に考えたら、そのままヤったと考えるものだろう。なんせ5万円も払っているわけだし。
だったらそう勘違いさせたらいいじゃないか。
そもそも俺はどうしても女の子とヤりたいわけではなく、ただ童貞と周りから馬鹿にされるのが嫌なだけだ。
それを回避できるのなら、敢えて勘違いさせておくのはアリよりのアリ。むしろ軍資金を稼ぐためにまた軍隊居酒屋で働かなくて済むことを思えば、これしかない妙案と言える。
おおっ、やった!
なんだかんだでお悩み解決だ!
と、そこへ順平から新しいメッセージが届いた。
『言い忘れてたが詫び代の三万円は、返済が遅れる度に利息がつくからな。早めに返せよ』
なんだよ、結局、軍隊居酒屋でのバイトはしなきゃいけないんかいっ!
思わずスマホをベッドに投げつけた。
ああ、世知辛い。世知辛いなぁ。
だけどそんな社会の厳しさに、俺なんか比べ物にならないぐらい晒されている奴がいる。
気が付けば俺は自分のこれからよりも篠原の今のことを考えながら、学校に登校していた。
昼休み。
「そりゃあお前、
順平は教室でカレーパンを頬張りながら、辺りも憚らずに断言した。
さすがは男子校、共学でこんなことを大声で言ったら女子からの目が怖いに違いない。
「いや、それ以外の方法で何かないか?」
『俺たちと同年代の女の子が、お金を稼ごうとしたら何がいいか?』の問いに『売春』はあまりに芸が無さすぎだろと暗に伝えたつもりだった。
が、順平はそれ以上のものを感じ取ったようで、ニヤァと実に嫌な笑みを浮かべる。
「そうかそうか。そんなに初めての子は良かったか」
「は? 何を言って」
「だってそうだろう、女の子と初めてヤった次の日にこんな相談をしてくるなんて、その子にもうそんなことはやめてほしいってことなんだろ?」
……ヤってないけど、まぁ、そうだ。
あれから考えた。
五万円は確かに大金だ。でも篠原の現状を変えられる金額じゃない。
だから篠原はこれからも夜の街に立つだろう。そして篠原を買い求める男は必ずいる。昨夜の帽子を被ったおっさんのように。
「その子、俺の中学時代の知り合いでさ。家庭の事情があるとはいえ、そういうことをしなくちゃいけないってなんかほっとけないだろ」
「ははぁ、なるほど。アッキー好みの子を用意したのに、それをフッたのにはそういう理由があったか。確かにアッキーなら全然知らない理想の人より、多少好みとは違っていても知っている人との方がやりやすいかもな」
だからヤってないんだが。
と言いたいのを、ぐっと我慢する。それに言ったところで五万円払って何やってんだと呆れられ、話のネタにされるだけだ。
「でもお前、だからっていきなり俺の女になってくれってのは意気込みすぎじゃね?」
「だからそうじゃねぇって!」
俺の女とかそうじゃなくて、ただ俺は篠原にああいうことをやってほしくないと思うだけだ。
なんでそう思うのかは自分でも正直よく分からないけれど。
「そういやパパ活って言っても、ただ飯を食ったり、デートするだけの奴ってあるよな」
なんか話が望ましくない方向に行ってしまったので、あからさまではあるけれど修正することにした。
「あれって立ちんぼなんかと比べてやっぱり安いのか?」
「いいや、そうでもない」
おおっ! だったら!
「でもただのデートに一万も二万も出すと思うか? 表向きはともかく裏ではやっぱり肉体関係を持ちたいと思っている奴がほとんどだろうし、そうなることもきっと多いだろうよ」
「あ……」
「それにセックスしないにしても、その子が他の男とデートするのを許せるのか、アッキー?」
「だから別にそういうのじゃないって!」
言いながらそれはそれでやっぱり嫌だなと思った。
別に篠原が誰とデートしようと構わない。
でも好きでもない奴とお金目的でするのはなんか嫌だった。
デートするなら好きな奴とか、好きになれそうな奴とやれ。それが当たり前というものだろう。
って、ああ、そうか。
俺はきっと篠原に当たり前の生活を送ってほしいんだな。
父親を失い、いくら生活が苦しくても、それでも篠原には身体を売ったり、好きでもない奴とデートしたりとかしなくていい日常を、当たり前のように過ごしてほしいだけなんだ。
ただ、その当たり前がどれだけ難しいか。
篠原はきっと俺以上に実感していることだろう。
「あ、でも立ちんぼを辞めさせるのなら急いだ方がいいぞ」
少し考えごとに耽っていたら、順平が不意にそんなことを言ってきた。
「そのつもりだけどなんでだ?」
「昨日お前がフった女子大生から聞いたんだ。あの辺り、近いうちに警察の取り締まりが入るみたいだって」
「ええっ!?」
そうか。その可能性もあったか!
見知らぬおっさんに買われるという可能性ばっかり考えていて、すっかり立ちんぼが違法だってことを忘れていた。
それはマズい。とてもマズい。
立ちんぼがどれだけの罪に問われるのかは知らないが、いかんせん篠原は未成年だ。
下手したら少年院に送られることだってあり得るかもしれない。
でも逆に考えたら、この情報は今日の篠原の足を止めることが出来る。
警察に捕まる覚悟はしているだろうが、かと言ってその可能性が高い地雷原に足を突っ込むほど篠原はアホではない……と思う、多分。
とりあえずこうなったら電話だ、電話。
俺はニヤける順平を無視してスマホを操作する。電話番号は中学時代の付き合いで知っていた。
コミュニケーションアプリでメッセージを送ってもよかったけど、ずぼらな性格の篠原があんまり見ないことを、これまた中学時代の経験からよく知っている。
だからこういう時は直接電話してやるに限るのだけど、スマホを耳に当てる俺に聞こえてきたのは篠原の声ではなく『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』という無機質な声……。
そうか、生活が苦しいんだからスマホを解約していてもおかしくないよな。
だったら直接会って話をするしかない。
「アッキー、バイトするなら店長が今日から早速来てくれって言ってたんだが」
「悪い、順平。今日は行けないって言っておいてくれ」
「お前ねぇ、親友に立て替えてもらった三万円を早く返そうって気はないの?」
そう言いながら俺の背中を叩く順平。
相変わらずニヤけているその顔から、催促ではなく激励の意味であることは明らかだった。
⭐︎ 次回予告 ⭐︎
少年は走る、少女の手を握って。
振り切りたいのは追跡者か、それとも厳しすぎる現実か。
次回、第9話「走れ」
ご期待ください
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