第7話:彼女のアパート

 主に篠原がやらかしたせいで、逃げるようにしてファミレスを後にした俺たち。 

 今はその篠原を後ろに乗せて、夜の街を自転車で走っている。


 目的地は彼女のアパート。スマホで検索するとおよそ8キロの道のりだ。

 それを俺よりも背が高い篠原を後ろに乗せ、しかも背中に時折当たる何やら柔らかいものの誘惑に打ち勝ちながら、どうにかして踏破しなくてはならない。

 つまりは体力的にも精神的にもなかなかハードな状態だった。


「しかし、いくらご自慢の逸品かは知らんけど、なんで自転車で来たんだよ?」

  

 行き交う車のライトや街の街灯、派手なネオンの看板に照らし出される、俺たちが乗っている薄い桜色のママチャリ。

 篠原が中学の時から使っているものだった。今時珍しい国産モノらしくて、なるほど2年も乗ればいろいろなところにガタが来て乗り換えが必要な中国製と違って、使い込んでいる割にはまだまだ全然しっかりしている。

 

 にしてもロードバイクじゃあるまいし、ママチャリで8キロって距離はない。

 疲れるし、何より移動には電車という便利なものがある。

 

「だって電車代が勿体ないじゃん」


 でも、今の篠原は往復400円払うより、自分の体力を犠牲にする方を選ぶのだった。

 もっとも今は俺の体力が犠牲になっているのだが。

 

「くそっ。こんなことならあんなに食べさせるんじゃなかった」

「なにそれ、まさかこの初ちゃんが重いとでも?」

「少しでもその自覚があるなら上り坂では降りろよな」

「死んでも降りるか! あ、でもアッキーが『ひ弱な僕では上り坂でニケツは無理ですぅ。お願いですから降りてくださぁい』って泣いて頼むなら考えてやらなくもないかな」

「誰がひ弱だ! 篠原如き何も乗せてねぇのも一緒だ!」


 正直、長い上り坂では降りて欲しいのが本音だったけれど、でもこんな中学時代と変わらないやり取りが今は妙にホッとする。

 特に篠原のアパートへ行こうという提案に対し、激しい抵抗があるかと思いきや「むぅ。嫌だけど、五万円もらってるから仕方ないか」なんてことを言われた後となっては。

 

「あ、そうだ、アッキー。訊きたいことがあったんだけど」


 そんな意地の張り合いをしばらくしていると、篠原がふと思い出したとばかりに質問してきた。

 

「ねぇ、アッキーって童貞なの?」

「なっ!?」


 あまりにもな質問に気が動転して、ハンドル操作をわずかにミスった。

 ちょっとだけ車体が揺れる。

 なのに篠原は敏感に察して「ふっふっふ。やっぱり童貞だったか」と結論付けた。

 

「ど、ど、ど、童貞ちゃうわっ!」

「いやいや隠さなくてもいいって。そもそも高校生のくせして女の子を買いにきた時点で大体察しは付くしさ。どうせアレでしょ、女の子とヤったことがあるって学校で自慢したいだけでしょ」


 男ってアホだよねと篠原。それはまったくもって同感だ。

 

「でもアッキーもアホなのは意外だったな。ほら、アッキーってちょっと乙女じゃん。初めてはちゃんとした恋人としたいとか言っちゃったりするような」


 ……悪かったな乙女で。

 てか、普通はそう考えるもんだろ?

 

「まぁ、今からするのにアレなんだけどさ、どうせえっちなんて大きくなれば誰だって経験するんだから、その早さを自慢しても後になって虚しい気分になるだけだと思うけどねぇ」

「……別に自慢するためじゃねぇよ」

「だったらなんで女の子を買いにきたの?」


 童貞であることを自白するのはカッコ悪いし恥ずかしいけど、経験済みなのを周りに自慢するためと篠原に誤解される方が嫌だったから、俺は正直にこうするしかなかった経緯を説明した。

 その結果。

 

「うわー、男子校ってアホの巣窟じゃん!」


 俺の通うそれなりの進学校が、篠原の中でまさに今、Fランにまで降格した。

 

「いや、違うんだって。日常生活の中に女の子がいないからみんな焦ってだな」

「それにしてもみんなでバイトして、そのお金でみんなで童貞卒業したんでしょ? うわー、引くわー。めっちゃキモいわー」

「そう言ってやるなよ。あいつらだって本当は」

「あのね、他人事みたいに言ってるけどアッキーだって同じだからね?」

「え?」

「だってアッキーも周りから後れを取ったことに焦って、同じことをしようとしているわけじゃん」


 あー、それはまぁ、確かに。

 

「ホント、男はアホだなぁ」

「…………」


 しみじみと呟く篠原に、俺は反論も出来なくなって無言でペダルを漕いだ。

 

 飯をたらふく食べ増量した篠原を後ろに乗せて自転車を走らせるという肉体労働と、日頃から篠原が感じている男たちのアホさ加減について延々と聞かされながら、時折押し当てられる絶妙な柔らかさと弾力を誇る何かという精神的苦行(というか篠原、お前、絶対わざとやってるだろ!)を課せられること小一時間、ようやく彼女のアパートに着くことができた。

 

「これはえっと……そうだ、昭和レトロってやつだな?」

「はっきりオンボロって言ってくれていいよ」


 気を使ってやったのにまったく。

 まぁでも確かに昭和レトロなんてお洒落な言葉はちょっと無理があった。

 壁の塗装はところどころ剥がれているし、階段や手すりはどれも錆びついているし、屋根を伝う樋も穴だらけ。うん、こいつはもうただのボロアパートだな。

 

「見た目通り壁も薄いからね。手加減するように」


 そう言いながら「でも童貞には無理か」と、篠原が軽くため息をついてみせた。

 それはいつもと同じ、人を揶揄うのが好きな篠原らしい態度。ただし、表情が強張っていなければ。

 そんな反応に、やっぱり篠原のアパートに来て正解だったなとかすかな勝利感を得る。

 

「む。なにそのニヤケ顔? アッキー、どんなエロいことを私にやらせる気なの!?」

「失礼な。俺はこう見えて紳士だぞ、紳士」

「女の子をお金で買っておいて紳士とかよく言えるね?」

「おう、言えるとも!」


 俺はでかい篠原のおっぱいに負けぬよう、ふんと胸を張り上げた。

 

「なんせ元クラスメイトの女の子を自転車に乗せて家まで送ってやったんだからな! これを紳士と言わずなんと言う?」

「それはアッキーが私の家でやるって言うから!」

「やる? やるって何を?」

「なにをってそりゃあ決まって……」

「おいおいー、何を勘違いしているのかな、篠原は? 俺はただ『お前のアパートに行くぞ!』って言っただけで、別にそこでお前が想像しているようなヤラシーことをやろうなんて一言も言ってないぞ?」

「は? だったらなんで私の家に……?」

「そんなの決まってるだろ」


 お互いまだ高校二年生――篠原は中退しちゃったけど、でも同じ年齢なのは変わりない――、夜の9時にもなっていないけど、俺たちが外で遊んでいい時間はもうとっくの前に終わっている。

 

「夜は家に帰るもんだ。じゃあな、篠原。いい夢見ろよ」


 俺の返事に篠原が口を半開きにして、ぽかんとアホ面を浮かべている。

 なかなか面白い表情なのでしばらく見ておきたい気はするものの、それだと顔の下にある、さっきまで何度か背中に押し当てられたふたつの膨らみがどうしても目に入ってくるので俺は踵を返した。

 あれはダメだ。見ていたらせっかく貫いた男の意地が呆気なく崩壊しかねない。

 

「ちょ! アッキー、だったら五万円は!? 五万円はどうするの!?」


 駅の方へと歩き出す俺に、後ろから篠原の大きな声が聞こえてくる。

 あまり五万円を連呼するなよ。ぶっそうだし、恥ずかしいだろ。

 そんな思いも込めて、俺はただ背後に手を振って「好きにしろよ」とだけ言って、色んな未練を振り切るように駅へと急いだ。

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