第5話:腹が減っては戦も出来ぬ
「うまうま!」
篠原はスプーンいっぱいに掬いあげた熱々の焼きチーズドリアを口へ運ぶと、顔を綻ばせて舌鼓を打った。
繁華街のとあるファミレス。店の中は家族連れや社会人や学生たちでごちゃ混ぜになり、各々の会話に花を咲かせていて、さっきまでの俺たちのやりとりとは無縁の、とても健全な空気に満ち溢れていた。
本来の予定なら今頃俺はラブホテルに行って、人生初の体験に奮闘していたはずだ。
それは相手が見ず知らずのお姉さんから、中学時代のクラスメイトに代わっても同じだろう。
なのに、どうして食事をしているのか。
その時を迎えて臆したのかと言われたら、まぁそれに近いものはある。情けないけれど。
でもさ、何も知らずにいきなり篠原とセックスなんてできないじゃないか。
どうして篠原が立ちんぼなんてしていたのか。事情をどうしても知りたくて「なぁ、腹減ってねぇ?」とホテルへ行く前に食事へと誘った。
『んー、減ってはいるけど、私、お金持ってないよ』
『……奢ってやるよ』
『マジで!? なにどうしたのアッキー、さっきの五万円といい、めっちゃ羽振りがいいじゃん!』
だったら行こう、今すぐ行こうと、篠原は俺の手を引いて近くのファミレスへと連れ込んだ。
そんなわけで今、俺は篠原の豪快な食べっぷりを目の当たりにしている。
ちなみにテーブルには焼きチーズドリア以外にも、チーズ増量のピザが鎮座していて、さらに言えば篠原は既にモッツアレラとトマトのオードブルを平らげていた。
「アッキー、あと柔らかチキンのチーズ焼きも注文していいかな?」
「まだ食うのかよ!?」
しかもまたチーズ!? チーズ好きすぎだろこいつ。
「だってアッキーの奢りだもん。これはもうめいっぱいゴチになるしかないっ!」
「少しは遠慮しろよ!」
いや、マジで。バイト代の多くはさっき篠原に払ってしまったし、この飯代で小遣いも残り僅かになる。
「やだ。食べる」
「太るぞ」
「ふっふっふ。それが大丈夫なんだな。実は私、昔からいくら食べても栄養はおっぱいに行く体質なんだよ」
「それは乳製品ばっか食べてるからじゃないか?」
「かもしんない。とにかくお腹の肉に行かないから大丈夫!」
なにが大丈夫なんだか。
呆れる俺は、それでも頭の中はどうやって話を切り出そうかってことでいっぱいだった。
篠原はまぁ自分の巨乳をこうして話のネタに出来るぐらい、性には結構あっけらかんとしている。
でもだからと言って誰かとえっちしたなんて話は聞かなかったし、俺も含めて男友だちは多かったけれど、誰かと付き合っている様子なんてなかった。
ましてや援助交際なんて、中学の友だちが知ったらみんな驚くだろう。
家だって裕福だったはずだ。
たしかお父さんがどこかの会社の社長で、立派な一戸建てに住んでいると聞いたことがある。
あ、もしかして親と喧嘩して家出中とか?
言われてみれば長く伸びた髪は、毛先が少しばらついていたりとあまり手入れされていない印象を受ける。
ただ、中学の三者面談で見た篠原のお母さんは優しそうな人で、仲も良さそうだった。
それに篠原の性格から言って仮に家出をするにしても、こんな近場で満足しなさそうな気がする。やるならいっそのこと北海道や沖縄に行ってしまえとか考えて実行してしまうのが、俺の知っている篠原だった。
うーん、となると後はあまり考えたくないけど、単純に遊ぶお金欲しさ、だろうか。
いくら家が金持ちとは言え、金銭感覚は俺たちとそう変わりなかった。それが高校生になり、周りに感化されてブランド品とか欲しくなって、とか。
考えられる中で一番あり得そうな気がした。
篠原は都心の、いわゆるお嬢様学校と呼ばれるところへ進学した。
そういうところではきっとバイトも許されないだろう。欲しいものがあれば親にねだるか、それが駄目ならお小遣いをやりくりして。
それでも足りないなら……。
「ふう、お腹いっぱい。ご馳走様でした!」
考えれば考えるほど鬱々としてしまう。
一方、テーブルの上の料理を全部片づけてしまった篠原は、極めてご満悦のようだった。
「あ、でもデザートもいいかな? チーズケーキ食べたい!」
「……好きにしろよ」
わーいと篠原が店員さんを呼ぶスイッチを押す。
しばらくして注文を聞きに来た女の人にチーズケーキを頼むと、篠原はニヒヒと笑った。
「人間ってお腹がいっぱいになると幸せになるよねぇ」
「食いすぎると苦しいけどな」
「……それでもお腹空かせているよりずっとマシだと思う」
と、不意に篠原の声色が変わった。
ふざけてる調子から、えらく真面目で、殊勝なものに。
「ま、でもホント助かったよー」
が、すぐに元の調子に戻った。
今のは一体何だったんだ? 一瞬食いすぎてゲロりそうになったのかと焦ったぞ。
「実を言うとずっと腹ペコでさー。私んち今すっごい貧乏だから」
そしていつものようにニヤリと口角を上げる篠原。
その表情は「この話が聞きたかったんでしょ?」と言っているようだった。
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