第19話
小さな神社の境内は、シンと静まり返っていた。
春にお祭りがある時は人がたくさん押し寄せるこの神社だが、それ以外の時は、誰もいないことがほとんどだ。
今日はお祭りの日ではなくて、みんなは花火大会の方に行っているから、神社で遊んでいる者など誰もいなかった。
「ここ……」
「覚えているか? 懐かしいだろ」
近所というほど家から近くはない場所だ。
最初に来た時は確か、愁が道に迷ってたまたま見つけた、とかそんな理由だったと思う。
それからは、たびたびここでみんなで集まり、遊ぶようになった。
「ぜんぜん、かわんないや」
ふふ、と笑いながら呟くと、そんな凛音を見下ろしてきた愁も口元を緩める。
でも、よく見ると変わったところもある。
神社の境内の隅には社務所があって、その壁の前には古びたおもちゃが積まれていた。
愁がまだ小学生だった頃に、幼児用の小さな黄色い車をよく勝手に借りて遊んでいた記憶がある。だが、今はおもちゃ一式は撤去され、壁に染みらしき跡を残しているのみだった。
おそらく、神主さんの子供が昔使っていて、使わなくなったおもちゃの保管場所に困ってそこに置いていただけなのだろうが、当時の自分たちには、宝物の山に見えた。
「そっか……あれからもう十年たつんだもんね」
雨風にさらされたおもちゃが原型をとどめておけるのには限界がある。
きっと、限界がきて全部捨てられてしまったのだろう。
「そこに座ろうか」
手水舎の近くに、あの頃にはなかったはずのベンチがいつの間にか設置されていて、二人はそこに腰を下ろした。
歩いているうちに、凛音の頭もいくらか冷静さを取り戻していた。
さっきはずいぶんと恥ずかしいことを言ってしまった、と気づいたが、言ってしまったのだからもう遅い。
「ごめん。さっき言った言葉、忘れてもいいよ。……こんな小学生の、しかも男の子に言われても、迷惑だよね?」
自嘲気味に笑いながら凛音は言ったが、愁は笑わなかった。
「迷惑だなんて、思うわけないだろ」
真面目で、まっすぐな愁の言葉。
それが今は、少し痛い。
「……シュウちゃんは、きっと、リンネじゃなきゃダメ、ってわけじゃなかったんだと思う。目の前でリンネが死んじゃったから、ずっと引きずってるだけ」
「そうかもしれない」
否定しないんだ、と思いつつ、凛音は軽く息を吐く。
「波にさらわれていくリンネの手を掴もうとして掴めなかったことは……多分、一生忘れない。死ぬまで後悔し続ける」
「…………」
俯いて、凛音はその言葉を受け止めることしかできなかった。
「でもその痛みや苦しみは……もうオレの一部になってしまっていて、それをなくしたら、オレがオレでなくなるような気さえする。だから、忘れたいとは思わない」
「そんなの……つらいだけだよ。忘れちゃった方がいいよ」
「そうだな……頭を強く打って記憶喪失になるほどの衝撃を受けたら、ようやく忘れられるかもしれないな」
「なに言って……」
「試してみるか? そこの階段から落ちて、頭を打ちつけるんだ。上手くいけば、いい感じに記憶喪失になれるかもしれないぞ」
本人はいたって真面目なせいで、たまに冗談を言っているのか本気で言っているのか判断がつかないことがあるのが困ったところだ。
「やめてよ! 当たり所が悪かったら、死んじゃうかもしれないんだよ!?」
たまに冗談みたいなことを本気でやるのも愁の困ったところで、不安にかられた凛音は、すがるように愁の手を掴む。
愁はふっと笑った。
「オレにとっては、リンネを喪った痛みを忘れるのは、死ぬのと同義だ」
「やめてよ……なんでそんなふうに、笑って言えるの……?」
「好きとか嫌いとかじゃないんだ。たとえば……オレはよく目つきが悪いと言われる自分の目があまり好きじゃないんだが、嫌いだからって、自分の目をくり抜くことはできないだろう? それと一緒だ」
「……なんで例えがいちいち物騒なの?」
想像しただけで、頭が痛くなってくる。
はぁ、とため息をついた凛音に、愁は小首を傾げる。
「すまん。わかりやすい例えかと思ったんだが」
「よくわかんないよ」
「なら、結論から言うか」
もしかして、さっきの勢い任せの告白の返事をもらえるのだろうか。
自然と凛音の背筋が伸びる。
心臓がバクバクしたが、できるだけ平静を装った。
「オレは、凛音さえよければ、付き合ってもいいと思っている。いつかは」
「いつかは!?」
思いのほか色よい返事であったが、最後にずいぶんと曖昧な言葉が付け足されたされたことで、凛音の声が動揺で揺れる。
「いつかっていつ!?」
「凛音が大人になったら」
なんとなくそんな予感はしていたが、見事に的中してしまった。
「……リンネが死んだのと同じ年になってから、とかじゃだめなの?」
「十歳か? それはさすがに……いくらなんでもダメだろう」
まぁ確かに犯罪だ。愁が神妙な顔を見せるのも、わからないでもない。
「じゃあ中学生!」
「それはまだ子供だ」
「高校生!?」
「……せめて高校を卒業してからだな」
「待って、それ何年後? えーと……」
指を折って凛音が計算をしているうちに、先に愁が答えを出したらしい。
「十一年後だな」
十一年。
リンネが死んでから今に至るまでの年月よりも長い。
今の凛音には、気が遠くなるほど先の未来のことにしか思えなかった。
「……シュウちゃんはそれまでずっと、結婚しないって約束してくれる?」
「もちろん」
「僕がもし、シュウちゃんよりも身長が高くなって、めちゃくちゃ男前に育って、女の子みたいに見えなくなっても、気が変わらないでいてくれる?」
「身長か……」
今の身長を確かめるように、愁の指先が凛音の頭のてっぺんを軽く撫でてくる。
今の愁は、他の大人と比べても身長が高い方だ。
多分、凛音のお父さんよりも大きい。
それを越すことができるかどうかは謎だが、万が一ということもある。
「たとえ二メートル越えの巨人になったとしても、凛音は凛音だろ」
ごく当たり前のように、愁はさらりと答えた。
そのおおらかさと懐の広さが、愁のすごいところだ。
「シュウちゃーん!」
思わず抱きついた凛音の声に、シュルシュルという音が重なった。
バン! と大きな音が続いて響いて、花火の打ち上げがはじまったことに気づく。
いつのまにか、そんな時間になっていたらしい。
「どっち?」
「木が邪魔で、ここからじゃ見えないだろ」
愁に手を引っ張られて、神社の裏の坂道を登る。
少し行くと視界が開けて、木々の向こうの空に、花火が打ち上がるのが見えた。
「すごい! 綺麗だね!」
それでも若干見えづらくてぴょんぴょんと飛び跳ねていたら、無言で腋を掴まれて、持ち上げられる。
あっという間に愁の肩に乗せられてしまった。
いわゆる肩車の状態だ。
「見えやすくなったか?」
「うん!」
落ちないように愁のおでこのあたりを両手できゅっと掴みながら、次々とあがる花火を眺める。
「……シュウちゃん、重くない?」
「全然」
しれっと答えているあたり、本当にたいしたことなさそうだ。
「シュウちゃん、やっぱりなんか、お父さんみたいだね」
今世の話だけど、昔、父に肩車されてお祭りを見たことを思い出した。
「……せめてお兄さんと言ってくれないか?」
複雑そうな声。
これはダメだったらしい。
「ご、ごめん! ダーリンって呼ぶね!」
「なんでだよ」
今度は、くっくと喉を鳴らす笑い声。
普段、露骨な感情の起伏はあまり見せない愁だが、ころころと変わる反応に、凛音は楽しくなってきて笑った。
「来年も再来年も……十年後も二十年後も、ずっとこうしていられたらいいね」
「十年後の凛音は、さすがに肩車はできないかもしれないけどな。おんぶぐらいなら十年後でも二十年後でもしてやるぞ」
笑いながら、愁は答えた。
「……約束だよ」
「ああ」
ふと、前にもこんなふうに約束を交わしたことを思い出す。
どんな約束だったのか、詳細を思い出そうとしても思い出せない約束。
「ねぇ……シュウちゃん、リンネが生きてた時、シュウちゃんとなにか大事な約束……してたよね?」
愁が、わずかに息を呑む気配が伝わってきた。
「それは……もういい」
呟くような、低い声。
「もういいってなに!?」
「く、苦しい……凛音、腕を緩めろ……」
問い詰めた拍子に、勢いあまって首を締め上げてしまったらしい。
本気で苦しそうな愁の声を聞いて、凛音は慌てて腕を緩める。
「ご、ごめん……っ!」
「せっかくの花火なんだから、ちゃんと見よう」
空にはちょうど、ハートのかたちをした花火が上がったところだった。
計算よりもずれたのか、斜め下へとだいぶ傾いたハートの姿に、ふふ、と笑う。
あと何分……あと何十分、こうしていられるだろう。
次になにが打ち上がるのかソワソワして待ちながら、終わりの時が近づいてくるのを寂しく思う。
楽しい時間はいつまでも続くわけじゃない。
いつか終わりがくるものだと、自分たちはもう、痛いほどに知っているから。
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