第5話 夢 – 2
思ってもいない結末に私は戸惑った。だが、父を納得させなければ学費も出してもらえないのだ。乗り気ではなかったが、父のためにお菓子を作ることにした。普段の父の食の好みを改めて調べ上げ、好む味を考え、お菓子の形にしていった。
いくつものお菓子を何度となく作った。感想を聞いても「ふむ」とか「ほう」とかしか答えなかった父が、ガトーショコラを作った時だけは、柔らかすぎる、苦味が足りない、と文句のような感想を言うようになり、その後もガトーショコラを作る度、何度もケンカのような意見交換を繰り返した。私は父がガトーショコラが好きなんだと初めて知った。少しおかしかった。
そして父がようやくなんの文句も付けず、「おいしいな」とだけ言ったのは30回目のガトーショコラだった。その時、父は5キロは太っていた。
私のお菓子を父は認めた。何ヶ月もかかったが、あれだけ口うるさい父をお菓子で納得させたのだ。父に勝った、という喜びよりも、父が好むものを形にできたことが嬉かった。
そして、父は条件付きで私の希望する学校への進学を認めた。
まず、今の成績を落とさないこと。もともと学年で20位くらいの成績だったが、多分大丈夫だろう。受験のためにも勉強はきちんとするつもりだ。
次に、学生寮のある学校にすること。つまり安全で規則正しいきちんとした生活を送れて勉強に励めるところだった。これは私も望んでいたことだ。生活に追われて勉強ができないなんて本末転倒だった。
最後に、中学卒業まで家族はもちろん、周りに迷惑をかけるようなことは一切しないこと。
これには納得がいかなかった。いったい私をどんな不良だと思っているんだろう。
ただ、思いついたことに突っ走ろうとしてしまう私を父は危なっかしく思っていたのだろう。親として理由のある戒めだった。
その条件を全て受け入れ、私は東京の製菓科がある私立高校を受験することを認められた。
父が私の上京を認めたその夜、母はご機嫌だった。
「何でお母さんがそんなにご機嫌なのよ」
初めから全然助けてもくれなかったのに、勝手に機嫌がよくなる権利なんてない。
「ふふ。娘がやりたいことを見つけて第一歩が踏み出せそうっていうのに、それを喜ばない母親がいるもんですか。……もちろんお父さんもね。内緒よ」
計られた。意思を試されていたのだ。初めから母と父の計画的策略だったのか。大人は時として、本当にずるいことをする。
少し腹を立てたが、それよりも父をきちんと納得されられた自分が、私は誇らしかった。
季節はもう、3年生の春の中頃だった。
***
明日は3年目の写生大会だ。
つまり、中学校生活で真奈と会話するのは明日が最後になる。
私がパティシエを目指すきっかけをくれたのは真奈だ。きちんと感謝も伝えたい。
そして、来年、私がこの土地を離れることも。もちろん受験に合格すればだけれど。
なによりも、この一年で腕を磨いてさらに美味しくなったお菓子を贈り、真奈に絶対喜んでもらうんだ。
フィナンシェ、フロランタン、ガトーショコラを焼いた。あと去年特に喜んでもらえたバタークッキーも。どれも甘いものが得意ではない真奈のために、一工夫もニ工夫も手を加えている。
甘さを控えて他の要素で人を楽しませる方法は、悔しいが父に作ったガトーショコラの工夫から様々なヒントが得られた。
父が「おいしいな」と言った声が蘇り、ふふっと笑ってしまう。
どのお菓子も、今の私が作れる最高傑作だった。
焼いたお菓子を先生に見つからずにできるだけたくさん持っていけるよう、パレットや絵の具、絵筆を入れるための袋を準備した。イルカがプリントされたかわいいバッグ。
さすがに画板は入らないが、画用紙は筒形に丸められれば余裕で入る大きさだ。準備したお菓子を入れる。うん、不自然には見えない。
私が東京に行くことを真奈はどう思うだろう。寂しいと思うのかな。すごいねって喜んでくれるのかな。
そのどちらだとしても私は嬉しいし、寂しい。
明日が終われば、次に真奈と話ができるようになるのはいつなんだろう。
もう写生大会のある夏は来ないのだ。
真奈はおそらくここに留まり、私は遠くに旅立つ。
袋に小さなサイズのお茶のペットボトルも忍ばせた。明日の準備は整った。
整ってしまった。
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