第2話 友達 – 1

 写生大会の日の夜、ひどく疲れた私は食事も摂らず風呂にも入らずに、倒れるように寝てしまった。

 翌日から、私は学校を3日間も休んだ。目の腫れが引くまで時間がかかったこともあるが、高熱が出て動けなくなってしまったのだ。


 心が受けた衝撃の揺り返しのようだった。

 心の澱みが空になった分、身体が空洞を熱で埋めるように運動しているのかもしれない。細胞が激しく振動し、何かの管でエネルギーを心に送る。摩擦熱で身体に過度な負荷がかけられている。


 高いままの体温の中、私は昨日の出来事を心の中で繰り返し思い出していた。


 2日目にクラスメイトの子が私の雑木林の絵と水彩画セットを自宅まで届けてくれた。今週中に水彩して提出しなければならない。クラスメイト達は美術の授業でそれを終わらせるだろう。

 登校できるまでどれくらいかかるか分からなかったため、出来るなら自宅で仕上げなさい、という先生の配慮だった。


 3日目は目の腫れも治まり、ようやく普段の自分の顔を取り戻せた。特に特徴のないいつもの顔。ただの私だ。

 ふう。鏡を見て、つまらなそうなため息が出た。

 

 もう寝ていることに飽き飽きしていた私は画用紙に絵の具で色をつけていった。

 雑木林の葉に明るい緑と黄緑で点を打ち、幹は茶色と焦茶色とオレンジで輪郭と陰影を作る。写生大会の当日、空には雲がそれなりに浮いていたが、濃い青と水色で濃淡をつけて雲ひとつない快晴にした。


 青い絵の具を使うと真奈が思い出された。透明の青い水のような、新しい友達。

 真奈ともっと話したい。

 真奈は私が休んでいることは知っているだろうか。気にかけてくれてると嬉しいのだけれど。


 真奈のことを考えると、青い空にイワシの群れや獰猛なイルカを書き足してしまいそうだ。絵筆の運びに集中するのに苦労した。

 1日で絵は完成した。


 翌日、普段通りに学校へ行った。

 昼休みに隣のクラスに行き、目についた生徒に真奈はいるか訪ねた。

 真奈は休んでいるらしい。それも写生大会の翌日からだ。私と同じ日から休み、まだ登校できていないのだ。


 どうしたんだろう。風邪? ひょっとして私の熱は風邪が原因で、真奈にそれを移してしまったんじゃないだろうか? だとしたらどうしよう、私のせいだ。


 真奈の担任に画用紙と水彩セットを持って行ってあげたいと相談したが、2日目に先生が直接届けに行ったらしい。

 真奈の担任はよそのクラスの私の提案に怪訝な顔をしてそう教えてくれた。

 

 お見舞いに行きたくても真奈の家を知らない。

 私が風邪を移したんだ、きっと。

 その思い込みに落ち込んだまま、その日を終えた。


 結局真奈はその週は学校に来なかった。

 私は独りよがりな罪悪感と向き合いながら、土日を過ごした。

 来週真奈に会ったら謝ろう。大丈夫、そう言って笑ってくれるかな。そんなことばかりを考えていた。


 月曜日の朝、写生大会の絵が教室横の廊下の壁一面に貼り出されていた。私の絵も貼られている。望んだ通りの、「なんでもない」雑木林の絵。何も見つけられなかった時間の結実。面白いことなんかひとつもない。


 それよりも、真奈のあの海の絵。水彩で色が付けられているはずだ。色はやはり青だろうか。海の底に注ぐ日差しを表現するために黄色と緑も使っているに違いない。なんにせよ、絶対に美しいはずだ。

 この世で1番美しい絵。


 すぐにでも真奈の絵を観に行きたかったが、朝のホームルーム前は自分達のクラスメイトの絵を見ようと生徒達が群がっていた。

 押し合い、騒ぎ声が上がるその場では真奈の絵をきちんと観ることは難しい。人がまばらになる時を狙ってまた来ることにした。


 昼食を食べ終えると隣のクラスの廊下に行き、真奈の絵を探した。

 ない? 真奈は絵の提出に間に合わなかったのだろうか。


 壁の端から端まで探したが真奈の絵は見つからなった。あの絵が貼られていれば私が見逃すはずがない。廊下を何往復もしたが、やはり真奈の絵を見つけることはできなかった。


 諦めて真奈を探すため教室の入り口に入ろうとした時、廊下の壁の一番端に、「なんでもない」雑木林の絵が貼られていることに気がついた。面白いことなんかひとつもない絵。その下に名前が書いてある。


 「吉野真奈」


 どういうこと?

 真奈が描いていたのは海の絵だ。雑木林の絵なんて描いてなかった。

 今目の前に貼られている真奈の絵は、私が知っている、私だけが知っている真奈からは最も遠いところにあるものだった。


 この絵には何もない。私の絵と遜色ないほどに、個性がなかった。

 むしろ私がしたように、雑木林の中に何かを見つけ出そうとした痕跡すらないのだ。


 同じ高さの、同じ太さの、同じくらい葉をつけた木々が整然と並んでいるだけだった。

台風が来たら全部びくともしなそうだし、全部倒れてしまいそうに見えた。


 この絵を見ていると。イライラする。心の奥底で泥が煮えたぎるような感情。重い重い沸騰。


 私は真奈のクラスに飛び込んだ。近くにいた生徒に聞くと、真奈は今日は登校しているらしい。多分さっきまでいたと思うけど、と言われた。


 待ち伏せしたい気分だ。真奈に向かって直接問いただしたい。あの絵はなんなんだ、と。


 でも私の次の授業は体育だった。すぐに準備をしてグラウンドに向かわなければならない。

放課後にまた会いに来ると決め、足を踏み鳴らしながら教室に戻り次の授業の準備に取り掛かった。

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