第12話 真奈 – 2
静子へ
おひさしぶりです。静子がこの手紙を読むころ、私は……みたいな書き出しだとバカみたいだけれど。多分本当にこの世にいません。私が死んだらこの手紙を静子に届けてもらえるよう父に頼むつもりだから。
私はがんになってしまいました。余命半年と言われているけれど、今はその半年を過ぎて2か月長く生きています。でも最近では起き上がることもほとんどできなくなってしまいました。
中学3年のあのときから、静子と私の関係は私の中できちんと整理しなければならないことでした。私としても辛く、いい思い出にはなり得なかったことです。大人になってからもずっと、目をそらし続けてきたことです。
でも身の回りのことをいろいろと片付ける中で、自分と向き合うとどうしても静子のことが頭から離れません。私のためにもおそらく静子のためにも、きちんと向き合わなければならないことだと思ったのです。
あのときの私は言葉を知らなすぎました。本当に静子に伝えたいことを言葉にできず、真逆の態度を取ることばかり。
大人になった今だからこそ、あのときの気持ちをきちんと伝えることができるかもしれない。そう思って今この手紙を書いています。
まず始めにですが、静子はきっと私から嫌われていると思っているでしょう。私はそう思わせるような態度をとっていましたから。でもそうではありません。
私は初めて出会った中1のときからずっと、静子のことが大好きでした。
すこし長い思い出語りになりますが許してください。
私は静子に嘘をついたことがあります。
初めて会った写生大会の翌日から一週間、学校を休んだ理由についてです。静子は自分の風邪を私にうつしたことを私に謝りましたね。でもそうではないのです。
静子が私の海の絵をほめてくれて、私は本当に嬉しかった。私はあの絵の元になった叔父の写真を初めて見たとき、大泣きしてしまったことがあるのです。まだ10歳のころです。そのときの気持ちの説明がずっとつかなくて、叔父から「なんであんなに泣いたんだ?」と聞かれても自分の気持ちをうまく言葉にできなかったのです。
静子があの絵を見て泣いた理由を話してくれた言葉が私の中に染み込んできて、叔父の写真を見て泣いた私の気持ちと同じだということに気づいたのです。
10歳のころの私の気持ちを、初めて話した静子が言葉にしてくれたこと。私なんかが描いた絵で静子に感動してもらえたこと。こんな私と友達になってほしいと静子が言ってくれたこと。それが本当に嬉しくて嬉しくて。
だからあの日の夜、あの日の静子よりも私は大泣きしてしまったのです。
一晩中、夜が明けるまで泣き続けて熱が出てしまい、朝には静子よりももっともっと目が腫れてしまいました。そんな顔で学校に行くことなんかできず、目の腫れがひくまで一週間もかかったのです。
静子に風邪をうつしたことを謝られたときの私は、学校を休んだ理由を静子に伝える勇気がありませんでした。あまりにも恥ずかしくて。
静子が風邪の話をしてくれたので、それに乗っかることにしたのです。
謝ります。ごめんなさい。
とにかく、初めて会ったあの日から私は静子が大好きになったし、ずっと友達でいたいと思いました。
静子は私の絵が好きな理由を、私を私にしてくれたから、と言ってくれました。もう覚えていないかもしれませんね。でも私はよく覚えています。
静子が私の描いた絵の感想をくれたこと。静子がパティシエになる夢を話してくれたこと。私が叔父の写真を絵に描くことに静子が賛成してくれたこと。
それらが私の中に入った時が、私が私になれた瞬間でした。やりたかったことを言葉に出していいんだ、前を向いて歩いてもいいんだと思えた瞬間でした。
静子の言葉の一つ一つが、私を私にしてくれたのです。
だからなおさら、静子が私を避けていることを感じた時は本当に悲しかった。この世から消えてしまいたいと、本気で思いました。
今は大人になったし、人それぞれいろいろな事情があるのは分かります。でもそれをあの時の私が受け入れるのは難しかった。最後に会った、言い合いになってしまったあの日。私は子供でした。静子は勇気を出して私に会いに来てくれたのに、私は静子の言葉に向き合うことができませんでした。静子ほど大人になれなかったのです。
多分静子は気づいていないでしょう。卒業式の日、私は雑木林が見えるところにいたのです。静子がいつもの場所に座り、ずっと私を待っているのを見ていたのです。静子がいるのを見た私はその場から逃げてしまいました。私はもう傷つきたくなかった。私のことを思って来てくれた静子が、私には怖かった。
何で静子の元に向かわなかったんだろう。何で静子に声を掛けなかったんだろう。本当にバカだったな。今それを考えても仕方のないことですね。
あのときの私には、それが意地だったのです。大好きな静子から避けられていた私の気持ち。憎らしいほどに腹を立てていた気持ち。
静子のことが大好きだったから、静子の気持ちに応えないことが私の意地だったのです。
でも、あのとき静子に会っていれば、私たちはもっと違う関係でいられたんだろうな、といつも考えます。後悔しているのです。
中学を卒業して、隣町の高校に進んでも、私は中学生のころと同じような生活を送っていました。いえ、むしろ静子とのことがあってから更に自分の殻に引きこもるようになり、両親とも口を利かなくなりました。
そんなとき、部屋の片隅に丸めて投げ出していた、あの海の絵を眺めたのです。初めは嫌な思い出ばかりが込み上げてきて、あの絵を捨ててしまおうと思いました。でも、しばらくあの絵を眺めているうちに、叔父からもらったもの、静子からもらった言葉を思い出し、長い時間をかけて自分がやりたいことをもう一度見つめ直すことができたのです。
私は美大を卒業し絵を描く仕事をしています。静子がいなかったら私はこの道に進んでいませんでした。
叔父の写真を全部絵に描くこと、それは叶いません。叶わないのです。叔父からもらった写真は全て、父が焼き払ってしまったからです。静子が見たいと言ってくれた私の絵のモデルになった写真も、もう存在しないのです。叔父にまつわるものは全て処分されてしまいました。静子は写真を見たいと言ってくれたけど、それを叶えることはできなかったのです。
私は記憶の中にある写真だけでもきちんと絵に残したかった。それは叔父が生きていた記憶でもあり、私が生きる目標にもなると考えたからです。
だから私は叔父の写真を記憶を頼りに描き続けていました。大学を卒業する前くらいには叔父だったらこんな写真を撮るだろうな、という絵を描いていました。それを認めてくれる人達が現れ、絵の仕事の依頼が届くようになりました。絵描きとして生活ができるようになったのです。
私は、静子に背中を押され、叔父の生きていた記憶を頼りにして、私の人生を歩むことができたのです。
私を認めてくれて、私の背中を押してくれて、私の道しるべになってくれた静子のことがやっぱり大好きでした。
思い出話を長く書きすぎました。静子とは中学の3年間で数えるほどしか会話をしていないのに、こんなに思い出が溢れてくることに少し戸惑っています。
いきなりこんな手紙を押し付けられる静子は私の何倍も戸惑うでしょうね。ごめんなさい。
話を変えます。私の近況を少しだけ。
私には娘がいます。今年4歳になりました。
名前を「海」と書いてそのまま「うみ」といいます。私がいなくなった後のことが心配ですが、幸い両親もまだ健康ですし、私がいなくなることを少しずつ理解できるように接してきました。不安はあるけれど、空から見守るつもりでいます。
静子はパティシエになる夢は叶えられましたか? 自分のお店を持つという夢は叶えられましたか? いつか海と二人で静子のお店にケーキと私の大好きなクッキーを買いに行きたかった。
それは叶わないけれど。意地を張ってしまった罰ですね。
静子が好きだと言ってくれた海の絵。どんな色をつけたのか興味を持ってくれたあの絵をこの手紙と一緒に送ろうかと考えたのですが、海がママの絵で一番好きというのでやめておきました。
静子がまだあの絵を好きでいてくれたら、いつか見に来てください。そのときに海と少しでも話をしてくれたら嬉しい。
私が自分でも思うほど、海は私の子供の頃にそっくりです。私のことをかわいい、かわいいと褒めてくれた静子ならきっと気に入ってくれると思います。
長く書きすぎました。
もう本当にこれで最後にします。
私と友達になってくれてありがとう。
私はずっとずっと、静子を友達だと思っています。
お元気で。
吉野真奈
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