第11話 破局 – 2
間を置かずに真奈が口を開いた。
「何も言わなくていい。もういい」
その声の無感情は、私の背筋に鳥肌を起こさせた。
真奈は私の話を心で拒否する。それどころか私の声は耳までも届かない。真奈を包む透明だけど分厚い膜で、私の全ては真奈から弾かれる。
でも私は真奈に気持ちを伝えたかった。
「言いたいの。私、真奈を避けてた。自分勝手だと思っている。でも、このまま真奈と何もなかったことにはできないと思ったの。このまま東京に行くことはできない」
真奈は何も言わない。
「私は、真奈とずっと友達でいたい。もうすぐしたら東京に行ってしまうけど、もっと会えなくなってしまうけど。真奈とずっと友達でいたいよ」
「ねえ、静子——」
耳を突き刺す氷点下の声。
「聞いたんでしょ? 私がどんな子なのか。真奈のお父さんから? 神社で会った時、2人とも私になんか会わなきゃよかったって思ったでしょう。視界にも入れたくないと思ったでしょう。
私は大丈夫。静子が私に悪いなんて思う必要はない。
私は大丈夫。静子は自分のやりたいことがあって、私のことは気にせずに東京でもどこでも行けばいい。私のことなんか気にしなくていい。
私は大丈夫なんだよ。他人からどんな目で見られたって、どんなことを言われたって、私には関係ない。私は私なんだから。何を言われたって、私なんだから。
だから私は大丈夫」
真奈の言葉が私の心の中に空白を作っていく。真奈にきちんと謝りたい、そう決めた意思なんて、少しの強度もなくもろく崩されて塵にされていく。
だめだ、しっかりしろ、私。私は真奈と友達でいたいんだ。
「真奈、ずっと避けててごめん。
でも私は真奈のことを友達だと思っているよ? だから私の話を聞いてほしい。
私に何かできることはない? 真奈のために私は何ができる?」
真奈が息を飲むのがわかった。目にはつららの光が宿っていた。
「静子、自分が何を言っているかわかっている?
あなたと私が友達? 今こうして約束を破っているのに? 静子は私を無視してきた。私の前から消えていったんだよ。
神社で静子達の喧嘩を目の前で見せられて、私はすごいみじめだった。
私はどこにもいちゃいけないの? 初詣にも行っちゃいけない? 目立たないように誰にも気づかれないように、外の空気を吸いに行くのも許されない?
私は時間をかけて全部を受け入れてきた。仕方がないことだって我慢してきた。苦しいけど、私が我慢すれば誰にも迷惑はかけない。
静子に何かできることってなに? 静子に何ができるの?
だったらもう構わないでよ。離れて行ったなら友達だなんてもう言わないでよ。
私は好きな人が私から離れていくのはもう我慢できないよ。耐えられないよ。
静子の自分勝手に私を巻き込まないでよ!」
——私は何をしたかったんだっけ。真奈に謝りたかった。真奈とこれからも友達でいたいと伝えたかった。きちんと落ち着いて話せば気持ちは伝わると思っていた。
私の気持ちもきちんと伝えられず、聞いてもらえず、こんな風に真奈との関係は終わるしかないのか。
真奈の言葉で作られた頭の中の空白は、また真奈の言葉で埋められていく。
違う。違う! 違う!!
「私の話を聞いてよ! 真奈!」
あたりの空気を震わせた私の声。反響が一周遅れで自分の耳に届き、私は自分が怒鳴っていたことに気がついた。
踏み込んでしまった一歩は思ったよりも深く鈍い泥の中に食い込み、私はその足を引き抜けない。横に転んでしまいそう。バランスを取るにはもう一歩逆の足を踏み出すしかなかった。
そうするしかなかった、自分にそう言い聞かせていた。
「何で真奈は自分のことを私に話してくれなかったの?
友達だって言ったのに。そんなに私のことを信用できなかった? 私のことを他の人と同じだと思っていた?
私はもっと真奈と仲良くなりたかった。普通にお話したり、休みの日にはどこかに遊びにいったり、真奈が好きなお菓子をもっとたくさん作って食べてもらって喜んでほしかった。
真奈があの海の絵にどんな色をつけたのか見たいし、真奈がこれから描こうとしている叔父さんの写真だって見たかった。
私は大人になったらもっともっと真奈と仲良くなって、ずっと友達でいられると思っていたのに。
なのに。なのに!
私が悪いの? 私だけが悪いの? 真奈は初めから今まで、私のことなんかちゃんと見てくれてなかったんでしょ!」
呼吸で身体が弾む。視界は白と黒の反転を繰り返し、目の前の真奈が消えたように感じた。
私の頭の中の空白は全て埋まった。私が真奈を責める言葉で。
今、私、何を言った?
「私の存在を消したのは静子だよ」
冷たく響く真奈の声。キンキンキンと頭の中を凍らせる水琴窟の響き。金属音と電子音の中間のような音が鼓膜を揺らす。
その言葉で、私が真奈に何を言ったのか蘇ってきた。
真奈は私に背を向け、元来た道を歩き始めた。もう、真奈は私のことを見ることはない。一生。
待って。そうじゃない。走って真奈を引き止めたかった。でも呼吸しているのに、酸素が身体に入っていかない。強張った脚は少しも動いてくれる気配はなかった。
バランスを取るために踏み出した二歩目は、一歩目よりももっと深いところまで泥に埋もれてしまった。はずみで出す三歩目、四歩目でもう抜け出せないところまで私の身体は沈んでしまっていたのだ。
抜けない。足が抜けない。お願いだから動いて。
真奈の姿が遠くなるころ、私は叫んだ。
「卒業式の後、私、待ってるから!」
真奈の後ろ姿はそのまま物陰に隠れて見えなくなった。
春を控えた季節の割に冷たすぎる空気だけが、その場に残った。
私は寒さにうずくまり、このままここで消えてしまうことを想像した。でもどれだけ時間が経っても、この身体はきちんと存在し続けた。
何も思い通りにいくことなんかなかった。
真奈を引き止められなかった私。自分のことしか見ていない私。
ただ、私になれた私は、そこで死んだことだけはわかった。
卒業式の日、袋いっぱいに詰め込んだお菓子を抱えたまま、私は帰宅した。
雑木林の前で2時間真奈を待った。真奈は私の前に姿を現さなかったのだ。
それから私が真奈に会うことは、二度となかった。
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