第10話 裏切り – 1

 年が明けた。


 ゆっくりできる正月はこれからはなかなか迎えられないかもしれないから。母がそう言い、家族での初詣に引っ張り出された。


 父から真奈との関係を咎められた夜から、私は父とはあまり口をきいていない。

 父と話すと怒りが込み上げてくる。私にとって父は理不尽の象徴だった。普段言われる小言だって、それが世の中で正しいことだなんて誰が証明できる?


 きちんとした大人だと言う顔をしている父が私を勝手に大人に引き上げ、勝手な理屈を私に押し付けたことに、私は何一つ納得していない。

 父のせいで大切な友達と話せなくなった。現に今も真奈を傷つけ続けている。


 道徳の教科書に載せられないようなことを大人が子供に押し付けていいの?

 考えただけで気が狂いそうになるほど、私は父を許していなかった。

 父の理屈は理解している。でも許せない。

 そして私は私を許せない。


 父は元旦から上司である議員に付いて色々なところに挨拶に回る仕事に明け暮れていた。どうやら挨拶回りだけではなく、直接出向けない人達への電話での挨拶、年賀状の整理、正月飾りの片付けまでこなし、多忙を極めていたらしい。

 ようやく落ち着いて正月の時間を取ることができたのは、元旦から5日後のことだ。


 そうまでして父がしたいことってなに? 娘から大事な友達を奪ってまでしたいことってなに? 

 私は父の仕事を冷めた目で見ていた。


 私は元旦にクラスメイトの友人たちと初詣を済ませていた。今更初詣に行く気分にはならなかったが、今年もらったお年玉はかなり弾んだ額だった。これから静子はお金がかかるだろうからと、父が金額を決めたことを母から聞かされていた。それを考えると家族での初詣くらいは腹を括るしかなかった。


 毎年初詣に行く神社は県内でもかなり由緒あるお社だ。正月は大勢の人達で賑わい、県外からの参拝客も多い。露店も多く相当な混雑だ。賽銭箱にたどり着くまでにかなりの時間並ばなければならない。


 だが正月も5日をすぎると参拝客も目減りし、露店の数も半減していた。それでもまだこれだけの人が参拝に来る理由はこの神社の有名と、この土地の観光資源の豊富さにあるのだろう。

 温泉やたくさんの大きな美術館があるから、この町の旅行客は年中絶えない。


 家族で列に数分並び参拝を済ませる。父と母は社務所に挨拶に行くらしい。私はお小遣いをもらい、1人で境内を散歩した。


 父から離れられる私だけの時間だ。とはいえ、友人と元旦に来た時におみくじは引いしまっている。その時にほとんどの露店も見て回り、食べたいものは食べてしまっていた。


 何か見ていないものがないか境内を一周してみる。さして長くもない参道を往復してみる。

めぼしいものは何もなかった。


 誰か知り合いでもいないかと行き交う人の顔を眺めながら歩いてみたが、正月の終わりに神社にわざわざ来るようなクラスメイトは見当たらなかった。おそらくみんな残り少ない冬休みを満喫しているか、受験勉強に明け暮れているのだろう。

 手持ち無沙汰にため息をつき、ベンチで甘酒を飲んで両親の挨拶が終わるのを大人しく待とうと決めた。


 寒い日だったので甘酒を売る露店にはそれなりに行列ができていた。

 財布を出して小銭を準備しようとした時、コートのポケットに財布が入っていないことに気がついた。焦ってデニムのポケットにも手をやるが、手には何の感触も伝わってこない。


 どこかで落としたんだ。コートのポケットに手を入れて歩いていた。手を出した時にはずみで財布が落ち、それに気づかなかったのかもしれない。


 財布の中身は2000円くらいだが、中学生の私にとって2000円は大金だった。

 歩いてきた道を、下を見ながら財布を探して慌てて戻る。境内の周り、往復した参道。

 だめだ、見当たらない。誰かに拾われたのだろうか。

 あのお金でどれだけお菓子の材料が買えただろう。悔やみきれない。


 もしかしたら社務所に届けられているかもしれない。もし届けられていないとしても、そろそろ父と母が挨拶を済ませて出てくる時間だろう。どちらにしても社務所には行かなければならなかった。


 父と母に財布を失くしたことを伝えなければ。父からはまた小言を言われる。

 ポケットに手を入れて歩くなといつも言っているだろう、どうして静子はそんなに不注意なんだ、東京での生活が思いやられる、などなど。


 ため息が出るが仕方ない。小言を言われても仕方ない失敗をしているのだ。万が一、の祈りを込めて地面を注意深く見渡しながら社務所への道を歩いた。


 社務所のすぐ近くで人にぶつかりそうになった。下ばかり見ていて横から来る人に気がつかなかったのだ。

 すみません。ぶつかりそうになった相手に頭を下げ、そう言って顔を上げた。


「真奈……」

 続く言葉が出てこなかった。

 目の前には真奈が驚いた顔で立っていた。

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