第8話 秘密 – 2

 その夜、私はベッドの上でたくさんのことを考えた。


 眠れないことは分かっていた。眠れる訳がないのだ。あんな話を聞かされた後に。あんなに感情を昂らせた後に。明日の夜だって寝つけるかどうか分からない。


 今日の話を聞いて、真奈のこれまでの態度が一つ一つ謎解かれていった。


 真奈は私に話しかけるなと言った。

 それは目立たないようにするための自衛手段だ。自分と家族を守るための自衛手段。そこに少しの綻びも許されない。

 誰に対しても自分に話しかけさせないよう、人といる時間を意図して無くしていた。


 そして私に迷惑をかけないようにするための気遣いでもあったのだろう。殺人犯の家族の友達、というレッテルを私に貼らせないためのものだったのだ。


 冷たい視線と、震えるほど寒くなる空気を身にまとい真奈自身と私の距離を保った。真奈自身を凍らせ続けた。

その上で私をずっと友達だと言ってくれたのだ。


 本当は学校でも自然に私と接したかっただろうし、休日には待ち合わせをしてお茶をしたり買い物に行ったり、映画を見に行ったりもしたかったのではなかったか。

 それは私が真奈としたかったことだけれど、真奈もきっとそう思っていてくれていたはずだ。


 普通の中学生らしいことを普通にする。それを自分に許さず、自分の心を殺し続けていた真奈を思うと、心が押し潰されそうだった。そして真奈は今もそれを続けている——


 真奈は叔父のことが大好きだった。あの海の絵を思い出せば容易に想像がつく。憧れみたいな気持ちがあったのだろう。——それは多分今でも。


 叔父の写真の話をする真奈の目は、空に叔父の姿を映していた。

 大好きな人をずっと悪し様に罵られ続けて、それにも文句の一つも言えず言葉を飲み込み続けてきたのだろう。


 真奈が雑木林であの海の絵を描いていたのは、誰にも気を遣うことなく叔父の面影を追いたかったからなのかもしれない。


 年に一度の写生大会。人が寄りつかない雑木林。真奈が自分らしく振る舞える大切な一日。

 大好きな叔父を思い出し、真奈が友達と言ってくれた私と笑い合える一日。


 真奈が私を友達だと言ってくれた気持ちが本当なら、私が写生大会を楽しみにしていた気持ちの一万倍はその日を心待ちにしていただろう。

 胸が苦しい。吐き気がしてきた。



 それにしてもさっきの父の態度。

 父は最後まで、真奈と私の関係が父の仕事に悪影響だということをはっきりと言わなかった。大人なら分かるよね? と言われ続けたような気がした。

 本当に卑怯だ。責任を逃れようとしているようにしか思えなかった。


 思い返すだけで拳を握ってしまう。頭の後ろで血が逆流する音が聞こえてくる。


 でも私はその意図を理解できてしまっていた。それが無性に悔しかった。そんな自分のことが許せない。そんなことを理解しなければならないくらいだったら、私は大人になんかなりたくなかった。


 そもそも真奈が私の親友だと家族に言わなければこんな話にもならなかったのだ。

 真奈とは約束した卒業式までは話すことはない。このまま家族に真奈とのことを黙っていれば、友達を続けようがやめようが結果としては同じことだ。何も変わらないのだ。


 ——でも、それは正しいことなの? 本当に同じこと? 


 真奈の過去を知り、父の考えを聞いてしまった今となっては、真奈に素知らぬ振りをするのは真奈に対する裏切りになるのではないか。家族を裏切ることになるのではないか。そして、自分を偽ることになるのではないか。


 卑怯なのはお父さんだけではなく私もじゃない? 私は真奈の秘密を知っていることを隠しながら、真奈とずっと友達としていられるの? 

 私はこれから先、みんなにずっと嘘をつき続けながら生きていくの? 

 卑怯なことを自分に受け入れられないと、大人にはなれないの? 


 じゃあ、真奈と友達を辞めるのか。

 それこそ卑怯だ。私が真奈の過去を知ったからといって真奈を嫌いになるわけがない。友達を辞めるということは、私のことも真奈のことも裏切る、一番卑怯な選択だ。



 どうすればいいのか分からない。抱えた課題に15年分の皺しか刻まれていない私の脳では答えを出す自信がなかった。


 ——喉が渇く。


 キッチンに水を飲みに行こうとダイニングに向かう。キッチンのドアの隙間から漏れる明かりが目に入った。咄嗟に忍び足になり、光の届かない距離に身を隠した。

 ダイニングに父と母がいる。


「僕は……卑怯者だね」

 父が鼻をすする音が聞こえた。それに応えるかのように母も鼻をかんでいる。


 その音はドアの隙間から空気を伝って私の鼓膜に響いた。

 あんな歳にもなって泣くようなことを、娘に言わなければならないなんて。


 本当に、大人になんかなりたくない。

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