第7話 父
夏休みに父の運転する車に乗り、家族でショッピングモールへ買い物に行った。
夏に誕生日を迎えた私へのプレゼントに、クッキーの型のセットを買ってもらい、夜はレストランで外食をする予定だった。
父の運転は臆病と言ってもいいくらい慎重だ。無理も無茶もしない。対向車に道を譲る時は窓を開けて笑顔すら見せる。
家の中ではいつもムスッとした顔をして言葉少なな父が、外では人にヘラヘラと気さくに笑いながら声を掛けていた。
そして話した相手のことは大抵の場合はどこのどんな人なのかを知っていた。
この町の事情通といっていい。
玄関を一歩出れば、全ての行動、態度は父の上司にあたる議員の評判と、選挙のため。
父がとにかく世間体を大事にするのは仕事柄なのだ。
上京を認めてもらってから、父との関係は少しずつ改善していた。
だが、仕事が関わる時の父は苦手だった。嘘つきな大人の代表だと思っていた。
ショッピングモールで買い物を済ませ、レストランに向かう道すがら、赤信号で車が止まった。
横断歩道を初老の男性と孫らしき少女の2人が通り過ぎる。父が深いため息をつく。
私は後部座席で窓の外をぼんやり眺めていたが、父のため息に釣られて目の前を歩く2人に目を向けた。少女は前を行く男性の数メートル後ろを歩いていた。男性がときおり振り返って少女に声を掛けている。その様子がなければ他人の2人に見えていただろう。
特に惹かれることもない光景だったが、私は突然息を飲んだ。
目の前を横切る少女は真奈だった。
真奈はこちらに気づかない。
前にいるのは、お祖父さん? いや、真奈の家族の話にお祖父さんは出てこなかった。多分お父さんなのだ。
「真奈……」
父がバックミラー越しに私の様子を窺った。
私は父のその視線に気づき、鏡の中で目が合う。
「知り合いなの?」
母が助手席から私を振り返り尋ねてきた。
「……うん。吉野真奈さんっていうの。すごくいい子。私の親友だよ」
学校では誰にも真奈との関係を打ち明けられない。家族の前でくらい、真奈を親友と呼んでみたかった。顔に気恥ずかしさが出るのを抑えるのに苦労した。心臓はどきどき鳴っている。
「そうなの? そんなに仲良い子なのに初めて聞く名前ね。
今度家に連れてきたら? 静子が作ってるクッキーをご馳走してあげなさいよ」
そうしたい。それは叶わないのだけれど。
「うん、いつかね」
私は曖昧に言葉を濁した。
レストランに到着し、私はハンバーグを食べた。これから作ろうと思っているお菓子の話、受験勉強の進み具合、将来やりたいと考えているお店の話を話題にあげた。
母とはあれこれと話し合っていたが、父は一切会話に入ってこず、黙々と魚料理を食べていた。なぜか機嫌が悪そうだ。
受験勉強の話なんかは父の大好物だろうに。私に興味なんか全くないような顔で魚の小骨を取り除いていた。
なんなの、まったく。
その日、眠りにつく前。私は幸せだった。
今は夏休みだから真奈を遠目に見る機会もない。偶然とはいえ、久々に真奈を見られたことが嬉しかったのだ。
卒業式の日、真奈にクッキーをプレゼントしよう。たくさん焼いていく。中学校生活最後の日だ。先生も大目に見てくれるだろう。なんなら賄賂にクッキーを配ってもいい。
そんな考えに、ふふっと笑いが漏れる。
どんなものを焼くか考えているうちに私は幸せな眠りに落ちた。
翌日の夕食後、私は父から話があると呼び出され、居間のソファに座らされた。目の前には厳しい顔をした父と、こわばった顔の母。
いったいなにごと?
「静子」
父が口を開く。
「単刀直入に言うね。吉野真奈さんと仲良くするのは一切やめなさい」
耳を疑った。この人は何を言ってるの?
「はあ? お父さんに私の友達に口出す権利なんかないじゃない!」
湧き上がる怒り。目の前が赤くなり、そしてドス黒くなっていく。
「静子」
「なに!!」
何を言われても、怒鳴り声のボリュームになる予感がした。
「いいかい。静子は自分が将来やりたいことをお父さんに話して、お父さんはそれを受け入れた。静子の気持ちの強さが分かったから」
「それとこれとなんの関係があるの」
呼吸が荒い。
嫌い。真奈のことを悪く言う人なんかみんな大嫌い。
「お父さんはその時から、静子のことを一人前の大人として考えている。もちろんまだ中学生だ。でも大人として、きちんと話ができる人間だと考えているんだ。
実際の大人にだって、静子がやったことをできる人は少ない。
だから、子供扱いはしない。大人として、全部を話そうと思っているし、お母さんともそう話し合った」
私は母の顔を見た。母はこわばった表情のままだ。でも、私のことをまっすぐ強い力で見据えていた。
お母さん、助けてくれないの?
「静子。大人と大人の会話だ。まずは落ち着きなさい」
全てを壊してやりたかった。許せることじゃない。
でも私は深呼吸をした。
いい。そんなに言うなら聞いてやる。どんな無茶を言ってきたって、真奈のことを分かっているのは私しかいないんだから。
「お父さんがどういう仕事をしているか、静子は分かってるね?」
「分かってるよ。議員先生の秘書様でしょ。外ではみんなにヘラヘラして、議員先生のためにヘコヘコして、家の中ではムスッとしている訳のわからない仕事」
「静子! あなた、なんて事言うの!」
母が立ち上がって怒鳴った。母のこんな大きな声を初めて聞いた。母は本気で怒っている。
だからなに? 私だって本気で怒っている。
「お母さん。いいんだ。落ち着いて」
父は母をなだめ、座るように促す。
「静子の言う通りだよ。お父さんはそういう仕事をしている。お父さんがやりたいことを実現するために、それが必要なことだからだ。
東京の高校に行くために、静子はお父さんに何回もお菓子を焼いたね。その静子には分かるはずだ。
仕事としてやりたいことを成すためには、クリアしなければならないことがある。必要なことがある。わかるね?」
なんとなく分かる。悔しいけど。
「お父さんは、この町をより良くするために、今の先生のために力を尽くしている。その先生が選挙で勝って、この町をより良くしてくれると信じているからだ。
そのためなら、お父さんは町の皆さんの話を聞くし、選挙に協力をお願いもするし、ヘコヘコだってする。それはお父さんの夢のためだし、お父さんが誇りを持っている仕事だからだ。
だから、障害になることは取り除かなきゃならない。それが、娘の友達であったとしてもだ」
だから、なんで真奈が障害なの? 身体の震えが抑えられなくなりそう。
だが、私の鼓膜は父の言葉を待っていた。父は真奈について何か知っているのだ。
「うん。前提は伝えた。そして、静子も話を聞く準備はできたね。
きちんと、大人として聞くんだよ?」
私は痙攣する目元を押さえながら、ゆっくりとうなずいた。
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