第43話 カサレラの願い

「カサレラ!」

 感極まって、ナファネスクは歓喜の叫び声を上げた。ところが、一向に振り向こうとしない。

 よく見ると、カサレラの両手は赤い鮮血で染まり、その足下には深紅のローブを着た因縁の男が全身から大量の血を流して倒れていた。


 どういった成り行きかは分からないが、魔法のような特殊な力で無残に殺された帝国の宮廷魔導師カシュナータに違いなかった。

 父親代わりのエゼルベルクを死に追いやったかたきの一人として、この男だけは自分の手で葬りたかったが、どっちにしても哀れな末路と言えた。


 呪文を使う上で、滅骸めつがい師のカサレラでも不可能ではない。それでも、自分の知る清廉な少女がこんな残忍な殺し方をするわけがなかった。それを目の当たりにして、ナファネスクは全身に悪寒が走った。

「カサレラ……お前……」

「よくぞここまでやって来たな、無疆むきょう獣気じゅうきを持つ者よ!」


 声音はカサレラのそれだったが、話し方が別人のものだった。ようやくナファネスクに振り返ったカサレラの顔は今まで目にしたことがないおぞましい笑みを浮かべていた。

「我が名は冥邪天帝ヴェラルドゥンガ。この世に破滅をもたらす存在も の である!」

 その言葉を聞いた瞬間、宝剣が手からするりと零れ落ちた。それと同時に、ナファネスクはこれ以上ないほどの喪失感に襲われ、地面に両膝をついた。時既に遅かったのだ。


「そんな――!? う、嘘だろ? お願いだから、嘘だと言ってくれ!」

 カサレラとの約束を守れなかったことに愕然がくぜんとうな垂れ、言葉では言い表せない悲痛な思いから涙が溢れ出た。心底愛した少女はもうこの世のどこにもいない。

 絶望のどん底に突き落とされたナファネスクから戦意が消えかかろうとしていた。

                ☆

「俺はカサレラの信頼を裏切っちまった! あいつを絶対に守るって誓ったのに! もう俺に生きてる資格なんてありはしねぇ!」

 ナファネスクは泣き崩れたまま微塵たりとも動こうとしなかった。止めどなく自分をむしばんでいく虚無感と悲壮感に打ちひしがれながら。まさにただの抜け殻と化し、もはや本来の目的を見失いかけていた。


【何を愚かなことをぬかしておるのだ! 冥邪めいじゃ天帝ヴェラルドゥンガは既に顕現けんげんしてしまったのだぞ! 早く我と融合するのだ!】

 壊神かいしん竜は腑抜けになったナファネスクを厳しく叱咤する。

「嫌だ! あの姿のままじゃ、殺せるわけがねぇだろ!」

 まるで駄々をこねる子供に戻ったようだった。


「先ほどから何をわめいておるのだ? 戦う気がないのなら、即刻死んでもらうとしよう!」

 ヴェラルドゥンガが乗り移ったカサレラの右腕がナファネスクに真っすぐ伸び、掌に膨大な妖気が満ち溢れていく。

 その手から妖気の光線が放たれる寸前、何かがそれを邪魔した。焔豹ケマールのハクニャが鋭い爪で引っ搔いたのだ。


「クッ、獣ごときが小賢しい真似を!」

 ヴェラルドゥンガは憤激を露わにした。すかさずハクニャの横っ腹を蹴り上げる。

 見た目はカサレラだが、その威力は凄まじいものがあった。ハクニャは激痛に鳴き声を上げながら、遠くに吹き飛ばされた。

「ハクニャ!」


 ナファネスクはふらりふらりと足取りがままならない中、自分のことを何度も救ってくれた聖獣に駆け寄った。すかさず抱きかかえるが、気を失っていた。

「ハクニャ、しっかりしろ! どうしてこんな俺なんかを――」

 それ以上は言葉が出なかった。今まで一緒に暮らしてきた焔豹の痛々しい姿を見ても、自暴自棄に陥っているナファネスクは立ち直れないでいた。


「今度こそ始末してくれる!」

 もう一度右手に妖気を集めようとしたとき、ヴェラルドゥンガに異変が起きた。突如苦悶の表情を浮かべると、呻き声を上げながら両手で頭を抱える。

「ナ……ナファ……ナファネスク、あた……あたしを……す……救って! おね……お願い!」

 それはヴェラルドゥンガの言葉ではなかった。最後の力を奮い起こして絞り出したカサレラ自身の言葉だった。

「カサレラ!? お前……」

「えぇい! 黙れ! 黙れ! 依り代の分際で我が意思に干渉するとは……どうやらこの体の持ち主を少し見くびっていたか――」

 ヴェラルドゥンガは予期せぬ事態に動揺しているようだ。


「よかろう! 我が真なる力を見せつけ、もはや二度と邪魔立てなどできぬように内から消し去ってくれるわ!」

 憤慨したように雄叫びを上げると、全身に物凄い妖気を充満させた。次の瞬間、カサレラの着ていた衣服が全て引き裂かれ、ヴェラルドゥンガの容貌が露わになった。


 下半身は鋭い爪を伸ばした四本足に太い尻尾が生えた巨大な怪物に変貌した。猛々しい二本の角が生えた顔は野獣のそれだ。

 上半身は人間とほぼ同じ姿のままだったが、肩までしかなかった金髪は赤黒く変色して伸び続け、ふくよかな胸と背中を覆い隠した。口元からは二本の長い牙を覗かせている。

 右手には突然出現した穂先が二叉に分かれた長い槍を持っていた。


 ふとナファネスクが贈った華麗な装飾の髪飾りが地面に転がり落ちた。それを気にした風もなくヴェラルドゥンガの前足が無残に踏み砕く。

 巨大化し、姿を変えたヴェラルドゥンガからはほとんどカサレラの面影を感じることがなくなった。

「さて、無疆の獣気を持つ者よ、これ以上生き延びられるとは思わぬほうがいいぞ!」


 ヴェラルドゥンガは二叉の槍に尋常ではない妖気を溜め込み、ナファネスク目がけて一気に放った。先ほどとは比べ物にならない威力だ。だが、ハクニャを抱いたままの向こう見ずな少年は紙一重で避けた。

 激しい爆音が轟く中、ナファネスクは気絶したハクニャをそっとその場に寝かせた。


「ほう、顔つきが変わったな。やっと戦う気になったか?」

 ヴェラルドゥンガが不遜ふ そんな態度で問いかけてきた。

「ああ、今のあいつの言葉で俺にはまだやり残したことがあるって気付かされたんだ。それはカサレラをお前の呪縛から解き放ってやることだ!」

(まだ俺の戦いは終わってねぇ! あいつの魂を安らかに眠らせてやるまではこんなところでくたばるわけにはいかねぇんだ!)


「さっきはがっかりさせて悪かったな、ゼラム。すぐに獣霊降臨ペンテコステスだ!」

【うむ、承知した!】

 金色こんじきの巨竜が現れ、ナファネスクの体と融合する。その獣霊アルマを見たヴェラルドゥンガは少し驚いたような顔を見せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る