第40話 心の変化
カサレラは自分がとても不安定な体勢でいることを全身で感じながら、重たい
「こ、ここは?」
一瞬記憶がおぼろげになる。
確か、今朝目が覚ました記憶はある。ただ、昨晩の出来事があってからナファネスクと顔を合わせるのが気まずくて河原で顔を洗いに行った。それから――。
ハッと全ての出来事を思い出したカサレラの目が大きく見開かれる。すぐに自分がどういう状況下にいるのかまじまじと見つめた。
全身が思うように動かないと思ったら、両腕と両足は金属製の拘束具を嵌められ、そこから四本の長い鎖が遥か遠くまで伸びた両端の大きな杭まで伸びていた。
足下の周辺には何かを形作っていた陶器の欠片が散らばり、鼻につく血生臭い匂いとともに真っ赤に染まった大魔法陣の中央に立たされていることを知った。
「《破滅の聖女》よ、ようやくお目覚めですか?」
その声に聞き覚えがあった。自分をこの場に連れ去った男であり、ベネティクス帝国の宮廷魔導師カシュナータだ。カサレラは憎悪の満ちた眼差しで睨みつけた。
「その耳障りな呼び方は止めてくれないかしら! あたしにはカサレラっていうちゃんとした名前があるんだから! あと、理由は分からないけど、あたしが気絶してる間に
「それはどうでしょうかね」
カシュナータに動じた様子はない。
「敢えて目覚めるまで待っていたのはヴェラルドゥンガ様が地上に降り立った際に、あなたの存在を確実に突き止めるためです。どうやらあなたの意識が鮮明なときでないと、冥邪
カシュナータは薄ら笑いを浮かべた。
「それにしても、あなたはとても幸運な人ですね。この大陸にごまんといる人間の中で、唯一ヴェラルドゥンガ様の依り代になれるのですから。まさに世界を滅ぼすために生まれてきたと言ってもいいでしょうね」
「ふざけないでよ! 絶対に顕現させやしないんだから! あたしは、呪われた自分の運命に最後まで
こんな風に思えるようになったのは、ひたすらに自分を思ってくれるナファネスクのおかげだった。
一心に好きになってくれた無鉄砲な少年が今までの
これまでいろいろなことがあったが、それらを全てひっくるめて不幸な人生なんて思わないことにした。この体のおかげで大切な人たちに出会えたのだから。
粗野で少しバカだけど、自分の心に真っ正直なナファネスク。愛くるしいほど可愛げな
みんながかけ替えのない大切な存在だ。それもこれも、自分が冥邪天帝ヴェラルドゥンガの唯一の依り代でなければ、出会えなかった。
人の温かみを心の中で感じながら、カサレラはふとあることに気付いた。ずっと大事にしていたものが見つからなかった。
「もしかして、探しているものはこれでしょうか?」
カシュナータは右手に隠し持っていた魔道具をあからさまに見せびらかした。
「奇しくも、あなたがヴェラルドゥンガ様の宿敵とも言える太陽神ロムサハルを崇める滅骸師だったとは少々驚きましたよ。でも、これがなければ何もできやしない。違いますか?」
「クッ!」
「おい、カシュナータよ。いつになったら冥邪天帝とやらの顕現を始めるのだ。余はそろそろ待ちくたびれたぞ」
後ろにいた帝国の皇帝ボルキエスタがつまらなそうに割って入ってきた。
「陛下、長らくお待たせしました!
「うむ。早く始めろ」
ボルキエスタは自分が真っ先に殺されることも知らずに命令を下した。
「はっ、仰せのままに!」
カシュナータは深々と一礼すると、大魔法陣に向かって歩き始めた。
まだ生きていたい。自分にだっていろいろやりたいことがあるのだから。物心ついた頃から初めて抱いた生に対する執着心。
カサレラは必死になって足掻いた。だが、両方の手足は頑丈な鎖で引っ張られ、思うようにならない。そこで、やり方を変える決断をした。
精神を統一すると、両手を組み、両膝を地面について、大きな両方の瞳を閉じた。そのまま
「太陽神ロムサハル様、その御名においてどうかあたしをお救いくださいませ! このとおりお願いします! あたしをお助けください!」
それは神聖呪文を唱える呪文でなく、ただの切なる懇願でしかなかった。
「ハハハ」
カシュナータは高らかに哄笑した。
「何をするのかと思えば、神頼みとは笑わせてくれますね。《破滅の少女》よ、もしそれで鎖が断ち切れたら、それは〝奇跡〟と呼ぶのですよ!」
あからさまに小馬鹿にするカシュナータの言葉など全く耳に入らなかった。カサレラはただ強い信仰心とともに祈り続けた。そのときだ。
太陽神ロムサハルを唯一絶対神とするムーリア教の
不安的な体勢で立っていた清廉な少女は両手をついて前のめりに倒れ込む。
「ありがとうございます! 太陽神ロムサハル様!」
カサレラは祈りが通じたことに感謝の言葉を口にした。
重たい金属製の拘束具が付いたままだが、この魔法陣から逃げ去ることは可能だった。
力を振り絞って立ち上がると、大魔法陣の外に逃れようと死力を尽くして駆け出した。
「往生際が悪いですよ!」
カシュナータは天晶玉をその場に投げ捨てた。すかさず左手で抱えていた魔導書を開く。
「万物を焼き尽くす
呪文の詠唱が終わると、六芒星の大魔法陣の全ての頂点を通るように描かれた外円から勢いよく灼熱の炎が高々と噴き上がった。
「キャッ!」
ほんの僅かの差で行く手を
「お遊びはここまでにしときましょうか。さぁ、ヴェラルドゥンガ様が顕現されるときです!」
カシュナータの声の響きが変わったのを感じた。これから起きることを心から楽しんでいるように聞こえた。
「助けて!」
耐え難い恐怖心から、カサレラは大粒の涙が零れ落ちるのを感じた。もはや頼みの綱は一つしなかった。
「助けて、ナファネスク!」
力の限りを尽くして叫んだ。必ず自分を守ると誓ってくれた少年に全てを託した。この窮地から必ず救い出してくれると信じながら――。
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