第39話 ナルーガ族の長ハバムド

「死んだだって!? あんな立派な人が何て不運なことだ!」

 後ろに振り返りながら、オルデンヴァルトは耳を疑うほど驚愕していた。

「それで、ドルガガはいったい何が原因で亡くなったんだ?」

 その問いかけに周囲を重苦しい静寂が包み込んだ。ハバムド以外の獣人たちは何故かとても悔しそうにうつむいている。


「あの野郎、俺様のやる事なす事にいちいち説教をたれやがってよ! いい加減目障りだったから、俺様がこの手で殺してやった!」

「お前――!? 彼は瀕死だった俺をこの森でかくまってくれた命の恩人だ。その人を殺したって言うのか?」


 オルデンヴァルトの声は激しい憤りでわなわなと震えていた。

「ああ、そうだ! 何しろ俺様は亡きソルメキア王国の五大英雄神の一人に選ばれた《暴虐の獣神》の異名を持つムドバルの息子なんだからな!」

「……なるほど。それで、今の族長は誰なんだ? 教えてくれないか?」

 オルデンヴァルトが必死に怒りを押し殺しているのがまざまざと見て取れた。かける言葉が見つからなかった。


「もちろん、この俺様に決まってるだろ!」

 想定内の答えだった。ハバムドはその恵まれた膂力で周囲の者たちをねじ伏せ、族長の座を奪い取ったのだろう。長老たちも逆らえなかったに違いない。

「それで、お前のことだ。簡単には秘密の暗号を教える気はないんだろ?」

「まぁな! そこの生意気な元王子と戦わせろ! 無疆むきょう獣気じゅうきの持ち主なんだろ? もしこの俺様に勝てたら、教えてやるぜ!」

「図に乗るのも大概にしろ! ハバムド、お前など俺にすら勝てはしない! そのことを身を持って叩き込んでくれる!」


 オルデンヴァルトは怒り心頭に発していた。もはや誰も止めることはできない。

「言うじゃねぇか、オルデンヴァルト! それなら、まずお前を血祭りに上げてやる! 他の奴らは隅にどいてろ!」

 有無を言わさないハバムドの命令に、他の獣人たちは嫌々従った。

 ナファネスクもハクニャを連れて戦いの邪魔にならないところまで身を引いた。ハバムドの勝利を願っている者は皆無に等しかった。

「ハバムド、亡き親友と も の子供だからこれまで多めに見てきたが、お前は大きく道を踏み外したようだ。それをこの場で正してくれる!」


 何故かは不明だが、オルデンヴァルトは紫電鳥しでんちょうアシュトロアを獣霊降臨ペンテコステスせずに、二ちょうの弩を武器召喚デスペルタルするだけに留めた。 

 ハバムドも自分の魂に宿る狂暴猪きょうぼうちょギャラステインを獣霊降臨したときの武器である巨大な戦斧を武器召喚した。

「そんなちんけな武器で、この俺様に勝とうってか? 笑わせるぜ!」

 粗暴な獣人はおちょくるように鼻で笑った。


「俺が勝算のない無謀な戦いには挑まない人間なのは知っているだろ? お前に負ける気などこれっぽっちもない! さぁ、どこからでもかかって来い!」

「ふん! 後で吠え面をかいても知らねぇぞ!」

 ハバムドはありったけの獣気を帯びた巨大な戦斧を高々と持ち上げると、全力で地面に叩きつけた。


 物凄い地響きとともに戦斧を突き刺した場所から三方向に地割れが起きた。それと全く同じ速さで、荒波のような獣気波がオルデンヴァルトに襲いかかる。誰が見ても、もはや逃げ道はないように思われた。

 巨大な戦斧から三方向に放たれた膨大な獣気波は聡明な元騎士のいた場所を通り過ぎてから自然消滅した。そこに人らしき姿はなかった。

「おいおい、跡形もなく消し飛んじまったぜ!」

 ハバムドは勝ち誇ったよう大笑いする。


「本当にそう思ってるのか?」

 笑いが止まらない粗暴な獣人の背後から凍りつくような冷たい声が聞こえてきた。

「な!?」

 総毛立つハバムドは振り返りながら、何かを言おうとした。ところが、オルデンヴァルトの強烈な足払いで体勢を崩され、地面になぎ倒される。その顔面のすぐ近くには一挺の弩が突きつけられていた。

「ど、どうして生きている!?」

 思いも寄らない状況にハバムドは顔面蒼白になる。


「なぁ、俺が何年ここで暮らしていたと思う? お前の戦い方や癖ぐらいとうの昔に熟知している。お前の気性からして、初撃からあの派手な攻撃を仕掛けてくることは簡単に予測できたのさ」

 昔を少し懐かしむようにオルデンヴァルトは話した。さらに続ける。

「見切った攻撃を避けるのはいとも容易い。そうだよな?」

「クソッ!」

 この戦いはハバムドの完敗に終わった。

 距離を置いて一部始終を見ていたナファネスクには、オルデンヴァルトがどういう風にあの三方向からの荒々しい獣気波を避けたのか、はっきりと見て取れた。同じ獣霊使いドマドールだからこそ目視できたと言ったほうがいいかもしれない。


 ハバムドが強烈な獣気波を放った瞬間には、聡明な元騎士は両足から獣気を放出して高々と宙を飛んでいた。後は気配を消して、素早く背後に回り込んだのだ。

「お前の負けだ。さぁ、秘密の暗号を教えろ!」

 声高に問い詰めるオルデンヴァルトに対して、ハバムドは口を固くつぐんだままだ。どうやら勝敗が決したにも拘わらず、弩を向けたままなのが気になっているようだ。


「教えたら、この俺を殺す気だろ?」

 痛烈な敗北を喫した手前、「俺様」とは言い出せないようだ。

「お前が族長の座から退き、今までの悪行を悔い改めるのなら生かしてやらなくもない」

 恩情をかけた言葉だった。それでも、恩人を手にかけた憎しみは一生消えないだろう。

「断る! そんなことしたら、ここでの俺の居場所がなくなっちまう!」

「それなら気持ちを入れ替え、俺とともにナファネスク様を助けるんだ! 帝国の野望を粉砕するために!」


 無様にわめき散らすハバムドに、オルデンヴァルトは新たな未来の道を指し示した。

「帝国の野望? あいつら、また何か企んでるのか?」

「そうだ! ナファネスク様はそれを叩き潰すために奴らが根城にしているエスカトロン城に向かおうとしている! それにお前もついて来い!」

「おうよ! 俺は今までずっと暴れたくてウズウズしてたんだ! それも、親父を殺したあの憎き帝国に一矢報いられるんだったら、俺は何だってやるぜ!」


 勝手に話はまとまったようだ。オルデンヴァルトはハバムドに手を貸し、助け起こした。

「もう気が済んだのか?」

 ナファネスクは二人に歩み寄ると、オルデンヴァルトに確認した。


「はい。恩人のドルガガを殺したかたきはさっき死にました。今ここにいるのはあなた様の尖兵になることを誓った仲間です! そうだよな?」

「ああ、この俺に二言はねぇぜ! 王子、いや、ナファネスク様、さっきは無礼な振る舞いをして悪かったな。けどよ、このとおり俺は改心したんだ! これから先はあんたのために命を賭して戦うぜ!」

 仲間が増えることは心強い。とは言っても、ナファネスクは一応釘を刺しておくことにした。


「念のために言っておくが、俺らは今から敵地の真っ只中に乗り込む! 無事に生きて帰れる保証なんてどこにもねぇ! それでもいいんだな?」

「当たり前よ! 俺は一度命を失ったのも同然なんだぜ! 例えどこだろうとやりたい放題に暴れ回ってやる!」

 ハバムドの決意はとても強固だ。ナファネスクは満足した。


「じゃあ、早く新しい族長を早く決めろよ」

「それは長老たちにゆだねることにするぜ! この俺が決めるよりも、百倍マシな野郎を選んでくれるはずだからな!」

 そこでハバムドはうるさいほど大声で笑った。


「じゃあ、門のところまで案内してくれ!」

「任せとけ! この奥だ!」


 ハバムドに先導され、ナファネスクたちは《異空間転移の門メタスタシスプエルタ》まで向かっていく。これから巻き起こる最終決戦に備えながら。

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