第35話 カシュナータの策謀

「まさか――!?」

 帝国の手先の襲撃。それしか考えられなかった。二人は全速力で河原まで駆け出した。

 浅瀬の川のほとりには、二体の巨大な冥邪めいじゃとベネティクス帝国の宮廷魔導師カシュナータの姿があった、カシュナータは気絶した清廉な少女を右肩に担いでいた。

「カサレラ!」


 ナファネスクは焦燥感をにじませながら大声で叫んだ。だが、気を失った状態のカサレラの耳には届かない。それを知ってか、カシュナータが高らかに笑い声を上げた。

「これは、お久しぶりですね」

「お前! ぶっ殺されたくなかったら、今すぐカサレラを返しやがれ!」


 荒々しい声で食ってかかるナファネスクをいかにも楽しそうに見つめると、カシュナータは再び嘲り笑う。

「相変わらず下劣な言葉使いですね、元王子。そんなこけ脅しで本気で返すとでも思っているのですか? 僕はこの機会をずっと待っていたのですよ」

「ずっと待ってただと!?」

「ええ、僕が直々に出向いたのですから、絶対に失敗は許されません。そこで、彼女が一人になったところを確実に捕まえさせてもらいました。我々の目的が《破滅の聖女》の奪取と知りながら、あなた方も注意散漫でしたね。では、失礼!」

「待ちやがれ! そう簡単に逃がしはしねぇぞ!」


 ナファネスクは帝国の宮廷魔導師に向かって全力で駆け出した。その動きを見越したように二体の冥邪どもが行く手をはばむ。

「お前ら、邪魔すんじゃねぇ!」

 残念ながら、この二体の冥邪をたおさないと、カサレラの救出には行けそうになかった。その隙にカシュナータは左手で魔導書を開いて呪文を唱える。

「目を覚ませ! カサレラ!」


 右手を伸ばして呼び止めるナファネスクの叫び声も虚しく、カシュナータは勝ち誇った笑みを浮かべながら瞬間転移した。

「クッ、畜生!」

 頭に血が上ったナファネスクは悔悟かい ごの念にむしばまれた。

「ナファネスク様!」

「ああ、分かってらぁ! まずは目障りなお前らを叩き斬ってやる!」


 オルデンヴァルトの呼びかけに答えると、ナファネスクは目の前に立ちはだかる二体の冥邪を鋭い眼光で睨みつけた。


 迂闊にもカサレラを連れ去られてしまった以上、残された道は冥邪天帝ヴェラルドゥンガの依り代になる前に救い出すしかない。そのためには一分一秒でも早く二体の巨大な冥邪どもをほふる必要があった。


 臨戦態勢を整えるべく、ナファネスクは冥邪どもから少し遠のいた。そのまま二体の冥邪を隈なく観察する。


 向かって左側の冥邪は二対四枚の大きな翼を生やし、四本の腕と二本の足があった。全ての腕に厳めしい手甲を嵌めている。短い毛で覆われた全身に鎧をまとい、顔は怪物のそれだ。


 反対側の冥邪は一対二枚の翼を持ち、全身は巨大な蛇のような姿で途方もなく長い。二本の前足と二本の後ろ足があり、全ての足に鋭い爪が生えている。顔は野獣のそれだ。


「汝が無疆むきょう獣気じゅうきを持つ者か?」四本の腕を持つ冥邪がナファネスクに声をかけてきた。

「我は百体いる冥邪王の一体であり、名はアブゾルド。我が欲するは強く、気高き者との戦いのみ。さぁ、我と剣を交えよ!」

「いい度胸じゃねぇか! さっさとかかって来な!」


 先ほどからナファネスクの心には憤怒の炎が燃え上がっていた。まずは敵をたおすことだけに意識を集中させる。

「ならば、残りものは我が頂こうか。我も百体いる冥邪王の一体であり、名はエラゾルベ。汝ごとき、即刻始末してやろう!」


「フッ、俺も舐められたものだ。かつては《飛翔の戦神》と呼ばれし者として、全力で相手になろう!」

 オルデンヴァルトもすでに意を決したようだ。

「ゼラム、さぁ、獣霊降臨ペンテコステスだ!」

【承知した。死にたくなければ、全力でかかれ!】


 壊神かいしん竜の忠告めいた声が脳に直接伝わってきた。すると、金色こんじき)の巨竜がナファネスクの体に舞い降りた。その直後、三対六枚の翼を生やし、巨竜と同じ色の幻獣騎兵ポルタビオーネスゼラムファザードとなる。右手には重量感のある双刃鎗そうじんそうを持っていた。


 オルデンヴァルトも即座に紫電鳥しでんちょう獣霊アルマと融合して、深紫色の全身鎧で身を覆った幻獣騎兵アシュトロアに姿を変えていた。

 それぞれの翼を羽ばたかせて上空に舞い上がった。


 ゼラムファザードはアブゾルドと、アシュトロアはエラゾルベと対峙する。

(この戦いだけは絶対に負けられねぇ! どんなことがあっても、勝ってやる!)

 ナファネスクは自分の命を賭してまで課した誓いを破ってしまったことを呪わずにはいられなかった。事ここに至っては全ての敵を斃して、カサレラを無事に救出することでしか自分を許すことができないだろうと思った。


(待ってろよ! カサレラ!)

 今まさに壮絶な死闘の火蓋が切って落とされようとしていた。

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