第34話 イヤらしい思い
ナファネスクとカサレラは狭い荷台の中で、それぞれ薄い布団に
カサレラの寝顔をそっと見ながら、ナファネスクは何だか寝られずにいた。こんなに間近で好きな女性の寝顔を見られるなんて滅多にあるものではない。そう思ったら、眠るのがとてももったいない気がした。そのまま自然とカサレラの薄い唇に目がいった。同時に、イヤらしい思いが脳裏をよぎり、生唾を飲み込んだ。
(ここでキスしても、バレねぇよな?)
そのまま顔を近づけようと思ったときだった。
「何じろじろと人の顔を見てるのよ!」
不意にカサレラは目を開けると、ムスッとした顔で睨みつけてきた。
「お、お前、まだ起きてたのかよ?」
ナファネスクは一瞬心臓が止まるかと思うほど驚嘆した。
「起きてちゃ悪いの? そんなに見られてたら、寝たくても寝られないわよ!」
「そっか、そりゃそうだよな。悪かった」
ナファネスクは自分の怪しげな行動を知られていたと思うと、羞恥心に駆られた。
「何を恥ずかしがってるのよ。あ、もしかして、変なことでも考えてたんでしょ?」
「ち、違うって!」
「あー、イヤらしい! この変態!」
「変態って!? お前、普通そこまで言うか?」
「じゃあ、今何を考えてたのか、はっきりと白状しなさいよ!」
「そ、それは……」
「ほら、言えないじゃない! この変態! いや、変態バカ!」
カサレラの侮蔑的な言葉を全て受け入れるしかなかった。自分がやろうとした行為はそれに値するものだと思ったからだ。
少しの間、静寂が訪れた。
「……おま……スを……し……った……」
ナファネスクは聞き取りにくいほど小声で呟いた。
「何? 全然聞こえないんだけど」
カサレラの問いかけに対し、ナファネスクは決心を固めた顔をする。
「お前にキスをしたかったって言ったんだよ!」
「え?」
その言葉から
「前にも言ったでしょ。私は呪われ――!?」
カサレラはそれ以上話すことはできなかった。「それ以上は口にするな!」とでも言うようにナファネスクが唇と唇を触れ合わせてきたからだ。それに対して、カサレラは抵抗しようとはしなかった。
少しして、重ね合った唇が離れた。
「お前は呪われた女なんかじゃねぇ! 俺が絶対にそれを証明してやる!」
恥ずかしそうに
「もう知らない! あんたって本当にどうしようもないバカなんだから!」
口づけは拒絶しなかったものの、カサレラは恥じらいから大声で怒鳴った。そのまま布団を頭まで被ると、ナファネスクに背を向けた。その姿を一瞬たりとも目を離せなかった。
(俺の思いは伝えた。拒否はされなかったんだ。それでいいじゃねぇか)
興奮して今夜は眠れそうになかった。その反面、心の底から安堵の息が漏れ出た。
ナファネスクは先ほどの最高に幸福な瞬間を何度も思い返してはとても満ち足りた気持ちに浸っていた。
自分の人生の中で生涯忘れられない夜になると確信した。
☆
ナファネスクはハッとして目が覚めた。急いで起き上がると、既に朝日が昇ろうとしていた。
(しまった! もう朝じゃねぇかよ!)
昨日の夜は気持ちがとても興奮して、寝られそうにはなかった。それなのに、いつの間にか眠りに落ちてしまい、今に至る。
ふと横にいるカサレラを見た。どうやらまだぐっすりと寝ているようだ。
ナファネスクはそっと荷台から出ると、たき火のあるほうに向かった。
案の定、たき火に枯れ木をくべながらオルデンヴァルトは見張りをしていた。
「オルデンヴァルト、これはどういうことだよ! 夜中に交代するはずだっただろ!」
「これは、ナファネスク様。おはようございます」
「挨拶なんかどうでもいい! 早く
「それなんですけど。交代しようかと荷台に行ったら、お二人とも気持ちよさそうに眠られていたので、起こすのを
悪くもないのに、オルデンヴァルトは頭も下げた。
「いや、別に謝らなくてもいいけどよ」
「それに数時間ですが、俺もここで眠りこけていたようです。ですから、あまり心配しないでください」
嘘か誠か分からないが、それが事実ならホッとする話だ。
これからまた旅をする中、夜通し起きていたのでは体が持たない。自分たちには
冥邪王や先ほどの冥邪との戦いにおけるオルデンヴァルトの活躍は、アルメスト王国の五大英雄神の名に恥じないものだった。いつの間にか欠かせない戦力になっていた。
もし、自分とカサレラだけだったら、ここまで生き抜いて来られたかどうかも分からない。
「カサレラはまだ眠っているみたいですね。では、彼女が起きるまで待つとしましょう」
「いいのかよ?」
「はい、後一時ぐらいなら問題はありません。おそらくですが、俺たちはこれから苦難の旅が待っているはずですから。寝たいときに眠らせてあげましょう」
苦難の旅。もちろん、それは帝国の手先との戦いを意味していた。今まで襲ってこなかったのが不思議なくらいだ。
オルデンヴァルトは帝国の手先との戦いに四度目はないときっぱり言い切っていた。今度の戦いで死力を尽くしてくるはずだと――。
それから半時が過ぎようとした頃、カサレラが荷台から降りてきた。
「おはよう、カサレラ」
すかさずオルデンヴァルトが声をかける。
「おはよう、オルデンヴァルトさん」
目元をこすりながら、カサレラは返事を返した。
ナファネスクはどう声をかけるべきか、どぎまぎしている自分を感じた。
「お、おはよう、カサレラ」
何故か上手く舌が回らない。
「……おはよう」
カサレラもどこか様子がおかしい。ナファネスクに対してとてもよそよそしかった。
「あたし、ちょっと顔を洗ってくるね」
それだけ言い残すと、カサレラはすぐ近くの河原に向かって足早に去っていった。
「あいつ……」
その後を追おうとしたナファネスクだが、その肩をオルデンヴァルトが力強く掴んだ。振り向くと、首を大きく横に振っていた。
「昨晩何があったのかは知りません。ただ、彼女を本当に大切に思うなら、今は追いかけないほうが良いですよ」
言葉尻から、オルデンヴァルトがある程度事態を把握しているのが理解できた。言うまでもなく、思春期の乙女心を汲み取っての助言なのだろう。
それに、河原までは僅かな距離だ。ここは大人の忠告を素直に聞き入れ、二人でカサレラが戻ってくるのを待つことにした。
それから数分が過ぎた頃、「キャー」と叫ぶカサレラの悲鳴が聞こえてきた。
思わず危機感を感じた二人は瞬時に顔を見合わせる。
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