第21話 不幸な生い立ち

 宿屋からそれほど遠くない場所にある人気の食事処星雲の輝きは、沢山のお客でごった返していた。この時間帯から酒を飲んでいる人も少なくない。


 日が落ちれば街は漆黒の暗闇に覆われる。

 ランタンだけが頼みの綱だが、そもそも真っ暗で見通しの利かない夜中に好んで歩く人などいない。だから、今から飲むのだ。


 待つこと半時ほど。やっとのことで二人は壁際の席に座れた。案の定、注文を聞きにやって来た若い給仕係はナファネスクたちの姿を見て、露骨にいぶかしい顔をする。すぐに先ほどの言葉を告げると、給仕係の顔も態度も一変した。エスタナの顔の広さを思い知った瞬間だった。


 水の入ったコップがテーブルに置かれてから、二人とも手渡された献立表を食い入るように目を通した。正直なところ、名前だけではいったいどんな料理なのか想像できなかった。


 仕方なく一通り聞いてから、食べたい料理名を伝える。カサレラも給仕係の説明が終わってから注文した。二人とも自分たちがどれほど田舎者なのか、痛烈に実感した。


 料理が運ばれてくるまでにはまだ時間がかかりそうだった。お客の多さからして容易に想像できた。

 このときとばかりにナファネスクは口を開いた。カサレラについて質問したいことが幾つかあった。

「カサレラ、ちょっと訊いてもいいか?」

「いきなり真面目な顔してどうしたのよ」

 突然のナファネスクの言葉に、カサレラは少し驚いた顔をした。

「助けたときにお前は『冥邪めいじゃ天帝の唯一の依り代』って言ってたよな? その唯一って言葉がずっと心の中で引っかかってたんだ。なんでお前じゃないとダメなんだ?」


 突然カサレラはうつむいて考え込んだ。それを話すかどうか迷っているようだ。

「なぁ、教えてくれよ」

 ナファネスクは頼み込むようにお願いした。


「それは……それは、あたしが冥邪きにならない体の持ち主だからよ!」

「冥邪憑きにならないだって!?」

 衝撃的な言葉だった。言われてみれば、冥邪王レナディスに連れ去られていたとき、荷台を引く馬は冥邪憑きになっていたのに、カサレラは人間のままだった。

「そうよ。普通の人間だと冥邪天帝ヴェラルドゥンガの顕現けんげんに耐え切れず、肉体が腐り切って朽ち果ててしまう。でも、あたしはそれに耐え得る人間なのよ。だから、帝国の連中はどんな手を使ってでも、あたしを連れ去りに来るわ」

「そうだったのか……」


 カサレラは酷く悲しみに満ちた顔をしていた。運命の悪戯いたずらとは言え、どれだけ自分の体質を恨めしく思ったことだろう。ナファネスクには到底計り知れなかった。

「でも、これは太陽神ロムサハル様が与えてくだった試練だと思うの。あたしにはずば抜けた滅骸めつがい師の才能が眠ってるって神父様も言ってくれてたし、それを開花させてくれた。滅骸師が使う魔術は人間も殺せるのよ。だから、あたしの滅骸師としての力だけでベネティクス帝国の皇帝をたおし、冥邪天帝の顕現を防ぎなさいっていうお告げなのよ」


「お前、そんなことをマジで思ってるのか? 冗談だろ?」

 ナファネスクの問いかけにカサレラは少しの間沈黙した。それから、意を決したように話し始めた。


「思ってるわ! だって、この試練はあたし以外の人には絶対に成し得ないことだもの!」

「ふざけるな! 何が太陽神の試練だ! そりゃよ、お前が滅骸師としてどれだけ凄いのかは俺には分からねぇ! だけど、一つ間違えば、お前の体を依り代にして冥邪天帝とやらが顕現しちまうんだぞ! そしたら、この世界がどうなるのかは言わなくたって分かるだろ!」

 ナファネスクの心は憤激に支配されていた。


 突然の怒号に、周囲の客たちは驚愕の眼差しを向けてきた。ただ、二人ともまだ子供ということで、今回だけは見過ごすことにしたようだ。


 渦中の二人は周囲の目など全く気にしてない。押し黙るカサレラに対し、ナファネスクにはまだ聞きたいことがあった。

「単独で帝国に乗り込もうとしたのは何故だ? もし試練だとしても、無謀だと思わなかったのかよ? 冥邪天帝の依り代である以上、お前の体はもうお前だけのものじゃねぇんだぞ!!」

 少し間があった。カサレラはとても重たそうに口を開いた。

「……あたしは幼い頃に両親に捨てられた孤児でね。その村の教会で育てられたの。教会では神父様以外の人たちは全員あたしのことを忌み嫌ってたわ。陰口や嫌がらせなんか日常茶飯事で、生きてるのが本当に嫌になるほどだった」

 どれだけ辛い日々を過ごしたのか想像できないが、カサレラの大きな瞳が悔し涙で潤む。


「冥邪王が村に現れたときに、あたしは滅骸師として戦う気だったわ。でも、あいつの目的は村を襲うことじゃなくて、あたしを連れ去ることだったの。その見返りとして、村の人たちを一人も殺さないって条件を出してね。それを聞いた途端、村人たちがあたしの足元にひざまずいて懇願してきたのよ。神父様も含めてね。本当に笑っちゃうでしょ? どうせあたしが死んだとしても、悲しむ人なんて誰もいないのよ!」

 カサレラにすれば、忍耐の限界だったのだろう。大粒の涙を流してむせび泣いた。


 ナファネスクは泣かせる気など更々なかった。カサレラをここまで苦しめた奴ら全員を心底恨んだ。恨みぬいた。そのときになって、出会った瞬間に芽吹いた特別な感情が本物だったと改めて実感した。

「悲しむ奴はいる!」

 ナファネスクはきっぱりと言ってのけた。

「知った風な口を利かないでよ! あたしのことなんか何も知らないくせに! いったい誰が悲しむって言うの?」

「俺だ! 俺が悲しむ!」

 向こう見ずな少年は力強く断言した。カサレラを見る眼差しは真剣そのものだった。


「あんたねぇ、自分が何を言ってるのか、本当に理解できてるの? もう訳分からない!」

 真っ正直な顔で見つめてくるナファネスクの視線に耐え切れず、カサレラは顔を背けた。

 今まで生きてきた中で、心の底から心配してくれる人は裏切られた神父も含めて一人としていなかった。でも、今はいる。目の前にいるナファネスクだ。

「あんたって、呆れるほどバカね!」

 カサレラは涙が止まらなかった。でも、先ほどまでの悲痛な涙とは違っていた。

「ああ、バカかもな」

 このときばかりは否定しなかった。自分の思いを受け止めてほしかったからだ。


「お待たせしました!」

 不意に料理をのせたトレイを器用に持ちながら、先ほどとは別の給仕係が現れた。


 素早く料理を乗せた皿を二人の前に並べていく。それが終わると、当たり前のように料理の代金を求めてきた。ナファネスクは黙ってお金を入った布袋から支払った。

「それでは、ごゆっくりとお召し上がりください!」

 軽く頭を下げると、給仕係は足早に去っていった。

 ナファネスクにはあぶった分厚い肉と浅く盛られたご飯、カサレラには焼いたモモ肉と野菜の盛り合わせが並べられていた。

「せっかく注文した料理だ。味わって食べようぜ!」


 ナイフとホークがあったが、ナファネスクは使い方がよく分からなかった。仕方なく分厚い肉をホークで突き刺すと、口を大きく開けてかぶりつく。

「これすげぇ美味いな! カサレラ、お前も泣いてねぇで食えよ!」

 あれほど楽しみにしていただけあって、とても満足だった。ご飯もがむしゃらに頬張る。


「ちょっと、恥ずかしい食べ方しないでよね!」

 泣き止んだカサレラも並べられた料理を黙々と口にした。食べ終わるまでの間、時間が過ぎ去るのを忘れた。


 料理を食べ終わった二人は充実感に満たされたまま《星雲の輝き》を出た。

 夕暮れの空を見上げると、もうすぐ日が沈もうとしていた。二人は急いで宿屋に戻ることにした。

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