第5話 村長ユリゴーネル

 ナファネスクとハクニャが我が家に戻ったとき、不意に父親の気配を感じた。振り向く間もなく、物凄い怒号が轟いた。

「ナファネスク! お前、今までどこをほっつき歩いていた! 何故朝の鍛錬に現れなかったんだ!」

 父親は紛れもなく怒り心頭に発していた。


 当然のことだが、背丈はナファネスクよりもさらに高い。服を着ていても、がっしりとした頑強な肉体なのはすぐに分かる。その片手には槍のようなとても長い棒を握り持っていた。


「それは……朝の分は夜に倍やるからさ。それでいいだろ?」

「なんだ、その生意気な態度は! お前、ここのところ性根しょうねたるんでるぞ!」

 父親の怒りは収まらない。逆に、火に油を注いでしまったようだ。

 確かに、最近毎朝毎晩の鍛錬に対してのやる気が緩んでいるのは自分でも気付いていた。


 父親のやる鍛錬はとても厳しかった。普通の子供なら、そのあまりの苛烈さにすぐに悲鳴を上げるはずだ。だが、自分は負けないという気概があった。


 今まで歯を食いしばり、しゃにむに食らいついていった。三年前、霊峰マハバリ山で父親が口にした冥邪めいじゃたおすために。ただ、この村はとても平穏で、冥邪の姿など一度として目にしたことがなかった。それなのに、どうして血の吐くような鍛錬をしなければいけないのか、正直分からなくなっていた。


「じゃあ、訊くけどよ。いったいいつになったら冥邪をやっつけに行くのさ! この農村には冥邪なんか現れない! 体を鍛える必要なんてないんだ! そうだろ?」

 父親は少し失望したように顔を横に振った。

「やれやれ、未だに冥邪がこの村に現れない理由わ け にも気付いてなかったとはな」

「な、何だよ、それ!」

 あからさまな父親の落胆した態度に、ナファネスクはむかっ腹が立った。


「その続きは、わしから話したほうが良さそうじゃのう」

 突然しわがれた声とともに、齢七十を過ぎようとしている風格のある老人が現れた。

 隠者のような地味なローブを着ているものの、長く伸びたあご鬚は先端が尖るように綺麗に整えられていた。


 ナファネスクが注意を惹かれたのは、左手に持っていた幾つもの宝石と装飾があしらわれた荘厳な作りの杖だ。何かしらいわれのあるものに感じられた。


「これは、ユリゴーネルさんではないですか!? いつからそこに?」

 父親が問い返す。ナファネスクも父親も全く気配を感じられなかった。

「つい先ほど来たばかりじゃ」

 こちらに歩み寄りながら、この村の長であるユリゴーネルはにこやかな口調で返した。


「これはお恥ずかしいところをお見せしました。実はこれから朝ご飯を食べようと思っていたところでして……たいしたものはありませんが、一緒にどうですか?」

 自分の不覚さを恥じ入りながらも、父親は冷静な顔になっていた。わざわざここまで来たのには何か重大な知らせがあると感じ取ったからだろう。


「ナファネスク、お前は早く服を着て、急いで食事の支度にかかれ!」

 ユリゴーネルの存在に呆気を取られていたナファネスクだったが、父親の言葉で我に返った。

「ああ、分かった」

 ナファネスクもただ事ではない空気を読み取った。急ぎ足で家の中に向かっていく。


「さぁ、村長。むさ苦しいところですが、どうぞ中へ」

 父親は丁寧な口調で言った。

「では、失礼するぞ」

 ユリゴーネルは全く遠慮せず、ナファネスクたちの家に上がり込んだ。最後に父親が付近の様子を見まわしてから玄関のドアを閉めた。


 気安く人の家に尋ねることなどしないユリゴーネルである。何か不穏な空気が漂っていた。

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