01-4.

「はっはっはっ」


 美香子は若葉の言葉を聞き、笑いを堪えきれなかった。


「なにがおかしいんですか? 若葉は冗談なんて言っていませんからね」


 若葉は不快そうな顔をした。


「伊織がお使いを頼むくらいだで。悪い子じゃないのはよーくわかっとるよ」


 美香子は靴を脱ぎながら言った。


 ……楽観的なところが伊織さんとそっくりですね。


 姉弟なのだから似ているところがあっても不思議ではない。しかし、それさえも若葉は不快に思えて仕方がなかった。


 ……伊織さんが気にかける理由はわかった気がします。


 伊織は美香子を突き放せない。


 それならば、それに付き合うと若葉は決めていた。


 しかし、美香子から立ち去るというのならば話は別である。


 ……なんとかして伊織さんを諦めてもらいましょう。


 若葉はその為に伊織から荷物を預かったのだ。


 若葉が別の目的を持っていることは伊織も気づいているだろう。


 それなのにもかかわらず、若葉を送り出したのは美香子が若葉の言葉に動じないと信じているからなのか。それとも、若葉の言葉を信じて距離をとるようならば、それまでの関係だったと割り切るつもりなのか。


 どちらにしても、若葉にとっては最良の機会だった。


「伊織さんは婆さんの知ってるような人じゃないかもしれないですよー? 離れていた時間の方が長いのに信用しちゃっても大丈夫なんですかー?」


 若葉は美香子の心を揺さぶるような言葉ばかりを口にする。


 不安を煽るような言葉を口にしながら、若葉は遠慮なく家の中に入っていく。


 外で待機するつもりはなかった。そのようなことをすれば、本当に干からびてしまいかねなかった。


「弟は悪いことはできない子だでね」


 美香子は荷物を玄関に置く。


 二階から物音がした。美香子が帰宅をしたことに優斗が気づいたのだろう。


「あの子は優しい子だよ。優斗が話しやすいように可愛い娘さんに頼んでくれたんだろうねぇ」


 美香子は若葉の言葉に動じない。


 ……やりにくい相手ですね。


 人を誑かすのはあやかしの習性だ。若葉も人を惑わした経験がある。それ通用しない相手だと見抜き、若葉は嫌そうな顔をした。


「若葉は婆さんも坊やも信用しませんよ」


 若葉は断言した。


 からかうような言葉も不安を煽るような言葉も、美香子には通用しない。それならば、本心のままに体当たりをするしかない。


「そりゃあそうだろうねぇ」


「婆さん。皮肉の一つも通じないんですか? 少しくらい怒ったらどうですか」


「おや、怒られたいのかい?」


 美香子は若葉に視線を向けた。


 ……怒らせて、もう来るなって言わせたいんですけどね。


 若葉の目論見に気づいているのだろうか。


「そうですよ」


 若葉は肯定した。


「二度と顔を見たくないって言わせる為に来たんです。それが伊織さんの為に若葉ができることですからね」


 若葉は堂々と宣言をする。


 ……どうせ、この人は伊織さんに言い付けないでしょうね。


 若葉が嫌な態度をとってきたと訴えることもしないだろう。それをされても、興味がないかのように美香子は笑顔で受けえ答えをする。


 ……変な人。


 若葉は居心地の悪さを感じていた。


「伊織の為かい」


 美香子は嬉しそうだった。


 それが若葉には理解ができなかった。


「嬉しいねぇ。伊織はこんな優しい子と友達になれたんだねぇ」


「友達ではなく家族です。若葉と伊織さんは種族は違いますけど、でも、立派な家族になったんです。それを勘違いしないでください」


「そうかい、そうかい。こんな可愛い子をお嫁にもらうなんて、伊織も抜け目のない男に育ってもんだねぇ」


 美香子は勘違いをしている。


 それに気づき、若葉は露骨に嫌そうな顔をした。


「冗談はやめてくれませんか?」


 若葉は伊織に対して恋愛感情を抱いていない。それは伊織も同じだ。


「伊織さんは若葉の弟になったんです。若葉は伊織さんの三倍は生きている成人の河童ですからね。赤ちゃん鬼の恋人なんて冗談でも言わないでほしいです」


 若葉は全力で否定した。


 自分たちの家族の在り方を勘違いされるのも否定されるのも嫌だった。


「そうかい」


 美香子は優しく笑った。


 ……腹が立ちますね。


 その笑顔は若葉の言葉を信じていないからではない。


 若葉の言葉を信じているからこそ、笑ったのだ。伊織の家族が美香子だけではないのだと知ることができたのが、なによりも嬉しかったのだろう。


 ……泣きそうなくせに。


 心の中で悪態を吐く。


 若葉は泣きそうな笑顔を見るのが嫌いだ。時々、伊織が墓参りをした後に見せる笑い方と似ているからこそ、気に入らない。


「あの子の家族になってくれたんだねぇ」


 美香子は安心したようだった。


 その言葉を聞き、若葉は露骨なまでに舌打ちをした。


「泣きたければ泣いたらいいじゃないですか」


 若葉の言葉を聞き、美香子は驚いたような顔をした。


「自覚していないのですか? 婆さん。伊織さんと同じ顔をしてますよ」


「伊織とかい?」


「そうですよ。揃いも揃って泣きそうな顔で笑うくらいなら、他の方法を考えればいいじゃないですか。どうして、そうまでして人でいることに執着するのか、若葉には理解ができませんね」


 若葉は河童だ。人の心を知らない。


 あやかしと比べようもないほどに人は短命な生き物だ。限られた時間を有効に使い、それなりの人生を歩むことを大切にしている。


 それが若葉には理解ができなかった。


「婆さんも鬼になればいいんです」


 若葉は美香子が嫌いだ。


 古い考え方にこだわっているわけでもないのにもかかわらず、新しい考えをしようともしない。人は人であるべきであり、あやかしになろうという発想は美香子にはないのだろう。


「そうすれば、伊織さんを心配しなくて、いいじゃないですか」


「そうだねぇ。でも、それはできないよ」


「どうしてですか。伊織さんの姉なんでしょう? それなら、鬼になれるかもしれないでしょ」


 若葉は美香子の言葉が理解ができない。


 新しい考えを受け入れられないわけではなさそうだった。それなのに、美香子は鬼になるという選択肢を拒絶した。

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