01-5.
「あたしはねぇ。人は人であるべきだと思っているんだよ」
美香子は若葉の頭を撫ぜる。
幼い子どもに接するかのような振る舞いをされたのだが、若葉は不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
若葉は美香子と比べ物にならない年月を生きている。
本来ならば、若葉が美香子を子ども扱いするべき歳の差がある。
それを頭ではわかっているものの、美香子に伝える気にはなれなかった。
「伊織と一緒にいてくれてありがとうねぇ。あの子を一人にしないでくれて、ありがとうねぇ。若葉ちゃん。本当にありがとう」
美香子は泣きそうな顔で感謝の言葉を何度も口にした。
……ひどい人。
若葉は察する。
……伊織さんも知っているのでしょうね。
美香子に残された年月は限られている。
それは人として生きる限りは避けられない寿命だ。どうすることもできないと美香子もわかっているからこそ、これから先も長い年月を生きていくことになる伊織のことを気にしていたのだろう。
「……婆さん。ひ孫の坊やと伊織さんを関わらせようとしたのは、本当は坊やの為ではなくて、伊織さんの為だったんですね」
若葉は察してしまった事実を口にする。
玄関でいつまでも話をしている美香子に気づいたのか、慌てて階段を降りて来た優斗の存在には気づいていたものの、若葉は言葉を選ぶことはしなかった。
いずれ、優斗も気づくことになるだろう。
ひ孫ではなく、弟の身を案じていたのだと後々知れば心が傷つく。
それならば、傷が浅いうちに知ってしまった方がいいはずだ。
「伊織さんを大切な弟だと思っているのなら、若葉は、婆さんが人を捨てる選択をす
るべきだと思いますよ」
若葉の言葉は美香子の決心を揺るがせるほどの力はない。
それでも、提案をしてしまう。
「若葉は婆さんの選択が正しいとは思えないので」
「冷たいことを言うんだねぇ」
「当たり前でしょう。若葉は伊織さんの家族ですから。伊織さんが悲しむとわかっていることを事前に防いであげるのが、若葉の伊織さんのお姉さんとしてするべきことです」
若葉は自信満々に答えた。それが若葉の出した最善の答えだからだ。
「ありがとうねぇ」
美香子は泣きそうな顔でお礼を言う。
……呆れますね。
本当ならば伊織の傍にいたいのだろう。
離れていた時間を埋めるように過ごしたいはずだ。
それなのにもかかわらず、美香子は人であることにこだわらなければいけない。
……死人の言葉なんて意味もないのに。
若葉から見れば、美香子も伊織も亡くなった人の言葉に囚われている。
身動きがとれなくなってしまうくらいならば、早々に忘れて前に進めばいいと若葉は考えているが、そう簡単には物事は進まないようだ。
「お礼はいりません。めんどうですから、さっさと本題に入ります」
若葉は美香子を説得するのを諦めた。
……どうせ、あと少しの命ですし。
あやかしからすれば、人の命は瞬く間に尽きる儚いものだ。
美香子が寿命を迎えれば伊織は落ち込むだろう。それを慰めるのは、あやかしであり、家族である若葉と鈴の役目である。
若葉はそう考えることにした。
説得をしようとするだけ無駄であると悟ったのだ。
「伊織さんから制服と契約書を預かってきました。坊やと婆さんの二人分です」
「おや、あたしのあるのかい」
「はい。伊織さんが言うには婆さんの知恵が借りたいそうです」
若葉は背負ってきた風呂敷を下ろす。
そして、それを持ちながら階段を見上げた。
様子を伺っていた優斗と目が合った。
「臆病な坊や。降りてきなさい。若葉さんが今後の計画を教えてあげましょう」
若葉は優斗を煽る。
その言葉に優斗は嫌そうな顔をしていた。
「あれまぁ。優斗、おったのけ」
「いたよ。ばあちゃん。玄関で話すのも嫌だから、リビングに行けば」
「そうするかねぇ。優斗もおいで。若葉ちゃんが話があるんだと」
美香子はすたすたと廊下を歩く。
少し歩いた先にある扉を押し、リビングの中に入っていった。
「自由な婆さんですね。客人の案内はしないのですか!」
若葉は文句を言いながら、美香子の後をおいかけてリビングに入った。その後ろから警戒心を隠そうともしないまま、優斗がついてくる。
「我が家とたいした変わりはないですね。婆さん、これが最新型のテレビですか? 最近、伊織さんが買って帰ってきましたよ」
若葉はリビングで真っ先にテレビに近づく。
それに対し、美香子は慣れたように椅子に座った。
「最新型じゃあないねえ」
「そうなんですか。つまらないですね」
「伊織は新しく買ったのかい?」
美香子の問いかけに対し、若葉は振り返った。
それから、困った弟の手を焼いているのだといわんばかりの顔をした。
「そうですよ。新しいもの好きには困ったものです」
若葉は迷惑をしているわけではない。
しかし、和洋折衷どころかいろいろな時代のもので溢れかえっている部屋は落ち着きがない。伊織の服装にも何度も文句を言ったこともある。
……服装だけでもどうにかなりませんかね。
もしかしたら、美香子の言葉ならば聞くかもしれない。
若葉はその可能性に賭けることにした。
「これが伊織さんから預かってきた制服と、二人の安全を保障する為の鬼頭自警団の名刺です。名刺は絶対に無くさないように首から下げてきてくださいね」
若葉は風呂敷を開け、美香子と優斗にそれぞれ渡す。
「名札入れをわざわざ鈴が手作りしたのですよ。だから、絶対に無くさないでくださいよ。無くしたら、迷子になった時に探せなくなりますからね」
「あの小さい子の手作りかい。器用なものだねぇ」
「小さくても若葉の何倍も生きてますよ。鈴は伊織さんと一緒に居た座敷童ですから」
若葉は言いながら、美香子のことを考える。
鈴が美香子を招いたのは、美香子が伊織の姉と知っていたからだ。家を没落させてしまう恐怖を知ってしまった鈴は、座敷童でありながも、家には憑かず、人に憑く。その為、座敷童としての力を半分以上も手放すことになってしまった。
それでも、伊織の傍にいた。
伊織は鈴を邪険にしなかった。兄妹のように接しているのは、鈴のことを信用しているからだろう。
そんな鈴が美香子と優斗を招いた。
それがどれほどに大きな出来事なのか、二人はわかっていない。
「今まで一度も鈴の姿を視たことがなかったんですか?」
若葉は不思議でしかたがなかった。伊織の姉ならば、見鬼の才に恵まれていても、霊感に優れていても、おかしくはない。
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