01-2.

「若葉は伊織さんの間抜けな顔が嫌いです」


 若葉は渡された風呂敷を抱きしめる。


 鞄ではなく、風呂敷に包むのは年代だろうか。人としての道を歩むことが許されず、鬼と化した伊織は世間知らずのままだ。


 人としての時代に取り残され、あやかしとしては幼すぎる。


 若葉は見守るだけでいられなかった。


 その手を離した途端、伊織がどうしようもないところに行ってしまいそうな気がした。伊織の居場所は常世にあると頭の中ではわかっていながらも、人の世に未練を残したままの伊織は不安定なままだ。


 それがどうしようもなく怖かった。


 異種族の壁を越え、手に入れた家族だった。


 若葉は伊織と鈴がいる家が大切だった。二人の家族を手放すことだけはできず、おままごとの延長戦のような喫茶店も好きだった。


 だからこそ、余計なお世話だとわかっていながらも、言葉を止められない。


「そんなに思い出が大切ですか?」


 若葉の言葉に伊織はなにも言えなかった。


 ……わかってる。


 伊織もわかっている。


 若葉が言いたいことは正しい。


 あやかしは人に惹かれる性質がある。それは人からあやかしになった者ならば、誰しもが抱く喪失感を埋めるように引き寄せられていく。


 それはあやかしを破滅の道に招く。


 人に引き寄せられ、狂っていき、暴走をしたあやかしたちを見てきた。


 伊織はかつての同胞と敵対したことがある。その手で暴走をする同胞を葬ったこともある。


 若葉は伊織もそれらと同じ道を歩まないか、心配をしている。


「……大切だった」


 伊織は正直に打ち明ける。


 若葉に嘘を吐いても意味がない。強がったところで意味がない。


 甘えることもできない関係は家族ですらもないだろう。


「父さんと母さんを忘れたことなんかなかった」


 伊織は両親の最期の場にいられなかった。


 まだ息をしている両親の戸惑いが隠せない拒絶の言葉を聞き、逃げてしまった。その後、両親が死ぬ間際まで悔やんでいたことを美香子に教えられて、伊織は激しい後悔に襲われた。それを忘れられなかった。


「兄貴たちの遺骨も探してやれてない」


 伊織は兄たちの最期の地を知らない。


 軍に所属をしていながらも、配属された部署も戦地も違った。生物兵器として利用されていた伊織が行方知らずになった知らせは兄たちにも届けられていたのか、その手紙さえ届かない激戦地にいたのか、それすらも伊織は知らない。


 遺骨は見つかっていない。


 墓の中に収められている兄たちの遺品の一部だ。


 それを遺骨の代わりに収められているのだということは知っている。


「俺にできることなんてなにもない」


 伊織は後悔の中にいた。


 人の道を外れた伊織にできることはない。


 それでも恋しくてしかたがない。両親や兄たちにかわいがられていた日々は、ゆっくりと伊織の心の中から消えて行ってしまう。


 まるで人であった伊織が消えてなくなってしまうかのようだった。


 それがどうしようもなく恐ろしかった。


「だから、せめて、姉さんだけでも見送りたいんだ」


 墓参りをした日、美香子は伊織を拒絶しなかった。


 それどころか、生きているはずだと信じていくれた。それが墓石に伊織の名が刻まれていない証拠だった。


 美香子も、亡くなった両親も、伊織がどこかで生きているはずだと信じ続けていたのだろう。


「伊織さんが人の思い出を大切にしているのはわかりました。あの婆さんだけは若葉も家族のように受け入れてあげましょう」


 若葉は伊織を悩ませたいわけではない。


 ただ心配をしているだけだ。


「でも、あの坊やは違います」


 若葉は伊織の心を確かめるように言葉を続ける。


「あの坊やは伊織さんの家族ではないでしょう。伊織さんの人の家族は婆さんだけです。それ以外は血が繋がっているだけの他人ですよ」


 若葉は断言する。


 同じ池で生まれ育った河童たちは、若葉の血の繋がった家族だ。しかし、若葉を拒絶し、仲間外れにした河童たちのことを家族とは思えない。


 血の繋がりだけが家族ではない。


 血が繋がっていなくても、家族にはなれる。


 若葉はそのことを知っている。他でもない伊織が若葉に教えてくれたことだった。


「半妖は厄介なものです。伊織さんも知っているでしょう? 散々、手こずって自衛団の若様に笑われたって言ってたじゃないですか」


「それと坊やは違うだろ。若頭の姪御様は警戒心が強かっただけだし、あの坊やは人間だ」


「かろうじて人に寄っているだけではないんですか。どちらにしても、若葉は賛成できませんねー」


 若葉は呆れたように笑ってみせた。


「でも、どーしても諦めないんでしょー?」


 若葉は伊織を説得するのを諦めたのだろうか。


 もしかしたら、真面目な口調で話すのに疲れただけかもしれない。


「仕方がないから、若葉さんも手伝ってあげましょう。その代わり! あの坊やが人じゃなくて半妖になった途端に外に放り出してやるので覚悟はしておいてくださいねー!」


「放り出すのは止めてくれ。その時は自警団に連れて行くようになってるんでな」


「ええー? どこまで甘ちゃん集団ですねー。昔の酒呑童子様たちの自由奔放さはどこに行っちゃったんでしょう。若葉は昔の自由気ままな鬼たちの方が好みでしたけどねー」


 若葉はへらへらと笑いながら言う。


 ……頭領の気質は変わっていないと思うが。


 伊織は若葉が語る昔の話を知らない。歴史の授業でも習わないようなあやかしの昔話は、伊織にとってはおとぎ話のようなものだ。


「半妖の保護団体にでもなるつもりですかー?」


「ちげえよ。頭領のお孫様の一人が半妖だからな。そのお友達にでもしようと言い出したんだよ」


「なるほどー。今は現世にいるんでしたっけー?」


 若葉は興味を抱いていない。


 それでも興味があるように話を続けていた。


「睡蓮様が世話をしてる」


 伊織は喫茶店の常連である酒呑童子の末息子、睡蓮のことを思い出す。


 酒呑童子の子どもたちの中で、もっとも自由奔放な末息子はおもしろい酒を探すのだと告げて現世に向かい、時々、現世で見つけてきた地酒をお土産に帰ってくる。


 愉快なあやかしだ。


 しかし、不運なところは母親譲りらしく、今は行方知らずとなった姉の娘である半妖の姪の世話に頭を抱えていると噂に聞いたことを思い出した。

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