03-5.
「珍しいのぉ。休みは来ねえんじゃなかったのか?」
伊織の倍以上の身長を屈めながら、声をかけてきた鬼を見上げる。
「暁丸。若頭を知らねえか? 報告しねえといけないことがあるんだが」
伊織は背が高いことを気にしている彼、暁丸を見上げながら要件を告げた。
……暁丸に会えたのは運が良かった。
暁丸は伊織の兄貴分だ。春日に拾われた元人間の鬼の一人であり、伊織を実の弟のように可愛がっている。
「若頭ねぇ。……今朝、酒を買いに行くって出て行ったきりだなぁ」
「今度はどこまで行ったんだ?」
「さあなぁ。子分どもを引き連れて行ったから、南の方まで行ったんじゃねえか? あの様子じゃあ、少なくとも一か月は帰ってこねえな」
暁丸の言葉を聞き、伊織は露骨なまでに肩を落とした。
……一か月で帰ってくれば良い方か。
鬼頭自警団の若頭は、頭領の息子である。頭領によく似て才能はあるのだが、酒の誘惑に弱く、度々お気に入りの部下を引き連れて酒を求めて遠出をする。一度、遠出をすれば、なかなか帰ってこない。
「補佐役の俺でよければ話を聞いてやるが。お前さんが頭を抱えてるなんて珍しいからなぁ」
「酒の肴にするつもりだろうが」
「そりゃあそうだ。伊織が悩んでる顔を見るのはおもしれえからなぁ」
暁丸は春日が統括する若衆の中でも出世頭だ。
若頭の補佐役に抜擢されて数十年しか経っていないが、彼ほどに若頭から信頼を置かれている部下はいないと言われている。遠慮なく鬼頭自警団の留守を開けられるのも、暁丸が若頭の仕事を代わりにこなしてくれると信じているからだろう。
……暁丸でもいいか。
酒の肴にされるのは諦めた。
召集がかけられない限り、鬼頭自警団の建物に近寄ろうともしない伊織が自らの意思でやってきたのだ。それだけで酒が美味くなるというものだろう。
「半妖を見つけたもんでな。保護をしてほしい」
伊織の言葉を聞き、暁丸はつまらなそうな顔をした。
「半妖? これまた珍しくもねえ案件だなぁ」
鬼頭自警団には半妖も多く出入りをしている。
行き場のなくした鬼たちが互いの安全を守る為に集う場所だ。半妖もまた入り込みやすい居場所でもあった。
「保護は良いが。お前さんのことだ。おんぼろの縁結びに関係してるんじゃねえのかい?」
暁丸は目敏い。
伊織がすぐに切れてしまいそうなほどに脆い縁結びを結んでしまったことを春日から聞いたのか。それとも、伊織と話していて感づいたのか。
どちらにしても、伊織にとっては都合が良い話だった。
「そうだ」
伊織は肯定する。
真実を隠そうと足搔くと思っていたのだろう。すぐに肯定した伊織の顔を覗き込む暁丸は、心底、意外そうな顔をしていた。
「へえ。こりゃあ、ずいぶんと執着してるようで」
暁丸はにやりと笑う。
伊織よりも年上の暁丸は人間に関心が薄い。元々は人間だったという事実は覚えているものの、かつて人だった頃に関わった物事に対して、なんの感情も抱いていない。
だからこそ、正反対な伊織が気になるのだろう。
伊織は人の頃の縁を捨てきれていない。
人の縁に縋りつき、何度、心を痛めようとも捨てることだけはできなかった。
「みっともねえなぁ。伊織。人の子なんぞに関わって痛い目に遭うのは、またお前さんだ。春日の姐さんにも同じことを言われたんじゃねえのか?」
暁丸はにやにやとしながら、問いかける。
「だが、俺は違う。俺はお前さんの兄貴分だからなぁ。お前さんが抱えているかわいそうな悩みの愚痴くらい、喜んで付き合ってやろうじゃねえの」
暁丸は、心配をしているかのような言葉を口にしているものの、実際はおもしろがっているだけである。
「……縁結びを強める方法を知っているか?」
伊織は小声で問いかける。
騒がしい鬼頭自警団では、かき消されてしまいそうな声だ。
「そいつなら簡単だ」
暁丸は慣れた手つきで伊織の体を持ち上げた。
抵抗はしない。羞恥心はあるものの、内緒話をするのならば、背の高い暁丸に抱き抱えられる形で耳打ちをしてもらう方が良い。
「同じ場所で、もう一度、縁を結べ。縁を結ぶ相手がいなくてもかまわねえが、その代わり、その相手と同じくらいに縁が深くて、彼岸に渡った相手を選べ」
暁丸の言葉が正しいとは限らない。
しかし、相手が不在のまま結ばれる一方的な縁結びは強力な呪いとなる。
「死者を冒とくしろと?」
伊織は不快感を表した。
あやかしは人ならざる者だ。その姿形は人に似ていたとしても、本質が異なる。生きる時間も流れる時間も違う。その価値観も人とは大きく異なっていた。
それは伊織もわかっている。
美香子の姿は自分とかけ離れているのを見て、嫌になるほどに実感した。
伊織には人間に戻れない。
あやかしと人の境界線上を歩いていた時には戻れない。一度、あやかしに転じた者は二度と元の立ち位置に戻ることはできない。
だからこそ、人に執着をする。
伊織もその一人だった。
人であった頃を懐かしみ、忘れられず、恋しくて仕方がない。
「いいや。お前さんを待ってるだけの未練に別れを告げてやれと言ってんのさ」
暁丸はそれを知っている。
だからこそ、淡々と告げた。
「お前さんが人にこだわる理由の一つを犠牲にすりゃあ、そのおんぼろの縁は少しだけ強化されるさ」
暁丸はなにを知っているのだろうか。
伊織の決心がつかない様子を見て、さらに背中を押すように言葉を続ける。
「話をしてみな」
暁丸は伊織の頭を雑に撫でる。
「お前さんの心の枷が少しでも楽になりゃあ、相手さんの未練も晴れるってもんさ。難しく考えんでもいい。お前さんは縁を結んだ相手と一緒にいる為に、利用されることを恨むような御仁でもあるまい」
「……そうだといいんだが」
「上手くいくさ。失敗してもそれはそれで、他の道を一緒に探してやろう」
暁丸は伊織を慰める。
都合が悪くなると助けを求めに来る伊織が可愛くて仕方がないのだろう。若頭の補佐役に抜擢をされた以降、春日が率いる若衆たちからは憧れの目を向けられるだけで距離をとられてきた。
その中で伊織だけは違った。
暁丸を兄として変わらず慕ってくれた。
それは暁丸にとって嬉しいことだった。
「ありがとう、暁丸」
伊織が感謝の言葉を口にすると、暁丸は照れくさそうに笑って見せた。
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