03-2.
物珍しそうな顔をしているだけで恐怖感は抱いていないのだろう。
「美味しくないと思いますよー?」
両腕で抱えていた椅子を伊織の隣に置きながら、若葉は笑っていた。
「食べるつもりはない」
伊織は水を飲む。
休日に訪ねてきた常識知らずの客に出すように酌んだものだったが、捨てるのはもったいないような気がしたのだろう。
「好き嫌いしてるから大きくなれないんですよー?」
水を飲んでいる伊織に対し、若葉は大げさなため息を零した。
人を食べるつもりがないのだと理解をしたのだろうか。どさくさに紛れて、人を食する機会を得たものだと喜んでいたのだろう。
感情を隠すことが苦手な若葉に対し、伊織はなにも言わなかった。
「小鬼だと女性から不人気ですよ? いいんですか?」
若葉は思ったことを深く考えることもせずに口にしているのだろう。
その言葉に応えることなく、伊織は立ち上がり、流し台に湯のみを片付ける。洗い物は美香子たちに出したものを片付けてからでもいいだろうと判断し、歩き始める。
「伊織さん」
若葉は河童だ。
人に対して特別な情があるわけではない。
「辛くなったら若葉を頼ってもいいんですからね。これでも伊織さんよりも年上の先輩河童ですから」
若葉はそう言いながら、伊織の隣を歩く。
まるで一人ではないのだと訴えるかのような目線を向ける若葉に対し、伊織は困ったように笑うだけだった。
「姉さん」
伊織の声は美香子に届いていないようだ。
補聴器をしているものの、聞こえが悪いのだろう。
「姉さん!」
先ほどよりも大きな声を出せば、美香子が顔を上げた。
今度は聞こえたらしい。
「ここは薄暗いねえ。電気を変えないのかい?」
美香子の言葉に対し、鈴が笑っていた。
子ども特有の高い声をしている鈴の笑い声は美香子の耳では聞き取りにくいのだろう。
笑われていることにも気づかず、のんきなことを口にしている美香子に対し、優斗は恥ずかしそうに肩をすくめた。
「あやかしは眩しいのが好きじゃないんだよ」
姉に対しては言葉遣いが柔らかくなる。
「そんなもんかい? よく見えなくて仕方がないよ」
「老眼鏡が合ってないんじゃないか?」
「そうかね。また七海に連れて行ってもらわんといかんかねぇ」
美香子は老眼鏡を外した。
そのまま腕を伸ばしたり、近づけたりしてみるものの、見える景色はあまり変わらなかったのだろう。
「あらう?」
鈴は美香子に両腕を伸ばす。
「きれいにする?」
鈴の言葉は美香子に届いていない。
それでも、老眼鏡に手を伸ばそうとしているのに気づいたのか。美香子は近所の子どもを可愛がるような表情を浮かべ、鈴の頭を優しく撫ぜた。
「むぅ。ちがうのに」
鈴は頬を膨らませた。
それに対し、美香子は嬉しそうに笑っていた。
「ばあちゃん」
優斗は気まずそうな顔を浮かべつつ、美香子を呼んだ。
「なんだい?」
「その子。眼鏡を綺麗にしてくれるって」
優斗に言われて、ようやく鈴が腕を伸ばしていた意味がわかったのだろう。
「優しいねえ」
美香子は嬉しそうに笑う。
可愛がっている曾孫と見た目は幼い子どもに見える鈴から親切にされたことが嬉しかったのだろうか。
……知らない人みたいだ。
伊織は美香子の見たことがなかった表情を見つめ、複雑な感情を抱く。
七十年ほどの空白の年月は長い。
あやかしにとっては瞬く間に過ぎていくような時間だと頭の中では理解をしていながらも、姉の知らない顔を知るたびに流れ去ってしまった月日の重さを痛感する。
「鈴。頼めるか?」
伊織は抱いてしまった複雑な思いを隠すように鈴に声をかけた。
「まかせろ!」
鈴は満面の笑みで応えた。
誰かの為になることをするのが好きだ。人の為になることが好きだ。
座敷童としての本能だろうか。鈴は預かった美香子の眼鏡を宝物のように丁寧に水場に運んでいく。
「可愛い子だねぇ」
美香子は鈴の後ろ姿を眺めながら呟いた。
何気ない言葉だったのだろう。
……鈴が離れてくれてよかった。
伊織は思わず視線を逸らした。
……彼奴は遠慮なく泣くだろうからな。
鈴は座敷童だ。
元々は伊織の生家であった山田家に住んでいた。
物心つく前から伊織の遊び相手であり、伊織が普通ではないのだと両親が気づくきっかけを作った存在だ。もちろん、鈴には悪意はなかった。
ただ、自分の姿を認識し、声をかけてくれる伊織に対して好意を抱いていただけなのだ。
「あんな小さい子どもを働かせている喫茶店ってやばいだろ」
優斗は疑わしいと言わんばかりの視線を伊織に向けながら言った。
「アンタ、ばあちゃんの弟って嘘だろ」
「優斗。そんなことを言うんじゃないよ」
「ばあちゃんは黙っててくれよ!」
優斗は伊織の腕を掴んだ。
逃がさないと言わんばかりの強い視線だ。それに対し、伊織は動じない。
「俺は騙されないからな!!」
優斗の言葉は曾祖母を守ろうとするものだ。
それに気づいているからこそ、伊織は笑ってみせた。
「言葉だけは立派なもんだな」
伊織の腕を掴んでいる手が震えている。
精一杯の力を込めて、威嚇をしているつもりなのだろう。優斗の努力を認めることもせず、伊織は痛みを感じていないかのように振る舞う。
実際、痛くはない。
人間の腕力などに怯えるような鬼はいない。
「坊や。俺が人間に見えるか?」
大げさに口を開いて笑ってみせれば、鋭い犬歯が見える。
瞳孔が広がる。額から生えている二本の角は鬼であると主張している。
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