03-1.あやかし喫茶の来訪者
* * *
「伊織さーん、お客さんが来てますよー」
気の抜ける声がした。
いつの間にか眠りに落ちていた伊織は欠伸を噛み殺し、帽子付きの上着を羽織る。上着のポケットに携帯電話を押し込め、一階の階段付近で手を振っている河童の元へと近づくように階段を下りていく。
「若葉。店を開けたのか」
「いえ、今日は仕入れの日だって言われたので開けてませんよー」
「それなら自警団の者か」
「いえ。それも外れですー。伊織さんでも正解しない時があるんですねー」
河童の若葉は同居人である。
成人をしているのだが、同年代の河童の二回りほど小柄な若葉は故郷の川を追い出され、行き先を失って彷徨っていた時に手ごろな池を見つけ、住み着くことにした。
それが、伊織が購入した喫茶店兼自宅にある池だった為、若葉はこの機会を逃すまいという熱烈な勢いで、従業員として仕事をする代わりに同居を求めたのである。
「それにしても若葉は驚きましたよー。伊織さんもあやかしなんですねー」
伊織の前を歩く若葉の甲羅が濡れている。
先ほどまで息抜きと称して池の中を泳いでいたのだろう。
「は?」
「いえいえ、良いんですよー? 鬼の中には人を食うものだっていますし。伊織さんは潔癖なところがあるので食べないと思っていたんですけど。もしかして、今までは若葉に遠慮をして我慢していたんですかー? あ、それとも、若葉の食生活に合わせようとしてくれているんですかー?」
……なにか勘違いをしているな。
子どもの背丈ほどしかない若葉はのんきな声とは程遠い話をする。
特売品の時に限り、大量に購入をすることを許している胡瓜が手に入った時と同じくらい機嫌がいい。
聞いてもいないことを話すのは機嫌がよい証拠だ。
……人食いを我慢しているのは俺ではなく、若葉の方だろうが。
元々人の中で生活をしていた経験がある伊織は、人間を食料という目では見ることができない。
鬼頭自警団の同僚たちからは若者特有の喰わず嫌いだと笑われるが、それだけはどうしてもできなかった。
「でも、若葉としては人間の味をよく知るべきだと思いますよー? 肉の品質は若さにありますからね。少なくとも十年以上を生きた人間は臭いも硬さもあって食べるのには適していませんよ? 若葉がおすすめの人間を探してきましょうか?」
自宅と喫茶店を繋げている扉を開けた。
本来ならば、品出しの日は店を開けない。掃除や新しいものを取り寄せたり、新メニューの開発をしてみたりと伊織たちの憩いの時間となるのだ。
「おそいぞ!」
喫茶店の料理を担当している伊織が降りてくるのを待っていたのか、客人の相手を任された座敷童の鈴と目が合った。
「休みだっていうのに店を開けたのはアンタかよ。このちびっこが好き勝手にしてんじゃねえよ」
「だって、かわいそうだったからな!」
「知らねえよ。休日料金で倍の金額にするって言っとけ」
身体を仰け反らせ、自慢げに言う鈴の頭を軽く撫ぜてからカウンターに向かう。
休日の為、まともに料理をする気はない。
自由気ままに生きるあやかしたちにとって時間の感覚は曖昧だ。休日だと張り出しておいても、客人をもてなせと口にする者も珍しくはない。
「ほら、水と菓子を持ってけ」
「だめだぞ!」
「あ? 珈琲出してえなら若葉に言えよ」
伊織は面倒事を厭う。
やる気のなさそうな姿勢で座っている若葉に視線を向けると、素早く反らされた。
「ちがうぞ! ひとがたべられないものはだめだぞ!」
鈴の言葉に対し、伊織は眉を潜める。
……若葉の妙な発言はそれのせいか。
若葉は、鈴が食料を招き入れたのだと勘違いをしたのだろう。
……俺は食べないと何度も言っているのに。
あやかしは人を好む。
時には良き隣人であり、恋しい人の子であり、貴重な食糧でもある。
それを知っているからこそ、伊織は鈴が褒めてほしそうな顔をしていることが不可解だった。
「……お前、人間を招きやがったのか」
鈴の言葉を聞き、伊織は顔を上げた。
視線を端の席に向ける。
申し訳なさそうに座っている少年と持参をしたのだろう水筒のお茶を紙コップに入れている美香子が座っていた。
「みかこがきたぞ」
鈴に悪気はなかったのだろう。
「うれしいな!」
喜んでもらいたい一心で招き入れたのか。
偶然、歩いていた二人を見つけただけなのかわからない。
人間の美香子たちが喫茶店に巡りつくことができたのは座敷童である鈴が招き入れたからか。それとも、彼岸に辿り着いてしまうほどに思い詰めていたのか。
そのどちらかだろうということは、伊織にもわかってしまった。
「いおり?」
薄暗い喫茶店には似合わない笑顔で話をしている美香子とそれに対して頷くだけの少年、優斗には生気がある。
何らかの原因で命を落としているわけではない。
それを認識するまでの間、伊織は黙ったままだった。
「いやだった?」
鈴が不安そうに問いかける。
それに対し、伊織は鈴の頭を撫ぜて水と菓子を下げる。代わりに戸棚の中に常備をしていた人間でも食べることができる菓子と缶のジュースをお盆に乗せる。
「これなら食べられる。持っていけ」
「うん!」
鈴は宝物を扱うように丁寧にお盆を掴み、運んでいく。
喫茶店に客を招けたことが嬉しいのか。伊織を喜ばせることができたと自己満足をしているのか。どちらにしても座敷童である鈴にとって嬉しいことが起きるのは喫茶店の繁栄に繋がる良いことである。
……視えているようだな。
人にとっては毒になる花の成分を含んだ菓子を冷蔵庫の中に仕舞い、伊織は近くに放置されている椅子に座る。視線は鈴から飲み物を受け取った美香子とそれに対して軽く頭を下げるだけの対応をした優斗に向けられている。
……遠目では判断がつかないか。
境界線を踏み外せば人とは異なる道を歩むことになる。
その境目に立たされているのか。それとも自ら望んで足を踏み外したのか。眺めているだけでは判断がつかない。
……怯えた様子はないな。
優斗は喫茶店の中を見渡していた。
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