02-2.

 美香子が手招きをするような仕草が見えていた為、近くにいた誰かと変わったのだろう。美香子の代わりに画面に映し出されたのは美香子の面影を持つ七十代の女性だった。女性は何度も瞬きをしている。


「……おじちゃん?」


 伊織のことを叔父と呼ぶ人は限られている。


 しかし、画面に映し出されている七十代の女性はいろいろなところに視線を向けている。その目には伊織の姿が映っていないのだろう。


「ちょっと、お母さん。おじちゃんの姿なんて映ってないじゃないの。さっきから誰と話していたの? 若い男の人に電話なんかして騙されているんじゃないでしょうね!?」


 女性の言葉に対し、伊織は笑い声をあげる。


 それに対して女性は眉を潜めていた。声は聞こえるのにもかかわらず、姿が見えないことに対して不信感を抱いているのだろう。


 ……七海か。


 女性、山田七海のことを伊織は知っている。


 記憶の中の七海は小さな子どもだった。

 走り回ることが大好きな子どもだった。


 ……大きくなったものだ。


 僅かに残っている面影を重ねてしまう。


 それだけで心が痛むのはなぜだろうか。


 人として過ごした日々の中に置き去りとなったはずの心が悲鳴を上げる。歳が離れていたはずの姪を黄泉に見送る日も遠くはないだろう。


 長寿を誇る鬼の伊織にとって数十年の年月はあまりにも短く、儚いものだということは身をもって知っている。


「なに言ってんだい、七海」


「こっちの台詞よ。それにしても広い部屋ね。おじちゃんって生きているなら九十代でしょ? こんな広いところで一人暮らしをするなんて無理なんじゃないの。お母さん、やっぱし、歳なんだから病院でしっかり調べてもらおうよ」


 その言葉に対し、伊織は心の中で同意する。


 ……それが当然の反応だ。


 母親の気がおかしくなったのではないかと心配するのは当然だろう。


 ……視えているのがおかしいんだと気づいてくれよ。


 一か月前、縋りつくように結んでしまった綻びた縁を思う。


 結んだはずの縁は今にも解けてしまいそうなものだ。それは伊織が結ぶのが下手なのではなく、美香子に残された寿命が短いことを示すものだった。


「失礼なことを言うんじゃないよ!! まったく」


 画面がまた揺れた。


 今度は美香子の姿が映し出されている。


 ……あの頃と同じ顔をしている。


 不服そうな表情を浮かべる美香子には昔の面影がある。


 それを見つけ出し、伊織は悲しそうに笑った。


「美香子姉さん」


 隣に並んで覗き込んでいる七海の目が丸くなる。


「アンタたちが関わっていいもんじゃねえ。人の目に映らない化け物なんかに頼る暇は残されてねえだろ」


 七海の目には伊織の姿が映し出されていないものの、声は届いたのだろう。


 それも機械越しだからこそ聞こえているだけに過ぎないということは、身をもって知っている。


「七海」


 数十年前、抱き上げた温もりを思い出すことはできない。


 事実として覚えているだけの日々は長い年月に埋もれていくだろう。


「あんなに小さかったのにな」


 抱き上げ、遊び相手を務めた日々のことを当時三歳だった七海が覚えているとは限らない。楽しかった日々よりも目の前でいなくなってしまった恐怖感の方が強く残っている可能性もある。


 写真を見返した時にそんなこともあったのだと美香子に思い出話を聞かされているからこそ、いなくなった叔父の存在を認識している程度のものかもしれない。


 確かに存在したはずの日々の思い出は霞んでしまっている。


 それがどうしようもなく悲しく、同時に愛おしい日々だった。


「大きくなったな。七海」


 それでも、七海は可愛い姪だった。


 何人もいたはずの甥や姪の中でも七海は伊織に懐いていた。


 それが嬉しく、可愛がっていたことを思い出す。


「俺の声は届いているな?」


 年齢を重ね、頑固なところが目立つようになってきた美香子ではなく、姿が視えずに困惑をしている七海の方が説得をしやすいだろう。


「困惑していることだろう。お前の目には、俺の姿は視えていないことはわかっている」


 伊織は可能な限り、優しい声を出す。


 声は記憶には残りにくい。しかし、昔の記憶を呼び起こす切っ掛けにはなる。


「率直に言わせてもらう。機械越しではなければ声も届けられない俺ではなく、専門の機関を頼るべきだ。今の時代、元軍人のような扱いは受けないだろう」


 七海の目には涙が浮かんでいた。


 その意味を知っているからこそ、伊織は優しい声色を意識する。


「異能力関係のことならば軍――、あぁ、名称が変わっていたか」


 日本が有していた軍は何十年も前に解体されている。


 ……なんという組織だったか。


 伊織は名称を思い出そうと眉を潜めた。


 ……いや。解体されたのだったか。


 戦前でさえ公にはしてはならないとされていた。人ならざる力を利用してでも勝たなくてはならない時代だったからこそ、伊織は軍人になれた。


 その所属先は家族さえも知らない特殊な場所だったが、それは時代と共に形を変えてきたのだろう。科学が発展をし続けている平和な現代では、原因が判明していない不可思議な力は昔よりも公にされなくなった可能性が高い。


「異能対策本部を有している組織に問い合わせるか、異能力対応の病院に行くことを勧める」


 ……実在していればいいのだが。


 存在そのものがなかったことになっている可能性もある。


 代々人ならざる力を継承しているような一族もいる。陰陽師や祓い屋を名乗り、あやかしを退治しようと奮闘している者たちの中に潜り込むことができれば対象方法もわかるかもしれない。


 ……思い出せないものだな。


 肝心の連絡先などが思い出せない。


 鬼頭自警団の中でも定期的に話題になっているはずだが、すぐに言葉が出てこない。


 ここ数十年は異能力を振りかざす人々と遭遇する確率が低下しているという噂を耳にしたことはあったものの、それさえも真実なのか、ただの噂なのか、わからないようなものだった。


「隠せる範囲のものなら人の輪に紛れ込む道を模索する方が良い」


 それは伊織が歩むことができなかった道だ。


 平和を大切にする現代だからこそ、可能になったのだろう。


「方法はたくさんある。姉さんの言葉を鵜呑みにしなくてもいいんだ。わかるだろう? 一人で抱えるような問題はなにもない。今、傍にいる家族にしっかりと相談をするんだ」


 その言葉に対し、美香子は目を反らした。


 九十五歳になった今でも都合が悪くなると下を向く癖は変わらないのだろう。

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