第6話

 啓一君の口から放たれたものは、彼という存在にとっては、余りにも巨大で残酷な内容だった。真実、いや、事実なんてものが、一番恐ろしいことぐらい分かってる。だけど、啓一君の吐いた台詞の重みは、いつまでも私の心と体を支配して、私は、一言も言葉を発せなかった。

 ありのままに、彼の言ったことを書くのは、私には出来ないから、大事で直接的な部分だけ説明すると、啓一君は、お父さんから暴力を受けていたらしい。暴力は心身双方のもので、もともと身体が病弱だった啓一君が、頻繁に入院するようになったのは、お父さんからの激しい暴力が原因だった。お母さんは、お父さんに逆らうのが怖いから、啓一君の苦しむ様子に、目を瞑っていたらしい。私が二人に会った時の、仲良さそうな感じは、偽りの外面だった。

 啓一君は、あの退院の後に、学校で投身自殺を図った。それが本当のことだった。「窓から落ちた」って云うのも、嘘だった。私と過ごした最後の入院期間から、ぼんやりと自殺を決めていたらしい。退院後に、学校で、身を投げたのは……、私に迷惑をかけたくなかったから、だそう……。

 全てを言い終わった後の啓一君は、私と目線を合わそうとせず、沈鬱な表情で俯いていた。私は、ショックで、呼吸することすらままならなかった。そして、知ってしまった。やっぱり、私は、啓一君に対して、何一つ出来ていなかったんだ……。啓一君はお父さんからの暴力に苦しんでいた。それに、入院中に自殺の決意もしていた。私は、誰よりも啓一君の近くに居たはずなのに、啓一君の相談窓口にもなれなかったし、啓一君の抱えていたものに少しも気付けていなかった。その瞬間も、あの瞬間も、私は、あの子を助けられていなかった。啓一君は優しいから、「大切な川谷さんだからこそ、こんなこと、言えなかったんです……」と、必死に私のせいじゃないって言ってくれたけれど、弱くて未熟な私は、それすら受け入れ難かった。

 今だって、小説やドラマや映画の中にあるような行動アクションをして、啓一君に寄り添うことも出来ていない。フィクションの中にあるような正解を、私は当てられない。啓一君を更に傷付けるのが怖い。主人公を救えるような、ヒロインにも脇役にもなれない。啓一君担当の看護師だった私、一番そういう存在でいなくちゃいけなかった私、唯一の救いになり損ねた私……。私は、いつしか、自分自身を傷付け始めていた。

 こんな私に、一体、何が出来るっていうんだろう……。

 それだけを繰り返して、私は、まだ何も出来ていなかった。

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「真実を語る」なんてことが、どれぐらい恐ろしいのか、僕は思い知らされた。いや、そんなことは分かりきっていたのに、全てを言い終えた後、川谷さんの表情を見て、僕はひどく後悔した。何度も何度も言葉を付け足したけど、川谷さんの顔色は晴れなかった。

「真実を語る」ことは、罪深いことだった。川谷さんは、僕を叱らなかった。ホッとしたとか、期待外れだったとか、そんな事を言いたいんじゃない。「馬鹿みたいなことしないでよ!」って言って、僕の頬を叩いて、死ぬほど説教してくれるような、いつもの川谷さんは、何処にもいなかった。「いなくなった」んじゃない。僕が、彼女を「消してしまった」んだ。僕が本当のことを話したせいで、川谷さんは明らかに傷付いていた。叱ってくれる気力さえも失わせるぐらい、僕が与えてしまったショックは大きかった。

 違う、違う。川谷さんのせいじゃない。全部僕が悪いのに……。そう、全て、僕がいけなかったんだ。父親から嫌われたのも、母親から見捨てられたのも、川谷さんに何も言えなかったのも、自殺出来なかったのも、全部全部、僕のせいだ。

 生き残った後の世界なんて、想像していなかった分、今では、何の望みも欲もない。時が過ぎ去ってしまったことへの後悔が、残っているだけだった。

「……い、一旦、帰るね……。ま、また、必ず……来るから……」

 声を震わせて、必死に口から言葉を絞り出すように、川谷さんは言い残して、部屋からゆっくりと出ていった。

 僕は、何も言うことが出来なかった。今の僕に、川谷さんに対して、何が言えるっていうんだろう? また、傷付けてしまうに違いない。僕は、何もしない、ということしかしなかった。それに、こうなってしまっては、もう、何処にも自分の帰る場所はない。あの父親は、きっと僕を捨てるだろう。あの家庭いえから解放される喜びなんて少しもない。帰る場所がない、その寂しさだけだった。川谷さんすら傷付けてしまった以上、僕のことを見てくれる人は、もう一人もいない。また死のうとしたって、こんな状態じゃ、死ぬことも許されない。

 生き残ったことも、やっぱり、罪深いんだろうか……。

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 プツン――――――――

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