第2話

 彼の家は、下北沢駅から徒歩十分の古びたアパートだった。ウチも駅から徒歩十分だけれど方向が真反対である。誠実そうな見た目と軽そうな言動のギャップにえも言われぬ魅力を感じて着いて来たは良いものの、部屋はとてつもなく普通で何だか私は拍子抜けしてしまった。

 「部屋は凄く綺麗だと期待させた割には散らかってるね。」

などと余計な口を挟んでみたりしたが、『その散らかったシンプルな部屋がどうしようもなく好きで、なんだか落ち着くわ』だとは言わなかった。猫がいるというのに、使っている芳香剤からは柑橘類の匂いが漂っていて肝心の猫は見当たらない。私だって今年で二十九歳、あの誘いを騙されただなんて思う歳じゃない。そう腹を括り、リビングに足を踏み入れた。エアコンからは冷気が流れており、首や背中をを伝う汗の存在に気付かされる。

 「荷物そこら辺に置いちゃって大丈夫っすよ」

青年はそう言いながら、奥の小部屋から黒猫を抱いて来た。

 「ほんとに猫いたの」

唖然とする私を、彼は猫を抱いたまま不思議そうに眺めている。彼の猫はやはりこのオレンジの匂いが苦手なのか、腕の中で嫌そうに踠いていて、不覚にも彼と猫のその愛情の差に少し笑ってしまった。

 「あたしにも猫触らせて」

彼は私の猫呼びを少し馬鹿にしつつ、猫を私に渡してくれた。ただただ一匹の猫を二人で愛でる時間は、不毛な時間のようでおそらく物凄く貴重な時間だった。

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