第11話 静止
身体の感覚が抜ける。眠りに落ちるようで、しかしはっきりとした意識のまま、魂を肉体から離す。
何も幽体離脱するわけではない。ただ、魂の状態でないとできないことがあるからだ。
やがて、現実世界とは異なる場所からの交信と繋がった。
『……おひさ』
『ええ、本当に。こまめに連絡を寄越せと伝えたのに、実に五ヶ月ぶり』
相手は嫌味ったらしくなじってくる。これだから嫌だったのだ。そう思いつつも、早く交信を終わらせるために強引に話を進める。
『で、本題だけど。調べてほしいものがある』
『私の頼みは聞かないくせに、自分の頼みは一丁前にするのね?』
『現在進行形であんたらのために働いてる最中ですが? あのタコに付き纏われたの、私忘れてないからね』
『それが私たちの責務ですから。████、いい加減こちらに戻って…』
『違う。今の私はディアルメット・ジャガーノート。長いからディアでいいわよ』
沈黙。現実の肉体があったら溜息を吐かれているだろう。
『……もうこの際呼び名はどうでもよろしい』
『で、さっきの答えは?』
『調べなら既に着いています。今まで見てきましたから。あなたにしてはよくできた方だと…』
『わかってんなら早く言って』
再び沈黙。しかし今度はすぐに結果を話し始めた。
『結論から言えば…あなたが見つけた心暁玉という物体は、生物の心臓が変質したものと見て間違いありません』
『…やっぱり』
デッドスライダーの残骸から見つかった三メートル越えの心暁玉を見て、点と点が繋がった。スズィ川に浮かんでいた魚の死体と、モンスターベアの胃から見つかった大量の小型心暁玉。そしてデッドスライダーに感じた違和感。
デッドスライダーは胴を殴られた時に苦しんでいたように見えたが、それも正確ではない。かの魔獣は生返ってからずっと苦しんでいたのだ。当然である。なにせ、心暁玉が自分の心臓や肺を圧迫していたのだから。
『で、肝心の成分は? 何に変質したかわかんなきゃ調査のしようがないでしょ』
『わかりません』
『…えぇ?』
予想外の要領を得ない反応。だが相手もすぐに詳細を付け加えた。
『形そのものは心臓部です。それは表面の分子構造から見ても間違いありません。しかし、タンパク質や水分、その他分子が各性質を失っているのです。一切の光を吸収せず、またあらゆる物理的・原子的干渉を受け付けない……こんな現象は見たことがありません』
三度目の沈黙。だがその中では思考と感情が錯綜していた。
『デッドスライダーが初め死んでたとき、死体に全く争った形跡が無かった。あんな警戒心の高い魔獣が抵抗することもできないまま、心臓が止まって死んだってこと…? ありえない、一体どんな魔法があればそんなことが…!』
『現状、まだ情報が出揃っているとは言えません。ここで頭を悩ませていても無意味です。引き続き、情報の収集に当たって下さい』
ディアの疑問には答えず、議論の終了を告げる声。最後に二つほど、と断りを入れると、交信の相手は忠告した。
『一つは…魔法とも、物理法則とも、そして私たちの力とも異なる理の現象が発生しています。常識に囚われてはいけません。もう一つは、改めてロクシオンの異変はあなたにしか対処不可能だということ。故に追加の人員は割けません。…頼みましたよ、████』
「はあ……」
眠りが妨げられ、ディアは身体を起こした。窓の外はまだ暗闇に包まれているが、とても眠れる調子ではない。
「ディア…?」
隣でフユウが薄く目を開ける。
「ごめん。起こした?」
「いや、私もちょっと寝つけなくて。…悩み事?」
「ん、まあそんな感じ。でも明日話す」
今のところ心暁玉についてはわからない尽くしである。今話すことでもない。
おやすみ、とディアが再び横になる。
だが、今度はフユウがディアに話しかけた。
「…ディアはさ、ロクシオンでの用事が終わったら何かやりたいこととかある?」
「え、何急に」
「目の前のことで悩んで答えが出ないときは、もっと先の展望を考えてみたらどうかなーって」
「将来の夢、ってこと?」
「まあそんな感じ。やっぱり魔女になること?」
「私は……いや」
初めは、そうであった。魂が離散してもぬけの殻となったシルアの肉体に、逃げるようにして入り込んだ時から。彼女の身体を奪ってしまった時から、自分の責務はただ一つ。彼女の終ぞ叶えられなかった夢を、代わりに叶えること。魔法の使えない獣人の身体でも、魔女になれると証明すること。
勿論それは今も変わらない。だが、今はもう一つの責務がある。これまで思いつきもしなかった場所から、希望の光が差し込んだ。
「…世の全ての聖骸武器と出会うこと」
「おお…これはまた、大きく出たね」
「夢だし良いでしょ?」
正確には『全ての聖骸武器のオペレーターと会話し、そこにあるシルアの魂を励起すること』。彼女の身体で自分が会いに行けば、いずれは彼女の意識が戻ってくるかもしれない。
(そのためには、ロクシオンで足止めを喰らっている暇は無い)
問題解決に向けて、改めて決意を固める。
「あなたの方は?」
フユウに同じ質問を返すディア。
しかし真横からは寝息が返ってきた。
(自分から振っといて寝てんじゃないわよ!)
とはいえ流石に再び起こすのも忍びないので、ディアも今度こそそのまま眠ることにした。
目を閉じると、先ほどの交信の記憶が蘇ってくる。
(これが私を寄越した理由、か…)
心臓が止まる現象。確かにこれは、下手に調査の手を増やせない。
ディア自身の心臓が止まる分には問題無い。最悪、心臓が固まったままでも活動できる。
しかし複数の協力者がいるとなるとそうはいかない。ディアが瞬時に身体を治せるとしても、心臓の止まった人間のすぐ側にいられるとは限らない。そうなれば、彼らの魂を無防備なまま曝すことになりかねない。
二度と、『管理者』の魂が捕らえられるなどということがあってはならない。
(わかってる。もう絶対に同じ轍は踏まない)
そのせいで、シルアは生き地獄の末に魂を散らしたのだから。
「あなたたち、やっぱり私のこと覚えてたりしない?」
『しな~い』
『本当に初対面だって…この質問何度目?』
「…そう」
交信の翌朝。まだフユウが起きてこない時間帯に、ディアは聖骸武器に話しかけていた。
「でもあんたらから感じる魂の波長って絶対あの子由来のものなのよね…」
『あの子って、聖女シルアって人のこと?』
「実際は聖女でも何でもないけどね。名前を体よく旗印にされただけ」
『ん~…魂が似てるのは当然なんじゃない?』
疑問を受けて、ヤムハが説明した。
『私たち聖骸武器のオペレーターは、多分そのシルアって人の魂の欠片を核にしてる。でもそれだけじゃなくって、武器を使う人間とかの影響も受けたりして、次第に人格を形成していくの。だから私たちが自我を持った頃には、もうシルアさんの魂じゃなくなってる』
『シルアだけど、シルアじゃない~』
「……そっか。ありがとね、参考になった」
『どいたし~』
『いやワムハは何も言ってないでしょ』
そう話していると、横のベッドでフユウが目を覚ました。
「あれ、今日は早いね。おはよう」
「おはよう。ごめん、起こしちゃった?」
「ううん。あの爺さん、夜中にとうとう生返ったみたいで。こそこそ呻き声上げてたよ」
「あー……遂に、か」
ディアの表情が一気に暗くなる。フユウの時と違い、身体の部位から全体を再生したのでいつかはちゃんと魂が戻ると思っていたが、とうとうこの時が来てしまった。
ちなみに今拘束している場所はダイニングのテーブル下である。家が狭いのでそれ以外には寝室しか場所がないのだが、部屋の使用の度に縛った裸の老人を移動させなければならず、既に二人ともうんざりしていた。手を汚す仕事は早く終わらせるに限る。
「私が
「うん、任せた」
「おい! 誰かいないのか!」
口枷を外した瞬間これである。
「防音魔術使ってるので家の外には聞こえませんよ」
「貴様等、ただですむと思うなよ。今頃わしの部下たちがこの町を捜索して…」
前もってある程度痛めつけたはずだが、存外に元気なようだ。フユウは老人の数少ない頭髪を毟った。
「ぐっ」
「ディア、再生お願い」
フユウが毟った毛をディアに差し出す。
「毛なんて生やしてどうすんのよ」
「そっちじゃなくて」
彼女も一拍遅れて意味を理解すると、『力』を使った。
バタン、と部屋に音が響く。老人が床に目をやると、そこにはもう一人の老人が倒れていた。
「…何が、起こって」
「助けなど来ませんよ。ほら、呼吸も脈もある。紛れもなくもう一人の貴方だ」
「まさか、わしになりすまして偽装を…」
「違いますよ。…寧ろ、偽物は貴方の方だ」
床に倒れる方の首を折りながら、フユウは老人を追い詰める。
「助けは来ません。だって貴方は姿を消してなどいないから。きっと今頃、丸出しメイドに囲まれて煙吸ってるんじゃないですか?」
無論嘘である。屋敷ごと綺麗に爆散させたので、従者諸共死んでいる。
「何を、言って…」
「まだわからないんですか? 貴方は本体が提供したサンプルから再生した複製体なんですよ。切った爪の先がいくら痛がっても、誰も気には留めません……ああ、貴方の爪は今ありませんでしたね。気が利かなくて済みません、すぐに治しますね」
「まっ待て、やめろっ」
「遠慮なさらないで。爪なんていくら取れても命に支障はありませんから…」
フユウが近づき、恭しく老人の手を取った。
「それとも、指の方が良かったですか?」
「ゼクステアが主導になって、限られたコミュニティーで心暁玉を独占して儲けてた、と。魔獣の討伐依頼の数が減ってるのに何もしないわけね」
拷問を終えたその日の昼過ぎ。二人は山の中で死体を遺棄したのち、それを燃やしながら得た情報を整理していた。
「後気になるのは『禁足地』くらいか。山の裏側で川の上流側だけど…デッドスライダーがいた下流からは大分遠いね」
「町からここまで大分歩いたのに、地図見る感じ更に倍ぐらい距離あるんだけど…?」
「…そういえば話変わるけど、こんなところよく知ってたね?」
今二人がいる場所には他に人も魔獣もいない。文字通りの穴場である。切り立った崖に繋がる穴は、外からは木で見えづらく侵入が難しい。ディアの先導で町から山に入り、入り組んだ道を通った後、拠点化したこの場所に辿り着いたのだ。
「町に入る前に作ったの。町から丁度見えないってのがミソよね」
「ここで何かやることがあるんじゃなかったっけ?」
「あ、忘れてた」
そう言うとディアは
「…何やってるの?」
「口内の粘膜からスペアの身体を作るの」
「嘘でしょ⁉」
「今更でしょ…あなた血液から生返ってんのよ。ほら、あなたの分も作るから血寄越しなさい」
(流石に人の唾は嫌か)
言い終わるよりも早く、目を瞑った裸体の少女が現れる。ディアはもう一つ棺とその中にフユウの身体を作り蓋を閉めると、穴を掘って土の中にそれらを埋めた。
「これで何かあったら、今の肉体を捨ててこっちに戻ってくるって寸法よ」
「…話して良いの? こういう奥の手って、誰にも秘密にしておくものじゃない?」
「あなたには話しても良いって判断した。できることは最低限共有しておくものだしね。…それに、優しいお師匠さんは可愛い弟子の身体に滅多なことはしないでしょう?」
「…まあ、しないけどさ」
でしょ?とディアが悪戯っぽく笑う。橙の目を細め、青く透き通った髪が揺れた。
「じゃ、さっさと山下りましょ。やっと面倒なのが終わったし、またケーキでも食べない?」
「うーん…私はいいや。まだちょっと食欲が戻らないし」
「えー? つれないわね…」
散々変態爺の拷問を嫌がっていた割に、元気なものである。
「また今度ね。私は少し休んでから、頼んでた補助媒体を受け取りに行くよ」
「あー…遂に魔法の実践かあ」
いつもフユウが利用している工房に、デッドスライダーの魔力器官と大量の金を積んで依頼してある。まず間違いなく最高品質の補助具を作ってくれたことだろう。
「魔術師としての第一歩だ。期待してるよ、魔女ちゃん」
「…だからそれはまだ早いっての」
「なれるよ。必ず」
「はいはい。じゃ、私行くから」
照れくさそうに話を切り上げると、ディアは山を下りていく。それを見送った後、フユウは勢いよく立ち上がった。
「それはそれとして、だ」
『どうしたの?』
『滅多なこと~?』
「これからすること、ディアには言わないでね」
町に入る前から、やけに静かだったのを覚えている。
普段から明確に音が聞こえるわけじゃない。もしかしたら、普段は小さな雑音が人のいる気配のようなものとなって響いていたのかもしれない。
だがその時は、明確にそれが欠けていた。まるで心音の途絶えた身体のように。
急いでディアと合流しなければ。そう思って周囲を見渡した瞬間。
私は自分の喉笛が切られるのを見た。
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