第10話 一撃必殺

「お、悩んでるね~」

「…また来たのか」

 研究室に入ると、二重の意味で顔をしかめたフラムが私を出迎えた。

「用も無く来るなと言っているだろう」

「用があったら来ても良いんだ?」

「…用件は?」

「初めに会ったときから大分丸くなったね~」

「用件は⁉」

「君のしかめっ面を覗きに来たよ」

 はあ、と溜息を吐かれる。彼女は根を詰め過ぎる嫌いがあるので、こうして適度に息抜きをさせている…と思うことにしている。

「まあ、少しばかり休憩にするか」

 珍しく私の心遣いが通じたのか、彼女はそう言うと席を立った。優秀さ故に特例で部屋を貸し出されてはいるが、白衣越しに見る彼女の肩はやはり小さい。

「内容、見ても良い?」

「好きにしろ」

 カップを用意しながら、彼女は背中越しに返事をした。

 返答を待たず机に置いてあった紙を見る。そこには彼女が組んでいる途中の術式がびっしりと書かれていた。私でも頑張れば理解できるだろうが、正直複雑すぎて理解したくない。

「うわ…見てるだけで頭が痛くなってくる」

「それが六十四個必要になる」

「……正気?」

 緻密で細い魔術回路だ。流す魔力の量を間違えれば簡単に決壊するだろう。あまつさえそれが何十個もだ。魔術師一人での起動はおろか、数十人クラスで動員して出来るかどうか。

「まあ、その部分が一番複雑なだけだ。回路全体で見るとそこまででもないぞ」

「さいですか…」

 紅茶を入れたカップを持って、空色の目を向けながらフラムが戻ってきた。こうして彼女の頭が私の胸の前にあるのを見ると、やはり小柄だと感じる。本人は「まだ成長の余地がある」と言い張っているが。

「それに、机上の空論で十分だ」

「…そうなの?」

 まるで初めから不可能だとわかっているかのような口ぶりだ。術式の構成をとことん詰める彼女にしては珍しい。それだけ異常な規模の回路なのだろうか。

「私が目指しているのはあくまで理論の証明。つまり「理論上可能」であれば、あとは後世の人間が何とかしてくれる。私だって、こんなものが実際に起動できるとは思っていないさ」

 そう言うと、机に腰掛けたままフラムはカップに口を付けた。湯気が丸縁の眼鏡を曇らせる。

「それは、技術的な問題?」

「それもあるが」

 彼女は俯きながら、カップの縁を指でなぞった。

「魔術師の…人間としての限界だよ。人間による魔術の行使は、現実には魔力の出力や操作精度の問題で制限が掛かる。自分の大きさを基準としてしか回路を認識できないからだ。それにこの術式は最終的に…一般的な魔術師の魔力保有量の十倍以上の魔力が必要になる」

「じゅっ⁉」

「動かない標的に何十人もの魔術師が集まって、数時間掛けて起動してようやく放てる魔術だぞ? あまりに費用対効果が低い。これなら黄炎魔術で対象を囲んで焼き続ける方がずっと良い」

 彼女は紅茶を飲み干すと、カップを洗いに背を向けた。

「と言うか、何もしないなら君が私の茶を淹れてくれても良かったんじゃないか?」

「…それでも」

「何がそれでもだ、早く帰れ」

「それでも、改良した黄炎魔術に『中級カドラ』の名を付けたのは」

 小さな背中が立ち止まる。ふう、と溜息を吐くと、フラムはくるりと振り返った。

「当然、のちにこの馬鹿げた術式も実用化され一般魔術として使われるだろうから、だ」



 デッドスライダーに纏わり付いていた割れかけの甲羅が、再び形を変える。

 裏に、表に横向きの亀裂が入ると、やがて一本の綱になる。

「グオオオ」

 否、綱と呼ぶには太すぎる。青い水晶の塊は、蛇にも似た巨大な龍に変貌した。

 龍の首が三つに増えると、それぞれがデッドスライダーに噛みつき、巻き付き身体を持ち上げながら縛り上げる。その腹部の中で、血肉の塊からディアの頭が形を為した。

「で、結局何でフユウは精神体でやらなきゃいけなかったのよ?」

『今お姉さんがやったのと同じだよ』

「えぇ?」

 二人の血で塗れた剣の一つが説明を加える。

『人間の魂は肉体を離れると次第に意識が霧散するけど、逆に言えば脳に思考を依存しないから、肉体の尺度に囚われず世界を観測できるの』

「…つまり???」

『ちまっこい作業、顕微鏡いらず~』

『お姉さんの魔力組成操作とおんなじ理由!』

「……なるほど!」

 よく分からなかったので後でフユウ辺りに聞き直すことにする。

『てかワムハ、あんたロリコンのサポートは⁉』

『んー、何かだいじょぶそ~。完全に魂の形が固まってる~』

『そう…いややっぱ不安だから私行く!』

『任せた~』

「大丈夫かなこいつら…」

 とは言え、自分一人では倒すのに時間が掛かる相手なのも確かだ。ディアは素直に策に従い、デッドスライダーの抑制に集中することにした。



『結局君は未来が待ちきれなくて、自分で景色を見ようとして、そして踏み外した』

 記憶の端にある、あの時垣間見た回路が、今己の手で組まれている。

 異常なほど繊細で過密な構造、人が起動することを想定していない規模の大きさ。

『でも、今なら分かる。今ならできる』

 彼女の見ていた世界が。彼女の感じていた、未知に迫る高揚感が。

 彼女の置き土産が、完成を間近にしてそこにある。

『ロリコン!』

 ヤムハがこちらに駆け寄ってくる。

『うわ、本当に形保ってる…じゃなくて! まだ⁉』

『お待たせ、丁度終わったよ。じゃあやろっか』

『わかった、お姉さんにあんたの身体治すように言ってくる!』

 ヤムハが離れていく。ちょっとすると、身体に、ではなく精神に再び引力を感じるようになった。この先に自分の肉体があるのだろう。

『君の術式を、この目で見届けてみせる』

 そう言うとフユウは流れに身を委ねた。



 デッドスライダーが己の身体から龍の首を引き剥がす。その度にもう一つ首が生え胴に絡みつく。

 激しく揺れ動く龍の体内では、術式発動のための準備が進められていた。

『お姉さん自身でもある程度調節してよ?』

「ある程度ってどん位?」

『とりあえず二割~』

「わかった二割増しね!」

『ちょまっ一度に多いおお、うっおえっ』

「ディア!」

「何?」

「ごめん魂が完全に身体に入っちゃった、もう一回殺して!」

「ああもう!」

『ごめんワムハ…うっ、直列じゃなくて並列で手伝って…』

『りょ~…おお~、すご…うぷ』

「ディアこれ私頭の中まで刺さってない⁉ 本当にこれ大丈夫なの⁉」

「喋れてんだから問題無いわよ! …じゃ、本体から分離するから! いち、にの、さん!」

 巨大な龍の腹部から這い出るようにして、二人と二本を乗せた青透明な亀が泥の上に着水。それと同時に、巻き付いていた龍の全身から無数の根が地面に伸び、デッドスライダーを体高高く締め上げたまま固定する。

「ギャ、ガ、ギイイ」

「はい今! あんま離れると操作できないから!」

「わかった」

 甲羅の天井が開く。血と脳漿が吹き出す頭をもたげ、フユウは手をかざした。

 半分は肉眼で対象を見据え、腕の感覚と視覚で大まかな方向と距離を測る。その一方で残った思考リソースを全て魂の感覚に乗せる。

 ディアから魔力を流し込み、ヤムハ・ワムハがせき止め、フユウが魔力を変換しながら惜しみなく大量に、かつ慎重に回路に注ぐ。

「早く! 拘束が解ける!」

『うう…戻しそう~』

『胃、ないけどね…うぷ』

「…もう少し」

 術式の名は《上級火炎魔術キュビィ・フレイム》。彼女が名付けた、未来の一般術式。

「でも、それじゃあ味気ないよね」

 世界で初めての白炎魔術。少なくとも今この瞬間だけは。この光景だけは。自分と、それから生涯でたった一人の愛しき我が妻のものだ。

(ごめんね。こんな形でしか返せないけど)

 妻を正しく愛せなかった異常者からの、せめてもの餞を。

 熱が一点に集中し、火が点く。赤色の光はすぐに黄色に変わり、最後には色の消えた強い光になった。無駄を排し一切の放熱を許さないそれは、代わりに直視が難しい程の発光をもって内に秘めるエネルギーを主張する。

「うんと眩しくするから、そっちからでもちゃんと見届けてね」

 視界が白く染まる。もはや魔獣の姿は見えない。さっき測った距離感を頼りに光を放った。

 君に捧ぐは、水天を灼く明けの明星。

「《破滅の羽白星フラム・ブラン》」

 フユウが言い終わると同時に、青水晶の亀は泥の中に潜水した。



 モンスターベアに続くスズィ川下流のデッドスライダー討伐は、二人の狩人ラプターフユウ・シュトライツとディアルメット・ジャガーノートによって完遂された。太陽と見紛う程強く光る白炎はデッドスライダーの全身を焼き、僅か数秒で絶命に至らしめた。その熱量に泥沼は干上がり、更にはその先の木々が発火する程であった。中心にいた両名の生存が一時危ぶまれたが、無事に地面の中から這い出る形で発見。いずれも大きな傷は無かった。

 そしてもう一つ、重大な事実が発見される。

 超高温に曝されたはずのデッドスライダーの残骸の中から、三メートルにも及ぶ巨大な金属塊が変形・変質することなく出現したのである。



「ここに来て心暁玉…やっぱ老人虐待しなきゃ駄目か」

「えーやだ…あの爺キショいし」

 ディアとフユウはは先日のカフェに再び訪れ、軽食を取っていた。今回は二人で同じケーキを注文している。

「まあどっちにしろデッドスライダーは消し飛んじゃったし。また当分変換媒体は手に入らないだろうから、時間はたっぷりあるよ」

「いや、それに関しては大丈夫。遺灰からでも体組織は復元できるから」

「えぇ……すご」

「それより、何であの時わざわざ魔法で倒そうと思ったの?」

「なんかいけそうだったから…」

「そう…」

「と言うのは半分冗談で。もう半分は魔法の凄さをディアに見せたかったからなんだ」

 どうだった?と自慢げに微笑むフユウ。目当ての素材ごと灰にしたことを全く悪びれていない様子だが、あの威力を目にして認めないわけにもいかない。

「…確かにあのレベルだと、私の魔力晶壁バリアじゃ防げないわね」

「もちろん相手次第では使われるかもね。でもそれ以上に、ディアなら白炎を使う側になれるんじゃないかな?」

 そう言うと、フユウはティーカップに口を付ける。

 相方が嬉しそうな一方で、ディアは物憂げにそれを眺めていた。

(あの後、ヤムハとワムハに話を聞いた)

 彼女はオペレーターが見たフユウの記憶と自分の持つ情報とを照らし合わせていた。

(「ロクシオンの異変を調査せよ」…わざわざ不死身の私を寄越した理由。第一候補はやはり心暁玉だ。だけど次点で怪しいのはフユウ…いや)

 それも本名ではない。フユウ・シュトライツという名前は彼がゼクステアに身を隠すための偽名だ。

 ディアはロクシオンに辿り着く前の町で、資金を求めて指名手配書の一覧を見たことがあった。それぞれの罪状や人相、捕らえた身柄か首を引き渡した時の金額等が記載される中で、最後のページに最大の懸賞金を掛けられた男がいた。

 教え子への淫行を繰り返した末、かのノットマンの大火災を引き起こした人物。当時の学長を含む教師七人を殺害し逃亡。さらに彼がその時放った火によって十八人が死亡、六十九人が重軽傷を負った。その後も追手を殺害し続け、最後は一切の痕跡も無く消息を絶ったという。

 若くして亡くなった『白炎の魔女』フラム・クロームの夫にして彼女と共に第二の火属性系魔法・爆発魔術とその術式を編み出した研究者であり、その悪用によって妻の名誉に消えることのない傷を付けた『ノットマン最大の汚点』。

 あるいは、現場に残された首無しの遺体から畏怖の念を込めてこう呼ばれる。


 『爆首はぜこうべ』ユージー・クローム。


(しっかしまさか、助手にしたやつが疑惑の人物だったとは)

 生返らせる力を不用意に明かしたせいで、彼は下手に動いてこないだろう。被害を防ぐ意味では良いのだろうが、調査する側としては寧ろ判断に困ってしまう。

(わかりやすい悪人だったら良かったのに)

 現状、フユウは良き助手にして魔法の師匠でしかない。

 ディアは口から抜いたフォークを皿の上のケーキに突き刺した。

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