第9話 カムバック・トゥ・ミー

「別れよう、俺たち」

 それまで喜びに満ちていた少女の顔が、みるみる内に崩れていく。

 腕を掴んでくる。しきりに口を動かしているが、何て言われたんだったか。

「他に好きな人が出来たんだ」

 ああ、そうだ。あの時はめんどくさかったからそんな方便を使ったんだった。

 最初の恋人はノットマン魔法学院の戸を叩くため一緒に勉強した仲だった。が、結果は私だけ合格。彼女から魔法への熱情が消えるのと同時に、私の恋人に対する愛情の火も消えたのだ。

 十八歳の私は、心に空いた隙間を埋めるようにして勉学に励んだ。実際ノットマンでの授業は楽しかったし、何より立ち止まってはいられなかった。周りには私よりも凄い人が大勢いたから。

 中でも一際目を引いたのは一人の女の子だった。十五歳という若さで入学したという少女は髪も肌も白くて、そして実年齢よりも幼く儚げに見えた。唯一空色の瞳が光っていて、さながら白紙のキャンバスに落とした一滴の絵の具のようだった。

 思えばあの時の私は、適当に吐いた嘘を埋め合わせる何かを探していたのかもしれない。

 彼女は一匹狼だったから、仲良くなるのにとても苦労した。お近づきになろうと度々近くの席に座りに行ったり話しかけたりしたけど、大体は無視か悪態だった。まともに話してくれるようになったのは、半年くらい経ってからだったか。

 儚げな彼女は事実、体が弱かった。後から聞いた話では、体の魔力変換が生まれつき火属性に偏っていて、いつも水分補給用の水筒や胃薬を持ち歩いていたらしい。だがその反面、火属性系の魔術に極めて秀でていた。当時は珍しかった補助魔導具を杖に取り付け、何とか他属性の実技をくぐり抜けていた事を差し引いて余りあるほど、彼女の火炎魔術は神憑っていた。

 在学中・卒業後を問わず、彼女はいくつもの研究を発表した。『既存の「黄炎」魔術の最適化』、『爆発魔術の提唱』、『「白炎」魔術の理論証明』…どれも火属性魔法の技術水準を押し上げるようなものばかりだった。

 中でも『爆発魔術の提唱』は私との共同研究だ。殆ど私の拙い理論を彼女が書き直したようなものだったが、彼女は当然のように私を対等な共同研究者として名を連ねてくれた。

『おぉ~!』

『初めての共同作業だ~』

 ……?

『あ、やっと気付いた』

『お暇だったので記憶鑑賞会してた~』

 子供…女の子二人…?

『いや、暇潰しじゃないから。どこかの誰かさんの肉体が弾け飛んで全損しちゃったせいで、こうして魂を集め直してるんじゃん』

『そともゆ~』

 ……。

『あっやば。また意識薄れてんじゃん』

『鑑賞会続行~』

『肉体はもう治ってるんだから、早くお姉さんのとこ加勢しに行きなよ~!』



「ギャオオオッ」

「うぐっ」

 大きな顎に挟まれ硬質な音で軋みを上げながら、青い巨人が押し倒される。

 その衝撃で内部も大きく揺れ動く。壁に叩きつけられ凹んだ自分の頭を治しながら、一方で隣のフユウの身体を治し続ける。

 いや、もう治っている。はずである。それでも一向に彼の瞼は開かない。

「早く起きなさいよ馬鹿ぁっ!」

 口ではそう言いつつも、理由は既に分かっている。

 蘇生直後、デッドスライダーは口から高圧水流を放った。ディアは咄嗟の防御が間に合ったものの、他の二人は身体が消し飛んだ。辛うじて泥上に残った血液からフユウの肉体を生成したが、そこにすぐさま魂が入る訳ではない。

 人間の魂は無数の意識の集合体だ。魂が一つの自我を為すことができるのは、それら一つ一つが結びつく物理の肉体があってこそである。

 その肉体のほぼ全てが一瞬にして血飛沫に変わった。

 身体はただの器だ。再び命を繋げるかは、自意識が完全に霧散してしまう前に身体を見つけ、そこに再び紐付けられるかに掛かっている。一度身体で目覚めれば、一度散った魂も次第に戻ってくる。

 逆に言えば、目を覚ますのが遅れれば遅れるほど復活の目は無くなる。そのためには、この激しく揺れ動く巨人の体内で、目を開かぬまま度々壁に衝突するフユウの身体を治し続けなければいけない。

「くっ、そ!」

 だがそんな事情を知ってか知らずか、デッドスライダーは苛烈に攻撃を続ける。いくら殴ろうとも狂ったように暴れ、巨人の身体に食らいつき続ける。おまけにこの泥まみれの環境だ。始めこそ多少乾いていたものの、度々吐く高圧水流が水気をもたらし、すっかり泥水に戻っている。これでは巨人の踏ん張りが利かない。

「何なのよっこいつ!」

「アガアアアアアアッ」

 こんな力任せな戦い方は初めてだ。狡猾に機を伺い、手傷を負うことを嫌い、執拗に獲物を追い詰めるデッドスライダーらしくない。こんな死に物狂いの暴れ方は見たことがない。

「このっ」

 突き放そうと咄嗟に胴を殴る。力の入らない体勢での、苦し紛れのパンチ。

「グウウッ」

 だが、その一撃が巨躯の捕食者を怯ませた。

 違和感。

「苦しんでる……?」

 そんなはずは無い。デッドスライダーに触れたあの時、一通り暴れさせるために肉体を完全に治したはずだ。外傷はおろか、内臓の損傷、病気の類いもあるはずは無い。

 だが一瞬の逡巡もつかの間、デッドスライダーが再び攻勢に出る。顎門で食らいつき密着したまま、巨人を泥の中に押し倒す。

 青い巨体が段々と地面に沈んでいく。もはや水面下で蹂躙されるのを待つばかりかとなった、ちょうどその時。

 ガキ、ガキンという音が頭上から鳴った。見上げると、フユウの身体と共に飛んでいったはずの聖骸武器二つが、巨人の体内に入ろうとしている。

 考える暇は無い。咄嗟に穴を開くと、勢いよく飛んできた刃無しの双剣はフユウの両肩に衝突した。

「ぐあっ」

 すると、それまで動かなかったフユウが息を吹き返す。

「ハア、ハア」

「やっと戻ってきたっ! とりあえず反撃再開するから、また死んでもしがみついときなさ…」

『でんごんでんごん~』

 ディアの言葉を遮るようにして、剣の一つから声が聞こえる。

「はあ? 伝言? 悪いけど後にして!」

『じゃあ言うね~』

「聞けよ!」

『「策があるんだ」』



 度重なるアプローチが実を結び、卒業を境に私たちは付き合い始めそのまま結婚した。だがその頃から彼女は少しずつ変わっていった。

 彼女の思考から魔法研究のことは徐々に薄れ、代わりに日々の生活で塗り替えられていった。初めは今まで知らなかった一面を見せてくれているのだとも思ったが、そうではなかった。初めて子供を身籠もった頃には、彼女の魔法への探究心は完全に牙を抜かれてしまっていた。

 子が生まれれば私も気が変わるかもしれないと、態度を取り繕った。だが初めの子が流れた時も、二人目の子供が生まれようとしている時も、結局は駄目だった。

 二人目の時は難産だった。元々の病弱な体に加え長時間に及ぶ陣痛で、彼女はすっかり弱り切ってしまっていた。医者から母親と子のどちらかが命を落とすかもしれないと告げられ、私は真っ先に彼女を選んだ。

 二度も子を死なせたことで彼女は長いこと落ち込んでいた。だがやがて失った自分を取り戻そうとするかのように、再び研究に没頭していった。

 数年後、彼女は実験中の事故で亡くなった。終ぞ再現できなかった術式を置き土産に、彼女の身体は骨一つ残さず燃え尽きた。悲しみはあった。だがそれ以上に、命の輝きを取り戻し最後に眩く散った彼女の生き様がただただ美しかった。

 その時私は気付いた。私は、彼女の未知に向かって学び続けるその姿に惚れたのだと。

 …ああそうか、おかしくなったとしたらここだ。彼女の火は最後に私の脳までも焼いていったのだ。

 気付けば私は普通の女性を愛せなくなっていた。「妻以外の女性」ではない。逆に亡き妻の姿を求め、妻の要素を持つ女性を渇望するようになった。それも、共に魔法という学問に向き合える女性というだけではない。ここに来て、彼女の人より幼げな風貌が災いした。

 ノットマン魔法学院で教師として働く中で、私は自分の生徒に手を出すようになっていった。

『え…やば。ロリコンじゃん』

『しかもちょいサイコっぽ~い』

 もうやめていい?

『あーやめないでやめないで、ちゃんと自我戻さないと』

『お気になさらず~』

 ……まあ、そんなことしててバレないはずもなく。私の行為は五年後白日の下に曝された。

『結構保ったね』



「何てことをしてくれたんだ君はッ!」

「よりによってメイズ家のご令嬢と関係を…!」

「クローム先生、失望しましたよ」

 とうとうバレたかと頭では思っていても、心臓が鳴り止まない。私は何も悪いことはしていないというのに。

「彼女と私は両思いです。けして遊びの関係では…」

「黙れっ生徒を教え導く立場にある者が、戯れ言を抜かすな!」

 落ち着け。いくらでもやり様はあるだろう。まずは集まっている先生方をなだめないと。

「皆さん、まずは釈明させ…」

 私が一歩踏み出した瞬間、部屋にいる同僚たちが一斉に杖を向けた。

 これ以上言い訳しようものなら、殺すことも辞さない。彼らにしてみればそんな意思表明だったのだろう。

 だが、まあ。何というか。

「これでは教師失格ですね」

「当然だ。貴様はノットマンの名誉に泥を塗ったのだ」

「いやいや、そうじゃなくて」

 後悔はしていない。こうとしか私は生きられないだろうから。だがそれでも、何も思わなかったわけじゃない。

 一人目、産声さえも上げられなかった名も無き我が子。私がその命を天秤に掛けて殺した。

 二人目、我が妻フラム。私のせいで危険な実験を繰り返し、結果命を落とした。

 この罪の重みも知らないくせに。

「本当に殺すつもりもないくせに」

 人一人殺したこともないくせに。

「軽々しく人に杖を向けるんじゃねぇ」

 指先で空間をなぞり、小さな火球が揺れ動く。

 私はこの日、初めて爆発魔術を殺人に使った。

「へ…?」

 一秒足らず、火球四つ。七人のうち四人の頭が消滅する。

「…う、うあ」

 叫ばれる前に残りの三人も消した。

 人を殺すのに杖など必要ないというのに、魔術師は杖が無ければ何もできないと、他ならぬ魔術師が思い込む。こんなものが未来の魔術師を教え導く立場にあってはならない。

 学長が事態の拡散を恐れたおかげで、部屋には防音術式が使われていた。爆発も頭を消し飛ばせる最小限に抑えた。

 窓際に向かいながら、黄炎術式を構築する。

「《中級火炎術式カドラ・フレイム》」

 黄金に輝く炎が床に放たれる。通常の赤い炎より遙かに大きな熱量が一瞬で部屋全体に広がる。咄嗟に窓を割って飛び降りた。

 二階分の重力を受け止めると、そのまま走り出す。生徒の姿が見えた辺りで、はち切れんばかりに叫んだ。

「火事だああああぁ」

 そのまま、騒ぎに乗じて町を出た。

『えええ、何こいつ本当にやばい奴じゃん』

『ガチサイコ、犯罪者~』

 悪かったね、サイコで学生好きな殺人犯で。

 まあそんなこんなで追っ手を撒いて、このロクシオンに流れ着いて、『凶星ステラギルド』に拾って貰ったってわけ。リーダーや受け入れてくれた皆には感謝しかないよ。

『…で、その後は?』

 その後はのんびり魔獣を狩りながら過ごして、モンスターベアの依頼で死にかけて、それで魔女ちゃん…いや、ディアに出会って今に至る。

『うん、大丈夫そうだね。これなら戻れそう』

『受け答えよ~し』

 二人ともありがとね。えーっと…。

『私は光断剣アダムのオペレーター、ヤムハ!』

『イヴの方のワムハ~』

『それより、早く身体に戻りなよ』

 いや、それよりも。もう少し時間良いかな?

『なに~?』

 今なら、ずっとやりたかったことが出来ると思うんだ。



 押し倒された青い巨人が人の形を捨て変形していく。四つん這いのデッドスライダーの胴体に、まるで亀の甲羅のようになって密着した。

 デッドスライダーは激しく暴れ、ふるい落とそうと泥の中に潜った。

『で、作戦って何?』

『おお~、おそろい~』

『精神体の方が良いでしょ。どうせ今頃私の身体も一緒にミンチよ』

 ディアが肉体を離れ魂のみとなったまま、オペレーターの少女二人と対峙する。

『こっちで会話できるんなら話が早い。ワムハはロリコン支える方代わって!』

『了解~』

(ロリコン…?)

 見ると奥の方に見慣れない魂がいる。その周りをワムハと呼ばれた少女が飛び回り、魂の飛散を防いでいる。どうやらフユウがロリコン呼ばわりされているらしい。

『簡単に言うと、あいつが組み上げた術式を使って魔獣を倒す。その術式を、お姉さんが発動してほしいの』

『私⁉ 無理無理、魔法なんて使えないって』

 簡単に言うが、冗談ではない。杖はおろか補助器を使ったことすらない素人が、ぶっつけ本番で魔術を使えるわけがない。

『大丈夫。あいつが必要なのはお姉さんの膨大な魔力量と出力。お姉さんはただ思いっきり魔力を注ぎ込めばいいの』

『私が本気出したら、そこらの杖なんて壊れるわよ』

『それも心配要らない。私、ヤムハと…』

『ワムハが受け皿になる~』

『聖骸武器を、変圧器うけざらに…?』

 今なお未解明の技術が使われたオーパーツ。人の手では再現不可能なほどの魔力出力を可能にする武器ならば、確かに魔力の中継も出来るかもしれない。

『お姉さんから流し込まれた魔力を私たちが受け取って、私たちがあいつに注ぐ。注がれたあいつが魔力を変換する』

『後はワニを丸焼き~』

『……わかった。やってみる』

 デッドスライダーを逃がさないように消耗戦をするよりは勝算がありらくができそうだ。ディアは提案に乗ることにした。

『あ、あとデッドスライダーに魔術が当たる前にちゃんと沼の深くまで潜ってね』

 ふと思い出したようにヤムハが付け加える。

『どういうこと?』

『多分火力が強すぎて、骨すら残らないと思うから』

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