第8話 はい、もう一度

 雲の無い空から日差しが照りつける。数日前まで木や草が生えていたであろうそこには代わりに乾いた土が広がり、空気は肌に纏わり付くほどに湿気を孕んでいる。

 変化をもたらした元凶に近づくにつれ地面は泥のように水分を帯び、足下をもつれさせる。そこからさらに歩を進めると、かつて一本の川が流れていた場所にたどり着く。今も山の方から注がれる水は下流に流れることなく茶色く濁った池を形成し、湿地帯のような光景を作り出していた。

 その水面にいくつかのボートと、一際大きな一体の魔獣が浮かぶ。中でもとりわけ目立つ青水晶のようなボートにはディアとフユウが乗る。

 そしていくつものボートが対峙する、討伐対象の魔獣「デッドスライダー」はといえば。

 静かに息絶えその半身を泥に沈めていた。

「…は?」



 時は前日のゼクステアにおける緊急招集まで遡る。

「ワニは私たちだけで倒すから」

 デッドスライダー討伐の要として担ぎ上げられたディアは壇上で、開口一番他の狩人ラプターの作戦参加を拒絶した。

「あなたたちは家で寝てればいいわ」

 当然、生活のかかっている他の狩人ラプターは勝ち戦に乗っかろうと異論を唱える。

「自分と『凶星ステラギルド』で報酬を独占するつもりか!」

「いややらないわよ。独占するのは私とフユウの二人だけ」

「同じじゃねぇか!」

 続いて討伐が本当に可能なのかという意見も出た。

「相手はあのマッドスローターと同種の魔獣だ。一度運良く生き延びたからって無謀にも程がある。ここは我ら『陽光騎士団コロナ・ナイツ』や他の実力派パーティーでサポートを…」

「ただでさえ足場悪いのに標的が分散するでしょ。雑魚は要らない」

「…雑魚だと?」

「当然でしょ? ワニとやり合うためには、突進と高圧水鉄砲を防げる防御力と高速腹滑りを撒ける速さの機動力、このどちらかが必須。熊すら殺せなかったあなたたちにそれがあるとは思えないけど」

「あ、足手纏いだというなら、そこのフユウ・シュトライツだって同じだろう!」

「そうよ。足手纏いを庇える人数は精々一人が限度、つまり支援役はもう間に合ってるの。お分かり?」

「貴様ッ」

「ディア、ストップ」

 戦闘になりそうな雰囲気を見かね、フユウが壇に上がり割って入った。

「私たちの目的はデッドスライダーの水・土属性魔導器官。最悪これがもらえさえすればいい」

「それじゃ割に合わないって言ってるの。実際に戦うの私なんだけど?」

「でも私たちはまだ蓄えに余裕がある。報酬金全額を渡さないにしろ、総取りまでしなくて良いはずだよ」

「仕事しない雑魚のために何で自分の取り分を減らさなきゃいけないのよ」

「何もしないわけじゃない」

 そう言うとフユウは振り返って目下の狩人たちを見る。

「魔獣討伐に絶対は無い。もし何らかのイレギュラーが発生して、ディアが死なないまでも一時退却を余儀なくされた場合、体を張って退路を守ってくれるのは彼らだよ」

 その言葉にそうだ、と賛同する声が次々上がる。

「それに、これは投資だよ」

 拡声器に声を拾われないよう、ディアの耳元でフユウが囁く。

「この先、人手や伝手が必要になるときが来るかもしれない。人の数は代えがたい武器だ。恩を売っておくのも無駄じゃない。この際私の取り分は無くていいからさ」

 ディアはまだ不服の表情だったが、やがてフユウの提案を呑んだ。

「…分かったわよ」



「つまり…?」

「狩猟開始前にデッドスライダーの死亡を確認したので、依頼は撤回です。報酬も出ません」

「納得できるか馬鹿!」

 ゼクステアの職員に説明された状況に、二人は困惑していた。

「今回はディアと同感。私たちはもちろんのこと、待機してる皆も事前準備をしてきたはずだ。それについてはどう考えているのかな」

「ですから、初めから依頼は無かったのですよ。準備も何もありません。まあ良かったじゃないですか。 命なんて張らないに越したことありませんよ」

「あんたは今命張って問答してる自覚あるんでしょうねたわけぇ!」

「脅迫ですか?後で上に報告させて頂きますが」

「死人の口で出来るものならやってみなさいよ!」

「ディア、落ち着いて。せめて魔導器官は貰えるんでしょうね?」

「いえ、この魔獣の体は全て研究用にゼクステアへ納められる事になっています」

 二人が取り付く島も無い。周囲の舟では職員たちが着々と件の魔獣を運ぶ手はずを進めていた。

「てか本当に死んでるの? 眠ってるとかじゃなくて?」

「確認されますか? 良いですよご自由に。ですがくれぐれも運搬の邪魔はしないでくださいね」

「あーはいはい好きにさせて貰いますよクズが」

「ディア…」

 悪態をつきながら木の舟の間を縫って青水晶の舟が進んでいく。オールも無しにすいすいと泥水の上を進んでいくと、そのまま音を立ててデッドスライダーの頭部にぶつかった。

 口は半開きのまま半分泥水に浸かっており、鼻孔からは一切風の流れを感じない。確かに死んでいるらしい。死体を前に立ち尽くす二人の後ろから、先程の嫌みな職員が近づいてくる。

「もうよろしいですか? そろそろ町にお戻りになられてはどうでしょう。そうやって眺めていても、

「「…あ」」

 その言葉を聞いた瞬間、一人は何か閃いたように、もう一人は気付きたくなかったものに気付いてしまったかのようにお互いの顔を見合わせた。

「ディア」

「ええ、分かってる」

「違う駄目だ、今すぐ離れて」

「もう遅いわよ」

「…何の話をされているのですか?」

「あなたの目がとんだ節穴だってことよ」

 問うてきた憎たらしい相手を、少女はせせら笑う。


「だってこいつ、寝てるだけじゃない」


 縦長の瞳孔が、三つの影を見下ろした。

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