第5話 美味しく焼けました

 菓子と紅茶が置かれた背の低いテーブル、横長のソファ、広々と敷かれたカーペットに煌々と光を放つ天井のシャンデリア。

 テーブルを挟み配置された一対のソファの片側に、フユウと少女が座っている。

「無駄にギラギラしてるわね…」

「まあまあ、一応交渉相手なんだから」

「客待たせるようなやつに払う礼儀なんてないでしょ」

 そう言って少女はテーブルの菓子を掴んで食べ始めた。フユウは側に浮かせた杖を横目に思考する。

(ここまでは順調…本題はここからだ)

「このクッキー美味しいわね」

 現状フユウたちは謎の金属物体について何も知らない。情報を引き出したい一方で、こちらのカードは少女の持つ複数個の物体のみ。足下は見られるだろうが、必要最小限の損失で効果的に成果を得る必要がある。

(何年かこの町で過ごしてきたけど、こんな物体は今まで見たことがない。一般の人間に秘匿されている資源ならばなおのこと、このコネクションは必須。失敗したくないな)

「…何も食べないの?」

「ん? ああいや、ちょっと考え事しててね」

「一切口付けないのも失礼じゃない?」

「さっきの甘いのが響いちゃって…」

「…あなた、もしかして思ったよりも歳いってる?」

「思っても言わないでねそういうこと」

 そうして話していると、少し遅れて上着を脱いだ老人が葉巻を吸いながら現れた。専属の従者たちを引き連れながら、フユウたちの対面のソファへと腰を下ろす。

「お待たせ致しました。それでは、商談といきましょう」

「…ええ、よろしくお願いします」

 外行きに表情を作りフユウは挨拶をする。だが少女は、黙ったまま皿に盛ってあるクッキーを食べ続ける。

「魔女ちゃん」

「良いでしょ別に、お出しされてるものに手付けて何が悪いのよ」

「はっは、お気になさらず。まだまだおかわりはありますからな」

 老人が言うのと同時に、大皿いっぱいにクッキーを乗せた女の従者が、テーブル上の空の皿と入れ替える。

(あからさまに不機嫌だな…まあ、じゃ当然だけど)

 そう考えつつ、自分も視線を逸らしてしまう。

 しかし屋敷の主はおもむろに手を伸ばすと、露出している従者の乳頭を思い切りつねりあげた。

「あぁん!」

 従者が身体を震わせ、わざとらしく嬌声をを上げる。

「わしのメイドはお気に召しませんでしたかな?」

「いえ………このような光景は、何せ初めて見たもので」

「はははは、だろうな!」

 嘘は言っていない。事実、今日日こんなことをする者はそういないだろう。

 如何様にも受け取れそうな言葉だが、屋敷の主は満足げに下卑た笑い声を上げた。

 フユウが見る限り、この屋敷にいる従者は老人の両脇に立つ護衛二人を除き、全て若い巨乳の女性である。何かしらの仕掛けがあろう首輪を付け、極めつけに皆一様に胸の部分を露出させている。誰が見ても悪趣味としか言いようがない。

「おい、ハイザラ!」

 老人が叫ぶと、真後ろに待機していた女従者が歩み出る。主人のすぐ側に立つと、震える指を胸の先に当てながら身体を向けた。

「こいつなんかはまだ日が浅いのだがね? こうして穴を広げさせながら奥に差し込んでやると…」

 葉巻の先を押し当てられ、シュッとくぐもった音が鳴る。

「ぃぎいっ」

「がはははは、これがまた良い声で鳴くんだ! この前なんぞ、陰…」

「失礼ながら」

 さすがに看過できず、フユウが遮る。

「連れは仕事仲間とはいえ、まだ子供です。目の前で過激なことを披露するのはご遠慮…」

「馬鹿馬鹿しい」

 だがそれすらも遮り、少女が口を開いた。

「別に気にしてないわよ。たかが火傷、一日寝れば綺麗さっぱり治る怪我でキャンキャンアンアンうざいったらありゃしない…」

 そこまで言って、少女は違和感に気づく。目の前の悪趣味爺はなおのこと、隣に座るフユウさえも驚きの表情を向けている。

「がは、はははははははっ! これはこれは、ははは、とびきりピュアな仕事仲間がいたものだ! がははははは!」

 当惑する少女。

「…何がおかしい」

「『獣人』」

「っ…!」

 だがフユウの一言を耳にした瞬間、彼女は息を呑んだ。

「今じゃ殆ど、事故や病気で後天的に体内の魔力変換ができなくなった障害者を指して言う差別用語だけど…恐らく彼女たちは」

 魔力を持たないヒト以下の存在。現人類に駆逐された、魔法の使えない獣畜生と同列の生き物。

「元来の意味での『獣人』。都市部じゃ滅多に見かけなくなった、正真正銘の奴隷だろう」

「正っ解っ! 火傷なんぞそうそう治る訳がなかろう、がはははは!」

 心の底から愉快であるかのように、老人は笑い続ける。

「いやはや、むしろフユウ殿に思いのほか学があると褒めてやるべきところかな?」

「…遂に取り繕うことも止めましたか」

「自惚れるなよ小僧」

 老人は笑みを消すと、背もたれに寄りかかりながらフユウを見下ろす。

「まさか貴様らのような穢らわしい血濡れ蜥蜴が、わしと対等に商談できると思っていたのか?」

(下品なコレクションを見せびらかしてきた時点で怪しかったけど、やっぱりまともに取り合う気は無かったわけだ。荒事は避けられないかな)

 フユウがその後の展開を思索していると、不意に隣に座っていた少女が肩に寄りかかってきた。

「魔女ちゃん?」

 否、正確には「倒れ込んだ」。目を半開きにしてガクガクと痙攣している。それを見た老人が愉快そうに説明を始めた。

「このクッキーは二種類の形があってな? 同じ味な上どちらか単体で食べても何も起こらないのだが…二つを同時に胃に入れた瞬間、遅効性の神経毒が合成されるのだ。今回は随分と毒の周りが早かったが、何せあの食いようだったからな」

 さながら腹を空かせた野良犬だったぞ、と嘲笑を重ねる。

「店での話から察するに、この躾のなってない子供が心暁玉回収の鍵なのだろう? あの量だ、早く解毒薬を飲まんと手遅れになるぞ」

「…なるほど、『シンギョウギョク』というのか」

「貴様らにとってはもはや意味の無い名前だがな。今までの分もこれからの分も全てわしに差し出すことになる。そもそもわしが最初に心暁玉の流通を任されたのだ。今は後れを取っているが、いずれ他の商人ハイエナどもを閉め出しわしが利益を独占する! 貴様ら猿どもにくれてやる分など欠片もありはしないのだよ!」

 そう言って高笑いを続ける屋敷の主。

 しかしフユウは、未だ余裕があるかのように振る舞い続ける。

「人格は不快だけど…情報源としてはこれ以上ないほどの当たりだったな。他にも後で聞かせて貰いますよ」

「はは、ははは…まさかとは思うが、ここを強行突破するつもりか? 言っておくが、貴様が杖を構えるよりも早くこいつらの剣が首を切り落とすぞ」

 主の言葉と共に、両脇に控えていた鎧装備の護衛二人が一歩前に出た。今にも引き抜かんと剣の柄を握りしめる。

(でも抜かないのか。未熟というか、それ以前の問題だ。逆らう奴なんていないだろうし、あまり人を斬ったこともないんだろうな)

 フユウはあくまで微笑みを崩さない。

「これだから魔法に明るくないご老人は」

「蛮族と会話をしようと思ったわしが馬鹿だったな」

「先に交渉を拒否したのは貴方だろう」

「…両方食べるのが良くないんだっけ?」

 瞬間、張り詰めた空気において場違いなほど緊張感の無い声が、その場の全員の視線を奪った。

「ねえ、聞い…」

 隣の一人を除いては。

「《初級爆発術式リネ・ブラスト》」

 フユウの目の前に、左右二つの火球が現れる。

 少女の口から次いで出た言葉は、重なる二つの爆音に掻き消された。



 杖は演算機だ。人間が生来自分の身体で行う魔力の変換・出力を始め、魔術の発生地点や方向を予測して魔術師の補助を行う。杖無くして人は複雑な魔術を行使することはできない。

 フユウの杖はすぐ側に浮かせてあるとはいえ、手に取るにはワンアクションかかる。つまり現状フユウ側は魔術の攻撃を行うに際し「杖を手に取り」「使う術式を入力し」「方向を調整し」「魔力を流し込む」という四工程が必要となる。

 それに対し護衛は剣を引き抜きざまに斬り掛かれば良い。既に柄に手を触れているため、首を落とすのに一工程もかからない。この状況においては護衛側が有利ということになる。

 あくまで狩人フユウが手の込んだ魔術で人を殺しに掛かるならば、であるが。

「…狩人ラプターが血の気の多い奴らというのは否定しません。仲間内でかっとなって手が出るなんてのは日常茶飯事ですから」

「ぐ、ああ」

 老人が両の手で耳を塞いで倒れ込む。

「それが別のパーティの狩人ラプター相手だとしたら、面子が関わってくる。瞬時に命のやりとりになることだって無いわけじゃない。そんな時にいちいち杖を構えてなんていられませんよ」

 フユウがソファから立ち上がり、テーブルを迂回して老人の元へと歩いていく。

「杖が無くとも使える術式はある。ましてや無防備な非魔術師を下す程度、狩人ラプターなら訳も無い」

 視線を動かす。たまたま目が合った従者が悲鳴を上げて崩れ落ちた。部屋の奥には数秒前まで護衛だった首無し鎧がそれぞれ壁に突っ込み、赤色の塗料をぶちまけている。

「とはいえ、杖無しで別方向同時撃ちなんて久々にやりましたよ。失敗しなくて良かったです」

 老人はまだ耳を押さえうずくまっている。

「…大丈夫ですか? 鼓膜が破れた以外に傷は見られませんが」

「なら聞こえてるはずないでしょ」

 続いて少女が口を開く。

「耳は私が治すから、逃げないように脚へし折っといて」

 バキッ。

「あがあっ」

「魔女ちゃんなら普通に足枷作れそうだけど…」

「その割にはノータイムでやったわね」

「…まあ、ムカつかなかったといえば嘘になるよね」

 少女がテーブルを踏んで直接渡ってくる。彼女の奥を見ると、へたり込んだ従者たちが青い流体に覆われ拘束されていた。

「ひいっ」

「はーいおとなしくしてれば首捻じ切ったりしないからねー」

 そうこうしている内に部屋の余白全てが青色のガラス細工で埋め尽くされ、部屋にいる従者全てが少女の魔力晶壁バリアで制圧された。爆発音に気づいたのか外から扉を叩く音がするが、しっかりと青い閂がされている。

「ていうか魔術師を相手にまともな護衛いなさすぎでしょ」

「さすがに派手なことはしないと思ったんじゃない? この町の狩人ラプターは民度良いから。まあ、そのせいでたまにこういう舐め腐ったようなのも出てくるんだけど」

「二人殺っちゃったけど私一回毒盛られてるわけだし、無罪じゃない?」

「盛られた当人がピンピンしてるのに?」

「無理そうね。まあ最悪この爺は耳でも持ち帰って生返らせればいいんだけど、証拠隠滅はしないとなぁ……あっ」

「魔女ちゃん?」

「まだ何も言ってないわよ」

「魔女ちゃん」

「…」

「私たち、今同じこと考えてる」



 某日昼過ぎ、ロクシオンに滞在していたとある商人の館で爆発事故が発生した。

 爆発の規模が大きく館はほぼ全壊、跡地からは同氏及びその従者のものと思われる遺体に加え、当時館を訪れていたという男の焼死体も見つかった。

 現場の酸化魔力分子の量や残留魔力反応から、大規模な爆発魔術の類いではなく貯蔵していた液体魔力に引火した爆発と推測されるものの、はっきりしない点が多く未だ捜査は進んでいない。

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