第3話 渦中

「…『暴虐の限りを尽くす黒の魔女を、そのままにしてはおけない。青の魔女シルアはそう決意し、旅に出ました。』」

 …魔女の話、本当に好きだね。

「え、そうかな」

 三回に一回は魔女の話じゃない。しかも決まって自分が主人公だし。

「えへへ…もしかして、くどかったかな」

 …別にそうは言ってない。

「ほら、私って魔法が使えないじゃない?」

 いや初耳だけど。病気?

「言ってなかったっけ、生まれつきなの。体内の魔力を上手く変換できなくて。」

 ふーん。

「だからせめて、作り話の中だけでも魔女になりたいなって」

 ………。

「…えと、あなたは何か夢とかないの? 目標というか、ここを出たらやりたいこととか…」

 無い。それとこの話はもう終わり。

 あいつが来た。それじゃ、また後で。




 人間が魔法を使うとき、そこでは必ず魔力反応が生じる。魔力を熱や水などに変換する際、その一定の割合がロスとして空間に放出されるためだ。

 理論上このロスをゼロにすることはできる。だがそれができる者は存在しない。手ですくった水を完璧に計量することができないように、魔力を扱うときには常に幾分かのブレが生じる。

 逆に言えば、その反応が感じ取れなければ魔術が使われたとは言えない。

(魔術を使わずに、これほど多量の水を?)

 床一面に広がる液体。まるで店が水没しているかのような光景が、誰にも気づかれぬままに作り出されていた。

 少し離れた壁際で様子を見ていたフユウは、液体が男たちの死角から不自然に広がりゆく瞬間を目撃していた。そうでなくとも、明らかにこの自称魔女の少女の仕業であろうことは見て取れる。

 しかしどうやったのかについては、フユウ以外理解できていなかった。

「これは、まさか…!」

 初めにフユウが一つの考えに辿り着く。間近で少女の戦いを見た彼だからこそ、導き出せる答えであった。

 その場にいた全員が、魔力反応を一切感じ取れなかった。つまりこの現象は魔術によるものではない。

 したがって、床に広がる液体も水とは限らない。

「お前らァ」

 次いで言葉を発したのはリーダーの男だった。低い声を小さく、しかし確かに響かせる。

「葉巻とその他火種の類い、絶対落とすんじゃねえぞ」

 リーダーの言葉で、周囲の男たちもようやく状況を理解した。

「これ…液状化した魔力結晶か…?」

「まさか、杖も機材も無しにあり得ねえだろ⁉」

 狼狽する男たち。ふふ、と少女は笑みをこぼす。

「案外ただの水かもしれないわよ?」

「笑えねえ冗談だ」

 魔法学を囓っていれば子供でも知っている、火の起こし方。魔力を熱に変換し、それを手頃な可燃物に込めて発火させる。そして火炎魔術における可燃物は、これもまた実体化させた魔力である。

 この大規模な浸水を生み出したものが魔術でないのなら、足下を浸すこれは水ではなく、魔術とは別に無から生み出せるもの。

 具体的には、変換する前の魔力そのものである。

(あり得ない…普通なら。でもさっきの発言が本当なら、この子は魔力結晶の組成を操って晶壁バリアの剛柔を原子レベルで変えられる。その結果が、あの自在に動く巨人だ)

 本来魔力晶壁バリアとは、火炎魔術以外の攻撃を防ぐための緊急防御壁。だが硬度によっては熱への耐性が変わり、結合密度を高めれば弱い威力の火炎魔術を防ぐ事も可能になる。

(逆にもし魔力原子一つ一つを分離させたまま垂れ流したとしたら…!)

 今床に流れるものは極限まで可燃性を高めた液体燃料に他ならない。

「驚いたな。これほど滑らかな液体魔力を作り出すとは」

「硬度も形も一瞬で自由自在。だから、仮に引火しても周囲を硬質化させれば私には燃え移らない」

「ははっ…正気かよ、お前」

「遺言はそれで終わり?」

 男を睨み付ける橙の瞳に殺意が灯る。

 この際、実際に少女が巻き添えを喰うかどうかは関係無い。彼女は躊躇いなく火を付ける。そう信じるに足る圧がある。そうなれば間違いなく自分たちの命は無い。確たる死のイメージが頭をよぎり、汗が顔を伝い落ちる。

「リーダーっ…!」

(もはや寸刻も猶予は無い。退くは下策!)

 覚悟を決め、男は目の前の小さな獅子を見据え返す。

「いいや? むしろここからが本題だ」

「…は?」

「詮索して悪かったよ。アンタの過去はベットするには些か重いらしい」

「……何が言いたいの」

(食い付いた)

 少女が疑問符を返す。どうやら話を聞いてもらえるらしい。

「言葉にしてみりゃ大した話でもねえんだが…なに、お近づきの印に飲み比べでもどうかと思ってな」

「飲み比べ?」

「そう、『凶星うち』の伝統的なゲームさ」

 男は椅子に背をもたれさせ、おもむろに足を組む。

「ルールは簡単、同じ酒を相手より多く飲んだ方が勝ち。酒代は負けた方が全額支払い。そんで勝ったら、景品を手に入れたり、相手に要求を呑ませたり。まあなんだ、飲ませれば口が軽くなって面白そうな話が聞けると思ったんだよ。許してくれ」

「…そう」

 少女が視線を床に下ろす。瞬間、室内全体に広がっていた液体が少女に吸い寄せられていく。それらは彼女の足下で霧散し、遂には跡形も無く消え去った。

「こっちも悪かったわね、脅かして」

「ハハハ…」

(ホントだよクソが…)

 次第に、話し声が酒場に戻ってくる。心なしか、安堵のため息もいくつか混じっているように聞こえた。

 少女も怒りを収めたようで、穏やかな声で口を開いた。

「うん、決めた」

「…何をだ? 嬢ちゃん」

「ゲーム、やるわ。もし負けたらあなたたちに私の経歴全部話す」

「おー⁉ もしやこれは⁉」

「魔女ちゃん飲み比べしちゃうのか⁉」

「お前ら情緒どうなってんだ?」

 ただし、と少女は言葉を付け加える。

「参加する以上、私からも要求して良いのよね?」

「ああ、もちろん」

 リーダーの言葉を聞くと、少女は口角を上げた。

「なら、私が勝ったら…」


「フユウ・シュトライツを私の助手として貰い受ける」



「おーい。魔女ちゃん、起きれる?」

「…んぇ? もう朝?」

「夜。まだ日付変わってないよ」

 フユウが突っ伏している少女を覗き込む。目を開け周りを見渡すと、他は全員酔い潰れ眠りこけていた。

「それにしても、まさか自分が景品にされる日が来るとはね」

「成り行きよ成り行き。元々は普通に頼むか脅すかしてたわよ」

「うちのリーダー相手に『脅す』なんてよく言えるね…」

 早くも酔いが覚めたのか、赤みが消えた色白の肌を覗かせて少女が立ち上がる。伸びをすると、くるりとフユウに向き直った。

「それよりだけど…私の『力』のこと、誰にも話してないでしょうね?」

「もちろん。ちゃんと口止めされてるって言っておいたよ」

「それ本当に言ってないでしょうね?」

「大丈夫だよ。私、これでも結構信頼ある方だから」

「既に信用できないんだけど」

「ははっ」

(…そう。彼女の『力』は是が非でも秘匿しなければならない)

 魔力晶壁バリアで巨人を形作り戦う彼女は、それだけで最強の矛と盾だ。だが彼女の能力の真髄は単純な戦闘力ではない。

 フユウが目にした少女の『力』は、知れ渡れば彼女そのものが争いの火種となりかねない代物。反面、それを凶星ステラギルドで独占できれば他のパーティに対し圧倒的優位を得ることができる。

 そのためにも、まずは己が彼女から信用と信頼を勝ち取らねばならない。今はリーダーと情報を共有することさえリスキーだ。

(早々魔女ちゃんに気に入られたのは僥倖だった。彼女自身も詮索されることは望んでないみたいだし、慎重にいかないとね)

 無用な争いを避けるため。そして最終的には少女の『力』を利用・独占するため。一先ずフユウは勤勉な助手として努めることにした。

「ところで、肝心の仕事の内容は?」

「わかんない」

 が、その出鼻を少女自身にくじかれる。

「私が聞いたのは、この地域で変なことが起きてるらしいってことだけ。だからまずはそれが何なのかを調べるところからね」

「えぇ…」

 仕方がないので、時間はたっぷりあると考えることにした。フユウは目の前の少女を改めて見る。

 青透明の髪を腰まで伸ばし、橙の瞳で視線を返す少女。整った目鼻立ちの小さな顔が自然と目を吸い寄せる。ぼろく地味な色の服装はなおさら彼女自身の色を引き立て、ショートパンツからは白く細い肢体が覗いている。

「あと家無いから泊めて。てか住ませて」

「え、やだ…」

「襲ったら握りつぶすから」

「ベッド一個しかないんだけど…」

 フユウの事情を意に介する事無く、彼女は悪戯っぽく笑う。二十歳にも満たない風貌は、艶やかさからは遠く。しかし芸術的にも神秘的にも思われて。

 きっとこの時点で薄々わかっていたのだ。利用しようとしている彼女の雰囲気に、逆に呑まれていると気づいた時から。

 世の中どうにもならないこともある。選ぶことすら許されず、後悔する暇も無いまま事が進む局面というものは確かに存在する。まるで鯨が蹴立てた荒波に流される小魚のように、時に浜に打ち上げられ、時に直に蹴飛ばされて呆気なく死ぬ。

 そして荒波はまだ止んでいない。

「ああ、フユウ君はお優しいことだから、きっと」

 芝居がかった口調で立ち上がり、少女はフユウに近づいて顔を覗き返す。乱れる奔流の中心に自ら近づく選択をした小魚は、はたして幸か不幸か。


「お仲間全員を生返らせてあげた大恩を忘れるはずがないわよね?」


 世の理を外れた何かリヴァイアサンと、目が合ってしまった。

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