パーカッショニストよ、永遠なれっ!

chaī

第1話 Presto

 とある日、深夜、ところどころにサビの入った黄色の自転車で、彼女は海岸沿いを走っていた。走っていた、といってもそんな大層な理由があるわけではない。自分の気を紛らわすため、新しいフィーリングを得るため、彼女は目的地も決めずに自転車を走らせることがしばしばあった。


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 私立葛城高等学校。この辺の地区の学校にしては珍しい芸術科のある高校で、多くの才能ある生徒が、日々自身の持つ技を磨いている。その学校の音楽科の、彼女、稲川律いながわりつは今日も音楽館二階奥の器楽室で一人打楽器の練習をしていた。平均くらいの身長に、黄色のシュシュでまとめたポニーテールがマリンバによく映える少女だった。

 手には2本か4本のマレットを持ち、目の前の楽譜との睨めっこをしながら、マリンバを弾き続ける毎日。気がつけば、桜の花びらが地面にピンク色の小さな丘を作っていた。

「あっ」

 空間に張り詰めていた糸が切れる。普通に聞いていればわからないほどの小さなミスだった。しかし、演奏している自分自身の感覚は嘘をつかない。彼女はここ数日間、同じような失敗を繰り返していたのだ。高速で次々と訪れる六連符を、前まではいとも簡単に処理していたのに、この頃全くできた試しがなくなってしまったのだ。

「前は、こんなんじゃなかったのに...」

 律は地面にそのまま寝転がった。制服が汚れるとか、そもそも常識的にどうかなんて、もう最近の彼女には考える余裕がなくなっていたのだ。


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「...今日も、行こっかな」

 音楽以外に律がすることと言ったら、自転車だった。といっても競技用にがっつり鍛えているわけでもなく、あくまで趣味の範疇を超えないのだが、とにかく、律にとって自転車は、一言で言うなら音楽そのもののような物だった。

 時間は深夜11時。自転車をするにはちょうどいい時間だった。そうして律は、ところどころにサビの入った黄色の自転車を乗り回す。

 ここでいつもなら、満点の星空の下、川の堤防の上を気持ちよく走っているのだが、今日は違う。不思議なほど曇っていて、いつもよりもちょっと暗い気がした。それだけならまだ良かったものの、ついには強い風が吹いてきてどうしようもなくなってきてしまった。

 今日の自転車はやめて、いつもより早く切り上げよう。そう思い、ふと空を見上げたところ、ある不思議な光景が律の前に広がった。南の空、海の方の空だけ何故か星空が顔を出していたのだった。夜の海は危ないから近づかないようにしていたけれども、律はそこに何か運命的な物を直感的に体感して、気がつけば逆風の中自転車を走らせていた。


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 その海岸には10分近くで到着した。真夜中の海岸はこれまでの天気が嘘だったかのように晴れていて、とても心地いい風が吹いていた。律は自らの好奇心が抑えられなくなって、海水に触れようと波打ち際に近づいてみると、そこにはなんと一人の少女がいた。その少女は小柄で真っ白なワンピースを着ていて、今にも海に溶けていきそうなほど色白の少女だった。

「あっ、あのー」

 律は少女に話しかけていた。元々人見知りの彼女が自分から声をかけること自体不思議なことだ。

「わわっ! びっくりしたー。誰も来ないと思ってたのに」

「あはは..。、こっ、この辺に住んでるんですか?」

「ううん、最近、ってか昨日引越してきたばっかでねー、ちょっとお散歩してたんだ♪ この辺の人さんですか?」

「えっ、ああそうです。稲川律って言います。高校2年生です」

「うそっ! 私とおんなじー! 私も高2だよーっ。私、三戸瀬みとせ調しらべって言いますっ。よろしくね♪」

「あっ、はい。よろしくお願いします」

「うん! よろしくっ。ところで、ずっと立ってて疲れない? 私の隣でよければ、座っていいよ」

「えっ...と、じ、じゃあ、失礼、します?」

 こんなこと、今までほとんどなかった律にとって摩訶不思議な体験だった。でも律はどう言うことか、この少女になら大丈夫だと言う感覚を覚えていた。


「ねえ、音楽って好き?」

 調は、突然律に尋ねてきた。

「えっ、うん好きだけど」

「私ね、実は打楽器勉強しててね..」

「えっ、一緒! 私も打楽器やってる」

 律が食い込み気味で言った。

「本当に!? すごいすごーい! 私たち、まるで運命だよーっ!」

「う、うん!」

 律にとっても調にとっても嬉しいことだった。打楽器を専門で勉強する人は他の例えばピアノだとかに比べて格段に少ないからだ。

「まさかこんなところに、私の言うことわかってくれそうな人がいるだなんて! ああ神様っ! この出会いに感謝ーっ!」

 調が星空めがけて、まるで演劇のように大袈裟に宣言して見せた。

「ふっ、ふははっ! あなたって面白い人だよね」

「えへへーっ...ってああっーーー! もう約束の時間こんなに過ぎてるーっ!ごめんね律ちゃん! 私もう帰らなきゃ! それじゃ、またいつかねー!」

「う、うん、さようならー」

 突然律の目の前に現れた調は風のように去っていった。律は不思議な少女だと感じる一方で、彼女に深い親近感を覚えていた。


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 翌朝、いつものように平日の支度を済ませ、自転車で学校へと向かう律。昨日の海とは真反対の方角の学校に行く途中でも、昨日のあの少女、三戸瀬調が頭から離れない。またもう一度会えたらいいな。そんな思いを抱えて、彼女は学校に着いた。

「昨日のあの子、今日この学校に転校してきましたーとかないかなぁ。いやいやっ、そんなベタな展開がある訳ないよねー」

 そんなことを考えながら席に座ってホームルームの時間まで待っていた。

 少し時間が経って、ホームルームの主任の先生がやってきた。

「はいっ、じゃあーみんな席ついたかー、今日はまず、このクラスに来た転校生を紹介するぞー」

「えっ」

 まさかなと思った。でも、そのまさかだった。部屋に入ってきたのは、昨日の海岸で見た、小柄で真っ白なワンピースが似合ってて、今にも海に溶けていきそうなほど色白の少女だった。

「初めましてっ! 三戸瀬調ですっ! よろしくお願いしまーす♪」

「まっ、...まじか」


 こうして、二人の音楽生活が始まったのだ。

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パーカッショニストよ、永遠なれっ! chaī @aocyan7

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