エピローグ
かくして、あたしは陸上部に復帰することとなった。
先生から散々嫌味を言われたけれど、トレーニングは以前と変わらず続けていたから、昔とパフォーマンスは落ちていない。むしろ、最後に吉原先輩が教えてくれた末脚が、あたしの新しい武器になった。
吉原先輩の分まで、高校生活残りの陸上を頑張ろう。
あたしは、確かにそう決めた。
吉原先輩の生霊は、あれからぱったりと現れなくなった。
周りの人々も怪我をすることもなくなり、吉原先輩の噂は、ただの噂として忘れ去られていくように思う。
それから、もう一つ思いがけないことがあった。
意識不明だった吉原先輩が、目を覚ましたのだ。
目を覚ました吉原先輩は、生霊の時のことは覚えていなかった。ただ、ずっと暗闇の中を走っていて、やっとゴールしたとき。
そのとき、少しだけ、一面の星空が見えたのだという。
陸上部の練習が遅くなって、今日は美術文芸部に行けなかった。とはいえ、あたしは必ず一日一回は、美術文芸部の部室に顔を出すことにしている。
もうすっかり暗くなった校舎を歩く。ふと、鼻孔をくすぐる香ばしい香り。
これは、コーヒーの香り?
見れば、とっくに下校時刻を過ぎたこんな時間に、美術文芸部の扉から明かりが漏れている。
あたしは、美術文芸部の扉を開けた。
そこには、あたしのステンレスのマグカップにコーヒーを注ぐ、眼鏡の背の小さい後輩がいた。
「――あ。ちょうどよかった。コーヒー、飲まれます?」
眼鏡をくい、と直し、砂川が言った。
「……あ。ああ。気が利くな。砂川。それにしても熱心だな。こんな遅くまで」
「私も、すこし勉強しなければいけないんで」
そういって、書いていたノートのようなものを閉じ、あたしへマグカップを渡して来る。
一口含んでみると、薄い。あたしは濃い目のコーヒーがいいんだが。
砂川は、窓の方を向いて立っている。
思えば、あれから、砂川と二人になるのは初めてだ。
「――なあ、砂川。その……ありがとうな」
今回の件は、おそらく、礼を言わなければいけないのかもしれない。
「西之先輩。一つ、吉原先輩の生霊からの、伝言がありました。先輩は、あの後すぐに気を失ってしまったから、聞こえてなかったかもしれませんけど……」
窓の外の闇を見つめたまま、砂川は言った。
「あのとき、吉原先輩は『またやろう』って言ったんです。今はまだ吉原先輩は、リハビリ中で、歩くことができないけど。――いつか、きっと」
砂川は、そう言って、眼鏡の位置を正したように見える。
でも、その仕草は、いつもとどこか不自然だ。もしかすると。
「――なんだお前、泣いてるのか」
「泣いてませんよ。うるさいな」
だけど、砂川はこちらを向かない。
窓の外を見たままに、眼鏡の位置をごしごしと直している。
「――西之先輩。一つ質問があります。質問というよりは、お願いに近いですが」
唐突に、砂川はそう言った。
「何だい砂川部員。何なりと申し上げ給え」
突然のことに、いつも交わした言葉が漏れる。
「――西之先輩のこと、名前で呼んでもいいですか。あかり先輩、とか、そういう感じで」
なんだ、こいつ、結構可愛い後輩じゃないか。
「あたしからも、一つお願いがあるんだよ」
なら、少しだけ、からかってやったっていいかもしれない。仲間というものはいいものだ。昔も。そして、今も。
「これからしばらく、この部活のことをよろしく頼むよ。こより」
聲寄せ少女の東京怪異物語 うみのまぐろ @uminomagu
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