夜の写真 6
吉原ようこ先輩は、あたしが入部した当時、陸上部の二年生だった。そして、並ぶ者もいないエースだった。二〇〇メートルと四〇〇メートルは県記録を持っているような俊足で、中でも四〇〇メートルは、一年生のときのインターハイで三位入賞したこともある。
あたしも、中学の頃までは普通に全国大会に出たりして、走りにはとても自信があった。所属してきた部活の中では、大した努力もせずにいつも一番だったから、陸上なんてこんなもんか、と正直思っていたところがある。だから、高校の部活でも同様に、あたしには才能があって、努力なんてしなくったって、普通に一番が取れるものだろうだなんて、そんなことを思っていた。
けれど、あたしの華々しい高校デビューは、一人の先輩によって阻まれた。吉原ようこ先輩だ。入部して初めての記録会でのレース。あたしと吉原先輩は対戦し、そして、完膚なきまでに負けた。実力も、レース運びも、何もかも圧倒されて、からがら二着になることができた。タイムはそこそこだったのに、吉原先輩はその全然向こうを走っていた。
膝に手を当て、肩で息をするあたしに駆け寄り、吉原先輩は言った。
『西之さん、すごいねえ。私も、もっと頑張らないと、すぐ追い越されちゃうなあ』
すごい? あたしが? すごいのは先輩の方だよ。しかももっと頑張るって言うの?
才能は、多分あたしのほうがあった。でも、吉原先輩は、才能なんて言葉がかすんでしまうぐらい、努力して、努力して、努力していた。吉原先輩は、ずっとあたしの先を走っているのだ。アスリートがどうやって、その努力を積み重ねていっているか、あたしは初めてその時知った。
一番だなんて、おこがましい。
あたしは、それから、先輩に勝つために、一生懸命に努力した。最初はただの、負けず嫌いだったんだと思う。先輩に勝つためだったら、どんなことだってしようと思って。先輩と同じメニューのトレーニングをこなし、食事も同じものを食べた。陸上の勉強を自分でやってみて、先輩は本当に陸上のことが好きで、全部を陸上に捧げているんだということが分かった。
勝てないかもしれない。でも、いつか勝ちたい。
でも――本当は、それ以上に。
あたしは、いつしか、先輩と一緒に走れるのが、楽しくてしょうがなくなっていたんだ。
それが一年も続いた折、インターハイの直前に、先輩は交通事故に遭った。頭を強打した先輩は、意識不明の重体となり、一命は取り留めたものの、意識は結局戻らなかった。
それからというもの、あたしのまわりで不思議なことが起こるようになった。
記録会や大会などで、一緒に走っている子たちが、怪我をするようになったのだ。
そんな大した怪我じゃないけれど、もちろん大会には出場できず、成績は落ちてしまう。同じ部活の中でも、そういったことが繰り返された。なぜか、あたしの関わるレースだけ。
そのうちに、奇妙な噂が流れるようになる。
転倒したり、怪我をしたりする直前、追い抜いていくユニフォーム姿の誰かを見たというものだ。そしてその後ろ姿は、吉原先輩の後ろ姿に似ていたというものだ。
そんなこと、あるわけないとあたしは思った。実際、あたしには一度も、吉原先輩の姿は見えなかったから。
でも、もしかして、万が一ということも考えて。
あたしは、二年生の時のインターハイ予選で、自分の姿をビデオカメラで撮影してみることにした。遠くから、あたしがゴール地点を撮影できるようにセットして、一日放っておいたのだ。
すると、信じたくない映像が映っていた。
後方から、ものすごい勢いでみんなを抜き去っていく吉原先輩の姿。
そのレースで、三名が怪我をして、あたしにはもちろん何もなかった。
写真なんかじゃなくて、直接吉原先輩の姿を見ることができたら、話すことができたら、どれだけよかったかもしれない。でもあたしにはそれができないし、だから、吉原先輩の意図もわからない。
あたしはその日から、怪我をしたのだと理由をつけて、陸上部に行くのをやめた。
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