夜の写真 5

 少しだけ早く部活を早退した私は、あてもなく学校付近を歩いていた。

 学校からしばらく行くと、井の頭公園という、大きな池のある公園があって、そこには桜並木や、銀杏並木だってある。休日は家族連れで賑わっているけれど、今日は平日で、しかもそろそろ子連れのママさんたちも、晩御飯を作るために帰ってしまった時間帯のため、人もあまりおらず、広々としている。いつもみんなを笑わせている、大道芸人の人たちも、今日はもう店仕舞いの様子だった。

 私は、葉桜の下のベンチに腰を下ろした。

 みんなの前では普通にしていたつもりだったけど、いざ一人になって、落ち着いてみて、自分の馬鹿さ加減が許せなかった。西之先輩の怒りに触れて、それが分かった。

 今日はあの直後みんなが入ってきてくれたから、普通に過ごせたようなものだけど。でも明日はどうだろう? 明日部室に行く勇気が私にあるだろうか。一年間友達らしいともだちが、あんずちゃんしかいなかった、この私に。

 西之先輩の言う通り、きっと調子に乗っていたんだ。話せばわかってくれるなんて思って、相手の気持ちも考えないで、自分の理想論だけ押し付けた。その結果が、これだ。今日は普通にできたけど、じゃあ明日からも普通にできる? 

 西之先輩の怒りは、収まっているだろうか。せっかく後輩もできて、ユメコ先輩や、西之先輩みたいな、先輩たちも、友達もできたのに、また一人に逆戻りだろうか。

 

 ――いやだよう。失いたくないよう。


 そう思うと、ひどく涙が出た。西之先輩は許してくれるだろうか。どうやって謝ればいいだろう。そもそも、謝れば済む問題だろうか。それがひどくわからなくって、ぼたぼたと涙が出た。怖い――。怖い。みんなのそばにいられなくなってしまうのが、ひどく、怖い。 

 何とかしたい。でも、どうすればいいか思いつかないよ。もし考えて、思いついたとしてそれは本当に正しいの? 私の自己満足じゃない? そうやって到達した結論は、私にだけ都合のいいきれいな世界なんじゃないか? 

 わからなくて、考えるたびに涙が出た。お兄ちゃんとのくだらない喧嘩とは違った。本当に、私はどうしたらいいんだろう。どうしたら――? 


「……ちゃん? こよりちゃん?」


 そっと肩に手を触れる感触があって。眼鏡が濡れてしまって、表情は判別できなかったけれど。そこには、舞い散る葉桜に吹かれながら、おそらく心配そうな表情で私を覗き込んでくれている、ことね先輩と、もう一人、桜庭先輩がいたのだった。 

「う……うぇぇぇ。せんぱい。ことねせんぱあああい!!」

 私は思わず、ことね先輩の胸に飛び込んでいた。さわやかな石鹸の香りが、ふわりと私を包んだ。ことね先輩は、私が落ち着くまで、その場でずっと私を抱いてくれていた。

 

「……そんなことが、あったのね」

 葉桜の下のベンチで、ことね先輩と私は座っていた。正面の池の水面には、西日が反射してきらきらと輝いていた。

 桜庭先輩は、私の傍らに立って話を聞いていてくれた。桜庭先輩が買ってきてくれたベイスターバックスコーヒーのカフェモカを、私は一口含んだ。カカオの香ばしさと、甘味と、温かさが、ほっと私を落ち着かせてくれる。

「ああ。その噂なら、聞いたことがある。もっとも、あたしが聞いたのは、もう少し違ったものだったけどね……」

 肩できれいに切り添えられた髪は、以前と変わらず、むしろ洗練されているように見える。桜庭先輩が、腕組みをしながら私に言った。

「……けいこ」

「あたしも吉原さんのことを話すのは、気が引けるけど。でも、このままじゃ砂川さんは自分のせいで西之さんを怒らせたと思って、自分を責めてしまうよ。そうじゃないってことは、伝えるべきなんじゃないかな。まあ、半分ぐらいは砂川さんのせいなところがあるのは、事実だけどさ……」

 桜庭先輩は、そう言った。けれど、どんなことを知ったところで、いまさら。

「あたしはさ、こういうのもなんだけど、砂川さんにはすごく恩義を感じてるんだ。だからさ、何もできないけど、こういうときぐらいは助けてあげたいって思う。あんたは、西之さんとも仲がいいから、そういうわけにもいかないだろうけど、あたしは西之さんよりも、砂川さんの味方を今回はするよ」

 桜庭先輩が、ことね先輩を正面に見据えて言った。

「……。そうね。こよりちゃんには、話しておくべきかもしれないわね……」

 ことね先輩は、そう言った。

 けれど、何かを教えてもらったところで、時間が巻き戻るわけじゃない。むしろ、知らないほうがいいことだって、世の中にはたくさんあるのではないか。

 そういった思いを見透かしたように。ことね先輩はそっと私の頭を撫でた。


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